浜通りの場合は、家庭では女性が超人的な働きをして、男性のわがままや思いつきを支えてきた、という側面も忘れるべきではないです。
地元の年配の女性方の、すさまじいというほどの万事抜かりなく行き届いた差配にはいつも感服しますが、これが常に要求されてきた=このレベルを維持できない女性はここにはいられなかったのだろう、といつも思います。
浜通りの場合は、家庭では女性が超人的な働きをして、男性のわがままや思いつきを支えてきた、という側面も忘れるべきではないです。
地元の年配の女性方の、すさまじいというほどの万事抜かりなく行き届いた差配にはいつも感服しますが、これが常に要求されてきた=このレベルを維持できない女性はここにはいられなかったのだろう、といつも思います。
伝統的に意思決定層・権力保持層が無能な日本社会がうまくまわっていたのは、社会変化が小さかったため、リーダーシップをとることが必要とされなかったことに加え、下で働いていた勤勉で有能な労働者たちが、気を利かせて万事行き届くようにあらかじめ計らい、意思決定層はそれに頷くだけ、という体制だったからなのに、そのことを忘れて、無能でふんぞり返っているだけが取り柄の意思決定層に立案から権限まですべてまかせてしまったら、悲惨な結果にしかならないのは目に見えていた(=イマココ)だと思います。
いずれにせよ、社会変化が大きな時代に突入した時点で、「詰み」であったとは思いますが。
戦争トラウマが、戦後のDVにつながったのでは、という最近の記事を読んで、ちょっと気になったのでした。
あのときの、あの場所の、あの不穏な空気感を知らなければ、線量計だけもたされて津波の遺体捜索現場に行かされる、ということがどういう状況なのかは想像できないかもしれませんが、精神的にはかなり厳しい状態であったということはいえると思います。
測定は、測りっぱなしで結果だけ回収して、本人ときちんとコミュニケーションを取らない、というのは、「最悪」のやり方なんです。
本人には深いトラウマが残りますし、測定させた組織などには根強い不信感を持ちます。
いわゆる「人体実験」と指弾されるやり方で、こんなことをするならば、測らない方がまだマシ、というくらいに、最低最悪のやり方です。
これは、原子力や放射線の関係者は、胸に刻み込んで理解しておいてほしいことです。
「不信感」と書きましたが、これはかなりマイルドにした表現で、実際には「憎悪」と言っていいくらいの強く深い感情です。原発事故後、多く見かけました。
私以外の人も多く経験しているはずなのですが、健忘症を国民性とする日本人は、きれいさっぱり忘れているのでしょう。
相馬広域消防の方からは、事故直後にいちど直接お話を伺ったことがあります。
彼らは職務にあたって守秘義務があるので、個人的な雑談のなかで聞いた話ですが、遺体捜索現場にふれたときに、込み上げてくる吐き気を抑えていました。
さらに過酷だったが放射能汚染で、飯舘村はプルームが流れてきたため、線量がかなり高く、消防の人たちは、電子型の個人線量計を配布されてもたされていました。
その線量計の数値は、本部には報告されるものの、装着している本人には、まったく説明がなかったとのことで、記録さえもらえなかったので、私のあった方は、自分のメモ帳に個人的にメモを毎日とっていました。
非番の日を除いて、几帳面な文字で記録してある数字を私に不安そうな表情で見せてくれたことを思い出します。
少し状況が落ち着いてからは、メンタルケアの呼びかけもあったそうですが、通り一遍の呼びかけだし、仮に不安があってもそんなのに本当のことは喋らない、と言っていました。
10年以上前の話ですが、その後の対応はきちんとなされたのだろうか、とずっと気になっています。
線量計の数値は、飯舘村の場合は、私が住んでいたいわきとは桁が明らかに違い、まともな説明もなしに放置されれば、誰だって不安に思ってあたりまえだと思いました。
相馬広域消防のパワハラで少し気になっているのは、これに原発事故は関係していないのか、ということです。
相馬広域消防は、飯舘・相馬・新地・南相馬の4つの自治体なのですが、これらの自治体はすべて津波か放射能かで大きな被害を受けており、特に津波の捜索では、消防は最前線で遺体捜索にあたっていたはずです。
原子力災害の放射能汚染への恐怖があるなか、悲惨な被災地で捜索にあたるというかなり過酷な作業をしていたはずで、おそらく、東日本大震災のなかでももっとも過酷な現場であったのではないかと思います。
「やめろ」「死ねばいいのに」掃除機投げつけ、ドリルの刃を頬に…消防職員4人のパワハラ認定 福島
https://news.yahoo.co.jp/articles/a27d8f6157010aeb99f2a93b4a2a0aa7dca549aa
自営業の確定申告の経理中に、政倫審の中継を聞くと、お腹の奥底からイライラが込み上げてくるものがあります。
特に「しっかりと政治活動に使用している。納税するつもりない」の字幕は、エンドレスにイライラを誘う効果があります。
対話活動をしていると、「話してわかりあう」という世界をめざしているのかと思われがちなのですが、どれだけ話しても、基礎的な生存条件が折り合わなければ、話してもわかるなんてことは不可能、と断言してもいいと思います。
対話するのは、第一には、自分がどれほど生存条件の異なる他者のことをわかっていないかを自覚するためで、第二には、異なる他者のなかで自分がどう付置されているかを理解するためで、最終的には、どこをどうやれば折り合えるのか、自分はどこが折り合えて、どこが折り合えないのか、わかりあえない者どうしが探るため、ではないかと思います。
私のように、好きに意見を言っている女性は、移り住んできたエリート男性から、露骨に無視されることが結構あるので、かなり辛辣に見ている、ということは書き添えておきます。
意思決定権限を持っている地元高齢男性陣と強固に結びついて、自分の意見を通せる立場の移住エリート男性にしてみれば、私は、横からやいややいやケチをつける「うっさいやつ」にしか見えないのだろう、と思います。
男性の有力者や著名人が移り住んできた、と伝える時の、記者を含めた地元の男性の役職者たちの異様な盛り上がり方は、本当にホモ・ソーシャルを形成するタイプの男性は、(肩書付きの)男性(だけ)が好きなんだなぁ、と思います。
こうして、どんどん男性のホモ・ソーシャル インナーサークルが強固に形成されていって、女性の声はますます反映されなくなっていく、というサークルが起きているのも、福島の浜通りの特殊な事情だと思います。
お見せしたいくらいです。どれくらい高齢男性陣が、東京からやってくる肩書持ちの優秀なエリート男性に目を輝かせて、テンションを上げているか。
あと、私は、現場レベルを除いて、肩書付きの女性が浜通りの被災地に移住してきた事例を知りません。(半移住を含めて)
それがなぜなのか、という点も含めて考えていただきたいです。
自分が気づかなかったことは反省しても、自分が本来聞くべき人たちの意見を聞いてこなかった、という点は反省しないんでしょうか。
警句を発していた人たちを「めんどうくさい連中」扱いしてきたのではないですか?
こういう「漢気」で、地域に移り住んできた東京の役職者に対して、男性記者は異様に甘いんですよね。
ああ、またここで男性インナーサークルが形成されている、とため息つくことが、非常に多いです。
…安倍さんが、被災地グルメ参りをしていた時には、全然、そんなこと気にかけてくれなかったのに、自分が住んで初めて気づいた、と言われても…。
一部の自治体の地元住民のなかには、計画段階で、こんな無謀な計画をやめた方がいい、施設維持費だけで自治体財政がパンクする、と住民説明会などの場で主張した人もいたはずです。
それなのに、自治体や首長の意見だけ聞いて、住民の意見に耳を傾けなかったのは、復興庁ではないですか。
「東日本大震災の復興予算は総額約33兆円に上る。巨大な事業によって被災者を救済してきたつもりだったが、現場で起きている矛盾には、「住んでみないと分からないものがある」という。」
(Another Note)誰のための復興なのか、東北の「失敗例」継承して 大月規義
https://www.asahi.com/articles/DA3S15872883.html
福島県庁も同じなので、県庁というのは、そもそも、そういうところなんじゃないか、と最近思うようになっています。
直接に住民と触れる機会もほとんどなく、庁舎のなかで、ギョーカイの人間としか接触しないで、そのわりに権限は結構持っている、という状態になると、勘違いしやすくなるのでは、と。
県庁という組織そのものが必要ないんじゃないか、と思うのは、こうなると、なんのための仕事なのかを容易に見失って、組織の保身と維持だけが自己目的化してしまうからです。
「能登半島地震の発生前から感じていたことだが、石川県はトップの知事を筆頭に、幹部たちの〝勘違い感〟というか〝ズレ感〟が半端ない。」
https://www.asahi.com/articles/ASS2P6X54S2PPISC004.html?comment_id=22753&iref=comtop_Appeal6
炊き出しのような、細かな地域事情を知らなくてもできる仕事は、支援関係の人がしてあげられると一番いいと思うのですが、能登地震はボランティアに入っている人が少ないのが難しいところです。
東日本大震災の支援を見ていて思うのは、最初に被災地に訪れて衝撃を受けた人や、被災経験を共体験した人ほど、長く関心を持って、関与し続けてくれる、ということです。
今回は確かに、水もなく交通手段もなく、受け入れが難しかったとはいっても、入る人を絞りすぎてしまうと、被災状況を共体験してくれる人そのものが少なくなることにつながり、そのことが、風化を早め、長期的な支援の継続を細めることにつながることを危惧しています。
人間ってどれだけ理屈でいいことをいっていたとしても、やっぱり、心に鮮烈な印象を残したことにしか長くはかかわれないものなんです。
ボランティア邪魔だ論は、そういう意味でも、非常に罪深かったと思います。
石川県庁などの行政も、あまりコントロールしようとしすぎない方がいいと思います。
どちらにせよ、高齢化に加え、生活条件が苦しくなっていることから、ボランティアに入る余力がある人は、13年前よりもぐっと減っているはずです。
避難所もそうですが、仮設住宅も世話役になるの地域住民=被災者 and 行政担当者(もしばしば被災者)は、相当な負担になって、そこからバタバタ力尽きていくというのは、被災地で多く起きることなんです。
行政は、連携協定を結んでいる自治体から支援が入るとはいっても、数週間や数ヶ月交代の場合、実際問題、指示を出す方が大変であまり助けにならない、ということも日常だと思います。
「被災した住民自ら炊き出しを行う機会が増え、大きな負担になっているといいます。
炊き出し班の柴田寿美香さんは「震災からがんばってきたが、ほんとうに精一杯です。避難者が仮設住宅に入るまでは炊き出しの支援を続けて欲しい」と話していました。」
輪島市の避難所でボランティアの炊き出し支援が減り住民負担に
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kanazawa/20240225/3020019249.html
Bluesky のアカウントは作ってはいるのだけれど、Twitter的な「みんなと同じようなものを見せられている」状態になるのは変わりなさそう、というのは私も思いました。
だとすると、広告宣伝としてしか使いようがないし、かといって、私が広告宣伝に的を絞った内容をポストしても、あまり宣伝効果も高くないだろうしなぁ、と思って、作ったっきり放置してます。
「あなたと私は違う世界に住んでいるのだから、それぞれ別に生きていきましょう」と(言外に)言えない世界は、お天気か宣伝広報の情報しか出せないし、それ以外のものを出したら、これまでにみてきたようなソーシャルメディアの修羅世界が広がるだけというのは変わりないような気がする、というのが私の印象です。
マストドンがいいのは、システムの設計としてあらかじめ「あなたと私は違う世界に住んでいるのだから、別々に生きていきましょう」が織り込まれているので、「みんなと同じようなものを見せられている」から起きる人間関係のトラブルが起きにくいところなんだと思います。
損害金額の大きい花王や資生堂などは、手続きの煩雑さを考えて、東電への賠償請求はしていないのかなと思うのですが、どうなんでしょうか。
「本業のもうけを示す営業利益は同45・5%減の600億円、純利益は同49%減の438億円だった。中国での紙おむつの生産停止や化粧品ブランドの統廃合などの構造改革費用547億円がかさんだ。」
花王、中国事業が「想定以上の落ち込み」 化粧品の不買運動が響く
https://www.asahi.com/articles/ASS2763TZS27ULFA01V.html
長期にわたる事業は、必ず大なり小なりトラブルが起きるのはあらかじめわかっていたことだと思います。
だから、開かれた形の地元と事業者の協議体を作っておいたほうがいい、と少なくない人たちが指摘していたわけです。
なにがなんでも、ステークホルダー・インボルブメントの機会を増やそうとしない日本の行政当局の姿勢は、時代錯誤的だと思います。
過去の事例から見ても、ステークホルダーを意思決定に含めていかなければ、事態は落ち着かない、という専門的知見は積み重なっているのですが、お墨付きに使える「科学的に正しい」以外の知見はテコでも取り入れようとしない。
こういう硬直的な姿勢が、日本をどんどん凋落させていっている、ということに意思決定層には気づいていただきたいです。
「福島第一原子力発電所では、この5か月で、汚染水の処理作業でのトラブルが相次ぎ、地元からは不安や疑念の声があがっています。」
汚染水トラブル 地元からは不安や疑念の声
https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20240224/6050025407.html
毎日の独自記事。
やや込み入った話なのですが、下記にあるように、事故以来、立ち入り禁止の帰還困難区域には、15歳未満の子どもと妊婦は、立ち入り自粛要請をされており、自分の家にも10年近く足を踏み入れられない、みに帰ることもできない、という状況が続いています(いました)。
にもかかわらず、中間貯蔵施設の見学には、15歳未満も許可しており、元自宅があった子供は帰れないにもかかわらず、見学の子供は入れる、というおかしな状況になっています。
なにがわるいの?と思われる方もいるかもしれませんが、公平性の観点から考えて、明らかにおかしいです。
そして、これはサイト内立ち入りについても同様であると思います。
「内閣府と地元自治体は15歳未満や妊娠中の人に引き続き自粛を要請。幼少期に避難した子どもが15歳になってから、事故後初めて故郷に足を踏み入れるケースがほとんどだ。」
東日本大震災13年
「中間貯蔵」見学だけ緩和 15歳未満・妊婦立ち入り、自粛要請 帰還困難区域、自宅は継続なのに
https://mainichi.jp/articles/20240223/ddm/041/040/091000c
しみじみ同意する記事でした。
行政のマニュアルや大学の先生がなんぼいても、実際に動く「人」は少ないし、そういうところには「金」は回ってこないのです。
行政の指揮下に入らない「野良ボラ」が、アクロバットなことをやり続けて、ぎりぎりのセーフティネットを支えている、というのが実情だと思います。
これは、災害以外の場面でも同じなのだろうと思います。
そこで「野良ボラ」を叩いて、役にも立たない行政のマニュアルや、口先だけの委員会を増やしてなんの役に立つのか、と思います。
私自身も「野良ボラ」でしたので、余計にそう思います。行政の指示に従っていたのでは、被災地のセーフティネットはまったく機能せず、困窮する人がますます困窮するだけです。
「被災地でいつも感じるのが、視察や調査をされる大学の先生といった『目』や『頭』は多くても、現場で苦しんでいる人を救う『手』や『足』や『お金』はないという実態です」
計画・マニュアルだらけの防災 危機管理アドバイザーも「うんざり」
https://digital.asahi.com/articles/ASS2L42BHS2FUPQJ012.html?ptoken=01HQ49HSW7HQCRVQYJVEK1W50D
あと、ブラタモリの、女子アナがお笑いでいうところの「ボケ」で無知を強調して笑いをとる番組構成などは、最低に女性蔑視視線を拡大再生産していました。
今日も、男性優位分野の女性の研究者の人と話していて、若い頃から、男性研究者に「これは難しい話だからキミにはわかんないかもしれないけどね」と日常的に前置きをつけられて話をされてきて、そういう扱いがベテランを過ぎようとする今でも続いている、という話をしたばかりです。
「キミは、まあオンナだからこういう難しい話はわからないかもしれないけどね」という扱いに苦しみ続けている女性がどれだけ世の中に多くいると思うのか、NHKの人たちは全員研修を受けるべきだと思います。
作家/NPO福島ダイアログ理事長/博士課程後期在学中 原子力災害後の復興政策と地域住民のギャップを埋めるためのローカルプロジェクトの意義と重要性について研究する予定。・著書『海を撃つ』(みすず書房) 『スティーブ&ボニー』(晶文社) 『末続アトラス2011-2020』(福島のエートス)寄稿や講演・講義のご依頼承ります。業績については、researchmapをご覧ください。連絡先:スパム予防で全角にしてあります。全体を半角英字に、(@)→@に置き換えてご送付ください。 ryoko_ando(@)me.com
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