“しばしば、「社会問題を告発する人」は、特別な人で、選ばれた人で、勇気のある人だと考えられています。確かに、「社会問題を告発する」というのは「勇気」の要ることなので、そうした声を上げる人たちが「特別」に見えることはあります。しかし、「声を上げる人たち」が、はじめから「特別」であるということはありません。”
“どれだけがんばっても報われなかったり、理不尽なかたちで傷つけられたりした経験を、「自己責任」という言葉で受け入れさせられてきた人たち。
社会の在り方に怒ったり、困難な状況の中で助けを求めたり、といったことを「してはならない」と思い込まされてきた人たち。
そうした人たちの目に、この社会を問い返そうとする人の姿が「無責任な振る舞い」として映ってしまうとしたら、これほど不幸なことはないと思います。”
“かつて、どれだけ理不尽な状況に直面しても「黙らなかった人たち」が、この社会にはいました。その人たちの言葉から学びたい。そのためには何をしたらよいのでしょうか。”
“差し当たり、私は、「いまこの瞬間に、怒っている人・憤っている人・歯がみしている人」を孤立させないことからはじめたいと思います。”
「自己責任」と「勇気」の話(荒井裕樹)https://note.com/poplar_bungei/n/n1c9d45ba7c2b