今日の東京新聞、ふと文芸時評なるものが見に入る。著者は伊藤氏貴という見知らぬ名前。タイトルは「会食の場で溶けていくもの」というたわいもないもので、取り上げている三つの小説もどうということもない(著者の紹介によるならば)。
ところが結びの言葉には少し驚いた。「「正しさ」がひたすら分断を呼ぶ世の中に、ほっと一息つける会食の場面を中心にした3作が同月にならんだのは偶然ではないだろう」
やれやれ、何のことはない、またまた「正義の暴走」を憂慮する文壇身振りだった。
しかし、このここ数ヶ月だけでも「朝日」の星野智幸、そして東京新聞全面を使って星野擁護を展開した中島岳志、それに文芸時評の伊藤某と立て続けに来るのだから、東京新聞の文芸部はよっぽど「正義の暴走」がご心配と見える。
勿論「倫理的正義」と「法的正しさ」の関係など、「正義」には古来なかなかやっかいな問題があるのは確かである。
とは言え、星野、中島、伊藤の議論は、ただ視野が狭く、レベルが低いだけ。これではトランプやAfD、FNなどの世界を跋扈する極右や死者を次々と出している兵庫の「闇の勢力」を批判することも「正義の暴走」になる。
要するに、結局はTVと同じで、このレベルの人間を登場させるメディアの問題である。