“(満蒙)開拓団の多くはわずかの耕作地しかもたず、昭和恐慌を乗り切るための農村漁村経済更正計画の失敗で切り捨てられた人びとであったが、入植時には、「開拓」とは名ばかりで、泥棒さながらに現地に居住していた中国人や朝鮮人の土地を奪い取るなどして、侵略者としてふるまってきたことは否めなかった。
それゆえソ連参戦時(一九四五年八月九日)により、現地の農民たちの怨嗟が開拓団に向かい、団員を守るべき関東軍はいち早く敗走してしまうなかで、開拓団の人びとは殺害され、自決を強いられ、また残された人びとは、多くの死者を出しながらも日本をめざして避難を続けた。”
Embed Notice
HTML Code
Corresponding Notice
- Embed this notice
合 (yuri3599@songbird.cloud)'s status on Sunday, 06-Aug-2023 22:10:19 JST合