炊き出しのような、細かな地域事情を知らなくてもできる仕事は、支援関係の人がしてあげられると一番いいと思うのですが、能登地震はボランティアに入っている人が少ないのが難しいところです。
東日本大震災の支援を見ていて思うのは、最初に被災地に訪れて衝撃を受けた人や、被災経験を共体験した人ほど、長く関心を持って、関与し続けてくれる、ということです。
今回は確かに、水もなく交通手段もなく、受け入れが難しかったとはいっても、入る人を絞りすぎてしまうと、被災状況を共体験してくれる人そのものが少なくなることにつながり、そのことが、風化を早め、長期的な支援の継続を細めることにつながることを危惧しています。
人間ってどれだけ理屈でいいことをいっていたとしても、やっぱり、心に鮮烈な印象を残したことにしか長くはかかわれないものなんです。
ボランティア邪魔だ論は、そういう意味でも、非常に罪深かったと思います。
石川県庁などの行政も、あまりコントロールしようとしすぎない方がいいと思います。
どちらにせよ、高齢化に加え、生活条件が苦しくなっていることから、ボランティアに入る余力がある人は、13年前よりもぐっと減っているはずです。