言論のアリーナ=民主主義の場を成立させるには、その前提条件として「その場に誰もがいられる」環境=セーファースペースを作る必要がある(実際にはそんな環境は成立不可能ではあるが、だからこそそれを目指さなければならない)。言論空間に参加することができない者がいる以上、そこは言論のアリーナではない。
しかし、福嶋の言論のアリーナ論を知っている者の多くは、高価な人文書を買えたりそれを読んで理解ができるだけの能力がある者に限られている。いわば我々は知的特権を享受できる強者であり、そんな強者からは「認識できていない」世界に生きている者、生きることを強いられている者がいることを、我々は認識しなくてはならない。我々が「十分に安全だ」と思っているアリーナは、かれらにとっては決して安全ではない(が、「気にせずに済む者」である我々はそれに気がつけない)。
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R sekiguchi (gucchi_penguin@fedibird.com)'s status on Wednesday, 01-May-2024 09:39:26 JSTR sekiguchi