処理水放出とか世情が騒々しくなると、Twitter撤退しておいてよかった、としみじみ思います。
いまだに「科学的に正しいかどうか」論争につきあうのは、時間の無駄すぎるし、あまりの日本社会の時代錯誤(世界からの遅れぶり)に気分が重くなるので。
12年間で、日本はほんとに世界からきれいに置いていかれたんだなぁ、と痛感します。
処理水放出とか世情が騒々しくなると、Twitter撤退しておいてよかった、としみじみ思います。
いまだに「科学的に正しいかどうか」論争につきあうのは、時間の無駄すぎるし、あまりの日本社会の時代錯誤(世界からの遅れぶり)に気分が重くなるので。
12年間で、日本はほんとに世界からきれいに置いていかれたんだなぁ、と痛感します。
ここで「覚悟」を持ち出すところが、実に日本的なダメ感を出しているのですが、そもそも、東電の人たちは風評発生の、社会心理学的、社会科学的なメカニズムをご存知ないでしょう。
東電社長 周辺自治体訪問「風評被害生じさせない強い覚悟」|NHK 福島県のニュース https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20230823/6050023623.html
メカニズムがわかったからといって、必ずしもそのまま対策が見つかるわけではありませんが、少なくとも、思いつきや思い込みで考えるよりは、精度の高い、合理的な対策となる可能性は高いです。
日本政府の皆さんもなにかと「覚悟」を持ちだしますが、「覚悟」でなんとかなるなら、インパールも、ガダルカナルも、アッツ島もなんとかなったはずです。
思いつきや思い込みやお気持ちに基づくのではなく、冷静な情報分析に基づき、将来を見据えた上の総合的、戦略的な対応をとっていただきたい、というのが多くの人びとの期待ではないでしょうか。
福島にいて強く感じるのは、男性陣が顔をつぶされたり、(特に女性に)弱みを見せたり指摘されることをものすごく嫌がる、ということです。
そのため、普通の失敗も失敗と指摘することが許されず、なにがなんでも失敗ではない、ということにしなくてはならない、という雰囲気が、既得権益層を中心に非常に強いと感じます。
たとえば、内堀知事の失敗を指摘しようものなら、「お、おん殿になんたるご無礼を!」と顔面蒼白になってぶるぶる震えた人たちに叱られそうな雰囲気が満ち満ちています。
広島出身の私からすると、かなり奇異に見えているのですが(別に誰でも間違いも失敗もあるのだから、間違えたり失敗がわかった時点で修正すればいいだけ。失敗を認めないで続ける方が損失は拡大する)、福島県は10年ほど前まで、公立校も上位校はすべて男女別学であった、というところが大きく影響しているのではないか、という気がします。
もののみごとに男性ばっかり。
女性の意見は、世論調査の統計的な結果からわずかにうかがえるばかりです。
処理水 早ければ24日放出開始へ 関係閣僚会議で決定 | NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230822/k10014169921000.html
ただ、結局、政府のとる対策は、最終的に、天下りポストやら関連ポストがほしい既得権益おじさんんたちの利権になるだけなんだろうな、とおもうと、なんのニュースをみても劇的に気分は萎えます。
がんばっている人が報われるではなく、保身に走って、権力者に取り入って、うまいことたちまわった男性が報われる、という日本社会の構造が、予算が大きいぶん、規模も大きく行われることになるんですよね。
「寄り添う…」 ああ、身内の既得権益おじさんたちに寄り添うのね…
「最後まで責任を全うする」 ああ、身内の既得権益おじさんたちにポスト配分をする責任を全うするんですね…
「国が前面に立って」 ああ、前面に立って身内の既得権益おじさんだけを守るんですね…
と自動的に翻訳されます。
処理水放出後に、政府はまた風評払拭安全キャンペーンを大々的に行う予定だと思いますが、まず行うべきはデータのしっかりとした採取と蓄積、透明性、ついでそれを前面に出て説明すべきは、政府です。
漁業関係者に都内に行かせてフェアと名付けて販促活動を行わせるとすると、2012年ー2013年の時期と同じようなことが起きることを危惧します。
そもそも、トリチウムについては、データがある程度蓄積するまでは、漁業者ご本人たちでさえも、確信を持って、人には説明はできないはずです。
そういう状況のときに、人に説明させるというのは、真面目な人であればあるほど、心理的に大きな負担になるものです。
ここ最近、福島の魚の安全性を自信を持って言えていたのは、これまでの蓄積によって、自分たち自身で「大丈夫だ」と確信を持てていたからです。
トリチウムであっても、やることにかんしては、セシウムと変わりません。
プロセスとしては、
・信頼のおける測定→データの蓄積整理→わかりやすく信頼のおける説明、しっかりとした情報公開
必須の要素としては、
・第三者による測定の検証
(IAEAではなく、漁業者や市民による検証)
・一連のプロセスへの透明性の確保
・情報アクセスへの公平性の確保
みなさん事故直後の経緯をすっかり忘れていますが、原発事故直後の測定騒ぎが沈静化したのは、市民による測定が、政府の測定の検証となり、政府測定数値はごまかしてはいなかった、ということが共有されたからです。
測定結果そのものの解釈に多少の違いはあったとしても、グリーンピースなどの環境団体の測定もしっかりしていましたし、第三者による自主的な測定による検証から得られる信頼性は、非常に強力なものです。
これ以上に信頼感を得る手段はほかにない、と断言できます。
でも、日本では、政府や専門家以外が測定するのはけしからん!とか言い出す人が出てくるので、困ったものです。
リスクコミュニケーションのいろはを少しでも勉強してほしいものです。
日本社会全般、言語障壁によって、英語ユーザーが多い国に比べると時代変動の波からは遅れがちなのだけれど、コロナ前頃から、高齢化の影響によるのだろうアップデートのできなさは顕著になっている感じはします。
加えて、英語圏(アングロ・サクソンという意味ではなく、国際共通語としての英語)の情報をダイレクトに入手している層とそうでない層で、日本国内でも層が大きく分離してきている気はします。
Twitterで群れをなしているミソジニーやネトウヨ層とそこから派生するネット論調の感覚の遅さというか、アップデートのできなさも目についてきていて、そもそもネットのみを情報源としていて、現実の社会活動が希薄な層が多いせいではないか、とも感じていました。
ネット依存の古い情報を仲間うちだけでぐるぐる回している層がかなりのかまたりで発生しているのでは。
大学の教員もこのループのなかに入っている人が少なからずいるように見えます。
昔は、ネットは現実世界よりもいち早い新しい動きに飛びつく人が多かった気がしますが、今は、様相が一変していて、Twitterでは特にいわゆるアーリーアダプター層よりも、時代から遅れた層が主流になっているように感じています。
暑さに加えて湿度の高さにぐったり。湿度が低い地域では、野火でしゃれにならない被害が出ている状況を見ると、贅沢は言ってられないとは思うものの…。
朝、海外の英語ニュースをYouTubeで見出しだけずらっと眺めると、連日、どこかで史上最大規模の災害が起きていて、ハワイの大火災のニュースでさえ、あっという間に忘れ去られていきそう。
言論的にあがってくるのは放出賛成の声ばかりで、実際に世論調査をとってみると、かなりの割合が慎重にみている、というのは、この言論上の女性の存在感の薄さも影響しているのだろうと思います。
言論界そのものが圧倒的に男性支配世界であるのに加えて、原子力・放射能マターになれば、女性は、ピンクレンジャー以外は参入不可能な領域になっていますので、なおさらかと思います。
処理水放出のヤフコメ、認証アカウントがものの見事に男性ばかりです。
処理水放出についての世論調査では、賛否は男女差が大きく出ていたと思いますので、言論的には女性の声はまったく反映されていない、ということになるかと思います。
政策を実行すると必ず正負の側面があって、両方を考えながら検討する必要性がある、というのは、公共政策の授業で習ったのですが、やっぱそうだよね、と思うと同時に、福島の復興政策でそんな場面一度もみたことがないんですが、それはどこの日本の政府で実行されているんでしょうか?と思いました。
質問してみればよかったかもしれないです。
日経のこの記事についている有識者のコメントをみても、そういう政策立案の技術的問題には触れられていないです。
政治の話題に言及する人たちのなかで、いわゆる「政治部」思考の人たちは、大学の教員であったとしても、その政策の与える影響範囲の大きさや、決定のプロセスが引き起こす問題など政策技術問題の重要性に非常に無頓着なことが多いように思います。新聞もそういう「政治部思考有識者」たちばかり集めてコメントをするのはかえってよくないのでは、と思います。
(ワイドショーのコメンテーターと変わらないです。)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA213CX0R20C23A8000000/
福島の復興プロセスにおける政策展開をみてみれば、ひとつの施策が、複数のさらに対応が難しい結果をもたらし、その対応にさらにリソースを取られ、その対策がさらに問題を引き起こし、気がつけば手に追えない規模の問題に、ということを繰り返していることは明白なのですが、この一連の負の政策的展開を理解している人がほとんどいない、というのが最大の問題であろうと思います。
cf. ) 除染→廃棄物→仮置き場→中間貯蔵施設→30年後県外移転
避難指示→地域荒廃→コミュニティ離散→避難指示解除→人口激減→箱物大量投下→将来的維持…?
特に、政治・行政の政策担当者が、施策には正負の両側面があり、正のアウトカムのみならず、負の側面が連続展開されることを抑えなくてはいけない、ということさえ理解できていないと思います。
目の前のひとつの課題さえなんとかなればあとがどれほどめちゃくちゃになろうともかまわない、というシングルイシューアプローチを統治機構がナチュラルに行っている、ということへの違和感も自覚も誰も抱いていないらしい、というところも驚きです。
個人の気持ちや覚悟や政治決断がどうとかいう問題ではないのです。
「常磐もの」の呼称は、築地市場で使われていたもので、地元でも大多数の人は震災後に、電通が宣伝用に使い始めて、初めて知った人が大多数だと思います。
そして、この常磐ものブランドを支えていたのは、沿岸漁業、特に相馬側です。
風評払拭に政府と福島県がものすごい金額を注ぎ込むので、漁業に限らずあらゆる場面で、原発事故前がよほどすばらしい楽園だったのかといわんばかりの雰囲気になってしまっていますが、事故前も多くの問題を抱えていたわけで、それを見据えた上できちんと地に足のついた議論をしていかなければ、まだ時間と予算を浪費するだけになると思います。
政策的問題を政策として語ることができないのは、ひとえに記者とメディアの勉強不足であり、基礎的な力不足であると思います。
メディアは、この手の問題を、個人の覚悟や努力といった情緒に落とし込んでなにか伝えた気になるのは、いいかげんやめるべきでしょう。
これは、個人の気持ちひとつでどうにかなるような問題ではなく、統治機構の政策執行の不味さですし、制度設計のできなさ、長期的ビジョンのもてなさなど、高度に政策的問題です。
覚悟や気合いや思いやりといったもので、どうにかなる次元の話ではありません。
私も、昨今の最終処分場と中間貯蔵施設をめぐる原子力行政と過疎自治体のモラルの崩壊は著しいものがあると感じています。
いずれにせよ、日本の人口減少の速度を考えれば、手を挙げた自治体の存続は厳しいでしょうし、ましてや、金以外には夢も希望もない、モラルもなにもない(雰囲気が悪い)地域に、意欲的な人たちが残るとは考え難いので、最終的に、高齢者(と廃棄物施設)だけが地域に残されることになるのではないかという気がします。
風知草:えげつない最終処分事業=山田孝男 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20230821/ddm/002/070/092000c
「最終処分事業というのは<徳のない行政>の最たるものですね。困っている相手の弱みにつけ込み、札束で頰をたたくというやり方はおかしいでしょ? それが公然と行われ、誰もおかしいと言わない。でも私はおかしいと思う」
ホタテ相場の全体が値崩れを起こしていて、アワビや牡蠣でも同様の状況になりそう、とのことです。
相場全体の値崩れは、日本全国に及びますので、直接的な輸入規制による損害の及ばない範囲にまで広がることになります。
宮城・茨城はもともと風評への賠償が薄く、不満も蓄積されているところなので、賠償で補填されてきた福島よりもはるかに不公平感は強いと思います。
「7月7日には、中国政府が処理水放出の方針に反対し、水産物の輸入規制を強化。道内の業者が、輸出分を国内向けに振り向ける動きに拍車をかけた。」
三陸ホタテ、止まらぬ浜値の下落 放出前に始まった処理水の「被害」:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR8L63XGR8KUNHB00H.html #福島第一原発の処理水問題
末端の理解と安心感が得られていないのがわかるのは、ここのところ、取材に対して名前出しで政府対応への不満と不信を表明する人が増えているからです。
これまでは、漁業者はもちろんのこと、地元の人は処理水についての取材を受けたがりませんでしたし、取材を受けたとしても名前出しはNGでした。
表立って反対はしないで、政府の対応を様子見していたわけです。
それがここに来て、名前と所属まで出して反対意見を表明する人が増えている、ということは、それだけ政府の対応を身限り始めた人が増えてきている、ということを意味します。
風評の「予言の自己成就」は、消費者や流通サイドでも発生しますが、生産者側でも「起きる起きる」と思っていれば、軽微な影響であっても強い被害と認知されやすくなるものです。(社会心理学的に確認されている現象です。)
そういう意味でも、生産者サイドの末端レベルにまで十分な理解と安心感を持ってもらうことは重要だったのですが、どうもそういう感じではなさそうな雰囲気です。
作家/NPO福島ダイアログ理事長/博士課程後期在学中 原子力災害後の復興政策と地域住民のギャップを埋めるためのローカルプロジェクトの意義と重要性について研究する予定。・著書『海を撃つ』(みすず書房) 『スティーブ&ボニー』(晶文社) 『末続アトラス2011-2020』(福島のエートス)寄稿や講演・講義のご依頼承ります。業績については、researchmapをご覧ください。連絡先:スパム予防で全角にしてあります。全体を半角英字に、(@)→@に置き換えてご送付ください。 ryoko_ando(@)me.com
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