柄谷行人さんの「回顧的錯覚録」、今回は1990年代。柄谷さんなりに「回顧的」にポストモダニズムを批判して、「脱構築」は「消費社会や資本主義を肯定する論理」にされた、と言っているがこれは不正確。
消費社会や資本主義を肯定する論理に「転用」されたのは、むしろドゥルーズ=ガタリである。これは日本では浅田彰によって極限まで進められた。
実際、浅田は「資本主義の速度に賭ける」やら、「スキゾ」と「パラノ」やら、適当な言葉を『アンチ・オイディプス』から拾い上げてきた揚句、「スキゾ・キッズ」の理念系として「幼年期自己愛」の固着している東浩紀のプロデュースに全力を挙げた。最近は、『構造と力』・『逃走論』は「新旧左翼への批判として構想した」とこれまた「回顧的錯覚」を語っている。
また米国でもカリフォルニアを中心にした「加速主義」派がドゥルーズを好んでつまみぐいしたのは事実で、これは『帝国』のネグリ=ハートまで連続している。(ちなみにネグリは明らかに反デリダのドゥルーズ派)。その挙句がマスクをはじめとした加速主義右派の跳梁跋扈であるから、「語るに落ちた」とはこのことである。
デリダに関しては当初米国ではマクルーハンも属した政治的右派のニュークリティシズムと接続し、大学の英文科で大きな影響力を行使した。