言論のアリーナにしていれば、自ずと正しい意見=差別ではない言説が選び取られるはずだ。という認識は、あまりにも我々の「認識能力」を過信している。これは「知性の有無」の問題ではなく、認識能力の問題であり、認識能力は「興味関心のないもの」に対しては無意識のうちに低下する。言論のアリーナを構築するのならば、それを前提としなければならない。
また、我々は想像以上に見ていないし読んでもいない。お店の外に「CLOSE」「営業時間外」という看板を出していても入店してくる者はたくさんいるし、「関口竜平(せきぐちりょうへい)」とふりがなを振っても「りゅうへい」と読む者がたくさんいる。我々人間の認識能力を過信してはならない。これはその者の知性を見くびっているわけではない。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Wednesday, 01-May-2024 09:39:25 JSTR sekiguchi