打浪文子立正大学准教授
“情報が理解「できる」こと、コミュニケーションが「できる」ことが、日本の社会では前提に置かれがちです。言語理解やコミュニケーションに難しさを持つ人たちに対して、日本はことさら眼差しが厳しい社会ではないかと感じます。
知的障害のある人のコミュニケーションや言語的な表現は、合理的配慮の対象という前に、そもそも「うまく日本語ができない」=「劣っている」とみなされてしまいがちです。
知らず知らずのうちに、「正しい日本語を使える」ということが「権威性」や「優位性」を持ち、それができない人たちが常にはじかれている状態があるのです。”
知的障害のある人にとっての“分かりやすさ”とは
当事者の参加がメディアを変えるhttps://www.nhk.or.jp/heart-net/article/751/