いつの頃か、何やら文化業界で「天才」が毎年のように、プロモーションされるようになり、「天才のインフレ化」の過程を経て、現在は世間で言う「天才」とはこれ、がっついた「凡才」である、と判断した方が的確であるような、そのような時代に、今はなっているようだ。
先日、私が二重スパイの上、ネトウヨ大王東浩紀の下に駆け込み、「ゲンロン」で戯言を垂れ流しているとして名指しした「アダム高橋」もどうやら、その種のプロモーションで「推されていたらしい」。
しかし、この男、ドイツで中世哲学について博論をとったはいいが、「現代思想」への憧れがいつまでも消えない悲しい人間である。それでつい、デリダやらフーコーやらドゥルーズやらについて、愚にもつかない妄言を書き連ねるが、はなから「ゴミ箱」行の「シロモノ」である。
元研究者と言えば、与那覇潤という男がおり、これは最近「文春」で「トランプが通ってよかった」と「リベラル」として発言している。これは、糊口のしのぐ方便として見ればむしろ悲しい「第二の福田和也」と言った所か。
相手の「保守」を名乗る文芸評論家の浜崎某もバークなどと口にはするが、翻訳でも読み通したことはないことは一目瞭然である。これで小林秀雄、福田恒存など論じたりしているのだから、笑止千万とはこのことである。