当然、日本が植民地支配のど真ん中を猛進してきたこと、いまもその気質を失っていないことも、同期の多くは気がついていないだろう。戦争を起こし、隣国を支配してきたという歴史的事実は知っている。しかしそれが意味することは理解していない。
Notices by R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com), page 3
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Thursday, 13-Jun-2024 22:59:51 JST R sekiguchi -
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Thursday, 13-Jun-2024 22:59:51 JST R sekiguchi 「コロンブスは新大陸を見つけたすごい人」という認識が世間一般のスタンダードであり、それが植民地支配や先住民の絶滅に関係する事柄であるという認識を持っているのは、極々少数でしかない。ソースは私。私は法政大学を出ているある程度の知的エリートだけど、修士に進まなければ前者の認識でとまっていたので。同期の多くは植民地支配という言葉は知っているかもしれないが、それが意味する「重さ」については知らないだろう。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Thursday, 13-Jun-2024 22:59:51 JST R sekiguchi コロンブスの表象に対する批判で「歴史を少しでも学べばこんなことにはならない」というものがあるけど、むしろ「少しだけ」学んだからこそこうなるんだと思います。植民地支配とか国家権力による暴力とかについては言及されないまま、あるいはある種の「偉業」として紹介されるため、言ってしまえば「なんかすごい人」という認識にしかならないわけです。江戸幕府のさまざまな政策が「260年もの平和な時代を築いた」ものとして肯定的に(少なくとも民衆に対する横暴な支配として批判はされないまま)教えられるのが、ほとんどの学校教育の環境なはずなので。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Monday, 10-Jun-2024 08:11:39 JST R sekiguchi サムネイル出なかった。
遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史』(明石書店)ですね。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Monday, 10-Jun-2024 07:27:39 JST R sekiguchi この国の政治および国家権力は「(かれらが「純日本人」であるとみなした者以外の)外国人」なるものに対して、常に「利用したいが排除したい」「排除したいが利用したい」という矛盾する欲望を満たすためにあらゆる仕組みを整えてきた、その最たるものが戸籍と国籍に関する仕組みである、ということがよくわかる1冊でしたね。もちろんその基本姿勢はいまも踏襲されているわけで......。たとえば大坂なおみやヌートバーは「日本人」として利用するが、入管や永住権関連は排除のためにその法を整備する。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Friday, 24-May-2024 05:11:52 JST R sekiguchi 「本屋を応援するために新刊書店で本を買おう」が実質的に「パンかバラか選べ。バラを選ばないお前は心がない。花屋がなくなってもいいのか」という暴力的な要請になっていることに無自覚な者が、本を愛する者には多い。パンすら選べない者がたくさんいることは、まったくもって頭にない。ゆえに「パンもバラも買えるようにしよう」という道筋が浮かばない。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Saturday, 04-May-2024 20:46:04 JST R sekiguchi 福嶋さん、基本的に「差別とたたかうべきだ」という姿勢で、それ自体は間違ってはいないんだけど、たたかうべきなのは「差別に耐えうる状況にある者」であって、全員ではないんですよね。福嶋さんの脳内にはカウンターの人たちが浮かんでいるのかもしれないけど、反差別を主張する者らの中には当然ながらマイノリティ当事者もいて、かれらはむしろ「たたかいから逃げるべき」なのだけど、そこをまったく見てないように思える。つまり我々がたたかうのは、マイノリティがたたかわずに逃げられるようにするためで、でもアリーナ論だとそのたたかいにマイノリティが巻き込まれてるよ、というのがアリーナ論への批判だということ、もしかして気がついてないのかな。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Saturday, 04-May-2024 20:46:04 JST R sekiguchi もはや本屋は言論の主戦場ではなく、現代の主戦場であるSNSに議論の「タネ」を供給するための場でしかない。そしてどの「タネ」が選ばれるかについてもパワーバランスの影響があるため、たとえ本屋店頭にある数が少なくても、ヘイト言説のほうが採用されやすい(採用されてSNSに投稿されたあとの影響力も大きい)。
例:トランス女性に対する差別が圧倒的に存在する社会においては、「トイレで云々」という言説があればそれが強烈な勢いでもって活用されることになる。これはヘイターだけに限らない。トランスの存在すら知らない者も同様に、「そんな危険なやつがいるのか」という反応になる。そしてそれが印象に残り、「気軽に」SNSに投稿されることでまたその「危険言説」は強化される。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Saturday, 04-May-2024 20:46:04 JST R sekiguchi 毎日本屋に行く者<×∞ 毎日SNSを見る者
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Saturday, 04-May-2024 20:46:04 JST R sekiguchi 起こったことや考えたことを気軽にSNSに投稿するのが現代社会であり、そこではあまりにも「気軽に」自覚のない差別が投稿されている。マイノリティはそれを目にする。本屋からヘイト本が一掃されたところで「ヘイト」は日常に溢れているし、それを我々は目にしている。ただしそれは意識しなければ気がつかないのだけど、それは本屋店頭だろうとSNSだろうと同じこと。本屋にアリーナができていてもほとんどの者は気がつかない。書店員自身がヘイト本であることに気がついていない場合もあるのだから。
そして、やはり我々出版業界人は「人はみな本屋に行くものだ」ということを前提としすぎている。本屋に行く者よりSNSを開くことのほうが多いことなど、考えるまでもないのだけど。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Saturday, 04-May-2024 20:46:04 JST R sekiguchi 福嶋が店頭からヘイト本を外さないのは「本を外したところで社会にあるヘイトはなくならない」「むしろ店頭から外すことでヘイトの存在そのものも隠蔽してきまう(から抵抗できなくなる)」という理由もあるようだけど、いまや「言論」の場は本屋店頭ではなくSNSに映っているということが、理解できていないように思える。
差別やヘイトに活用できる「タネ」を見つけた悪意ある者はそれをSNSでの投稿に盛り込む。仮に本屋からヘイト本が消えたところで、残念ながらその「タネ」はどこにでもある。そして、本屋にあるヘイト本を「抵抗」のために読むのはその時点で反差別の意識がある者に限られており、多くの読者は気にせずに済む者としてのマジョリティである。ゆえに、ヘイト本を目にした者の反応の多くは「本屋で見かけただけの知識をもとにした、悪意のない差別意識の開陳」にしかならない。意図的に差別したい者は言わずもがな。 -
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Saturday, 04-May-2024 20:46:04 JST R sekiguchi どうやら本人も世代交代を望んでいるようなので、そうなるように18日は気張っていくわけだけども、世代交代するには業界からの「承認」が必要ですからね。期待はできない。そして世代交代したとして、今度は私が権威になってしまうのならまったくもってよろしくない。アリーナ論への批判と実践はいろいろな本屋がやっている、そういう時代になっているのだから、私の反アリーナ論だけを正解とみなすべきではない。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Saturday, 04-May-2024 20:46:04 JST R sekiguchi 正直、福嶋さんがかわいそうな面もあるんですよね。2010年代の出版業界で差別やヘイトについてここまで考えてかつその意見を外に表明してるの、福嶋さんくらいしかいないんですよ。だからアリーナ論という言説(と福嶋さん)だけが抵抗手段になってしまったし、参照すべき権威になってしまった。だからいまだになんらかの差別ヘイト事案が起こると福嶋さんに意見を求めるメディアが現れるし、福嶋さん以外の意見は「その他匿名」の意見としてしか扱われない。福嶋さんがいまだにアリーナ論を提唱してるのは、批判する人が業界内にいなかった、いたとしても「権威」じゃないから無視されてたのが原因だと思う。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Saturday, 04-May-2024 20:46:04 JST R sekiguchi 本の中ではもちろんだし、SNS上でも「差別とたたかえる」のはある程度の力や地位を持っている者なんだけど、むしろまなざすべきはそのたたかいに参加できない/すべきではない者らがいる(がそれは不可視化されている)、というそのことなんだと思う。
でも、反差別への意識があればあるほど「ヘイターvsカウンター」というような図式のたたかいばかりを見ることになるから、この世には「自分(の言葉)でたたかえる者」しかいないように思えてしまうのかも。だから「アリーナでたたかえ(ば勝てるはず)」になる。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Saturday, 04-May-2024 20:46:04 JST R sekiguchi 福嶋さんの本を読んでると、私よりもずっと差別やその周辺のことに関する知識があって、だからなんでこの人こんなに「距離が遠い」のかが疑問なんですよね。その答えのひとつが「本を読める/本屋に来れるのは(知的)特権階級でもある」ということを理解してないことにあるのかも。人間というものはみな本を読めるのだ、と思ってる節がある。読めるというのは、文字通りに読めるということと、「書いてあることを正しく理解できる」という意味の読める、この両方。むしろ、ほとんどの人間は本など「読めない」し「読まない」と思うんだけどね。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Friday, 03-May-2024 17:47:52 JST R sekiguchi なんらかの本の形になって世に放たれているものは、なんだかんだでそれだけの「権威」や「地位」があるからこそできるもので、本に書かれたマイノリティの言葉だけを読んでいても「実態の理解」は完全にはできないんですよね。もちろん、「SNSに投稿できる」ということも同様。SNSにすら姿を現せない状況に追い詰められてる者がたくさんいるし、もう存在しない者もたくさんいる。そういう「重み」を業界人は体感することがない。本という知的特権を享受できるエリートだから。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Friday, 03-May-2024 17:47:52 JST R sekiguchi 〈募集〉
「言論のアリーナ」的な書店(もしくはそれ以下のただの無頓着書店)に行ったときにどのような気持ちになるか、あるいはなぜそのような場所には行けないのか。もしくは、書店店頭にかぎらず、差別がいたるところに存在する社会において生活をしなくてはならない、そのことがもたらす各種の苦痛や実害。みなさんの声はイベント時に共有できればいいな......と思っています。マイノリティとしての地位を規範や社会環境から押し付けられてしまっている者がどのような生を強いられているのか、業界人の多くは知らないので。
要領をえない文章でも大丈夫です。返信やbooks.lighthouse@gmail.comまで。もちろん匿名でOKです。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Friday, 03-May-2024 17:47:52 JST R sekiguchi 福嶋さん、たぶんSNSなんてまともにやってないよね。この「距離感の遠さ=他人事感」はそれが原因なのかも。福嶋さんは「SNSなんかやらなくてもいい」特権を享受してるとも言える。逆に、マイノリティは「SNSをやらざるをえない」状況にある(場合が多々ある)。そしてそのSNSの場で差別を受ける。書店の店頭や書籍の中で起きていることしか認識できていないのではないか。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Friday, 03-May-2024 17:47:52 JST R sekiguchi 興味がない、または単純な認識ミスであっても、マイノリティに関する事柄であれば、それは当事者にとっては致命的な加害になりうる。それを防ぐための注意喚起は、十分すぎるほどやってもまだ足りない。なぜなら我々は興味関心のない物事はテキトーに認識するから。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Friday, 03-May-2024 17:47:52 JST R sekiguchi 大谷翔平の所属球団を間違えることは悪意からではないし、私の名前を読み間違えるのも知性のなさからではない。単に興味がないだけ、あるいは単純な認識ミスである。これらのミスはたいしたことではないが、マイノリティに関する誤った知識を「事実として認識する」ことになり、それをそのまま他者のいる場=社会において拡散した場合、それはその者に悪意がなくとも加害になる。