おじさんが並んで「狙うは女子」って、気持ち悪いのが自覚できないのがおかしい。
From: @asahi
https://rss-mstdn.studiofreesia.com/@asahi/113037333604137703
おじさんが並んで「狙うは女子」って、気持ち悪いのが自覚できないのがおかしい。
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一方で国際機関である欧州中期予報センターのモデルだと同じ時間の予測はこんな感じ。かなりズレますな。
このサイト知らなかった。日本の気象庁の数理モデルMSMがきれいに可視化されている。下は29日木曜、朝2時の予測値。
ホントにガザにいたのか、とか、ガザにいなかった、とかデマがツイッタで流れているが、この国境なき医師団のTanya Haj-Hassan医師は、昨年の11月にはイスラエル軍に包囲されたガザのal-Shifa病院から、我々は明日まで生きられるかどうかわからない、という声明の動画を配信している。
経歴を見かけたが、学部はスタンフォード大学、英国オクスフォード大学で医師免許、フィラデルフィアの病院の小児科所属のアメリカ人。
2024年5月に公表された、Tanya Haj-Hassan医師のインタビュー記事がある。
https://www.thenation.com/article/world/tanya-haj-hassan-interview-gaza-healthcare/
ガザの医療現場で医師や看護師たちがイスラエル軍によって組織的に拉致・監禁・拷問を受けているという話を始め、現場で目にして耳にしてきた話は強烈である。その結果、次のような結論に至っている。MTは記者(だが、医師でもある)、THHがHaj-Hassan医師である。おそらく世界の多くの人が感じている普遍的理念の崩壊を、その最前線で語っている部分である。日本語にする。
数日前のミシェルオバマによる米国大統領候補ハリスの応援演説は感動的で素晴らしかったのであるが、そこで語られた人が人のために生きる良き社会を作ろうという意志と、米国が支援するガザのジェノサイドはあまりにもかけ離れている。米国のウチとソトは巨大な壁で分たれており、ミシェルオバマの声はその壁の向こうなのだ。結局そこに普遍性はなく、逆に自分の国の中が愛で満ちるためには外で民族が丸ごと虐殺されても仕方がない、という全体のメッセージなのである。
この医師はおそらくアメリカ人だが、その壁に穴を穿ち、まさにそのウチの中心である民主党大会の場で壁のウチとソトを繋ごうとハーケンを岩盤に打ち込んでいる。
凄絶。国境なき医師団の医師によるガザの状況。
https://x.com/soga_taichi/status/1826933410851426613?s=61&t=E_F4hlk9xxXJr-PQf6tIQw
そうめんはどこの国の人でもたいてい目をまるくして「うまい」というが、この全粒粉そうめんは、さらに段違いにうまかった。
憲法前文をしっかり解釈するという授業を中学校でやったらいいと思うけど、してないよなー
戦争を生き延びた日本のインテリ、アメリカから派遣されてきたインテリ、いずれもとても若い人たちが焼け野原の中で共同作業で理想主義をぶちこんで作り上げたあのタイミングでしかありえない名作である。憲法はそうでなければいけない。
22時半すこしまえに、最後尾で二人で歩いていた辻本さん(29)と中村さん(12)が一緒にゴールしてTJARは無事、閉幕。中村さんはこれまでにない頻度でツイッターで自分の様子などを投稿していたが、最後には今年のゴールの位置から東に数百メートルずれた2022年のゴールの場所までわざわざ寄り道して写真を撮り、「誰もいない…」というツイートを打っており、最後の最後まで、楽しい歩きぶりであった。
思えば北アルプス山中の最初の夜にも、他の多くの人たちがなるべく前に、と北アルプスの稜線を急ぐ中、さっさと五色ヶ原でビバーグすることを決めて周りとおしゃべりしたあとで「え、ぼくひとりぼっち?ひとりはいやだなあ」とか言い出しており、異端ぶりをそのころから発揮していた。
TJAR最終日。 ゴールから30km、最後尾から2番目グループの3人。もはや走らず歩きだが、8日目である。積算で2万メートルののぼり下りの後、普通に歩いているだけでも立派。昔、東海道沿いを東京から伊勢神宮まで歩いたことがあるが、平地、夜はきっちり飯炊いて野宿でも4日目ぐらいには脚が異様に痛くなるのだよな。「停滞日」とか作らないと無理だった。
中村さんのゴール後のインタビューでは、自分は北海道から下見もせずにやってきて、一気に日本アルプスを歩けるオトクなイベントとして参加したのである、と述べていた。これはウェブの自己紹介の文章でも述べていることと同じなのだが、私はその自己紹介文を日本にありがちな韜晦である、と勝手に読んでいた。
しかし、マジだったのである。つまり、なるべく速くゴールに辿りつく、ではなく、8日間をフルに使って日本アルプスを一気に楽しむ、というまったく別の価値観で実に計画的に行動していたのだ。暗くなったら寝る、朝1時頃起きて行動開始、しっかり寝ながら8日間でゴールに着くように移動していた、とのことで、これは私は意識しておらず「中村さん、またうごいていないなー」、ぐらいにしか考えていなかった。短時間睡眠を必要に応じて昼夜を問わずゲリラ的にとる他の方々の行動パターンとはあまりにちがい、より普通の登山、あるいは日常に近い行動である。異常な中の普通さに私が気が付かなかっただけなのであった。
長い距離を延々と歩く人々を眺めていると、お遍路やスペインのサンティアゴ巡礼路の巡礼者のようである。これらの旅路は宗教的な意味合いが込められているが、そのもっとも基礎の部分には、延々と歩くという過程がもつ人生それぞれの姿の圧縮効果があるからではなかろーか、と考えていたことがあるのを思い出した。
山でガイドをしていた時、下山路で客がまるで自白剤を打たれたかのように自分の人生を懺悔のように滔々と語り始めてとまらなくなるのを私は何度も経験しており、死ぬ前の走馬灯みたいだなあ、と思っていた。肉体が許容するギリギリまで歩くという行為は宗教性、あるいは心理セラピー効果を惹起するのである。そう考えると、TJARを走り抜けた人々は、それぞれの人生を8日間で体現した、まさに現代の山伏なのかもしれない。
トップで入った土井さんが肉体と睡眠をギリギリまで削りながら最短時間でゴールに飛び込んだ一方、最後にゴールした中村さんは「8日間をマックスで楽しむ」という価値観をみごとに成就させたことになる。実は、一緒に最後の道を歩いていた辻本さんも、同じような価値観だったようで、「予定どうり」と、ゴール直後のインタビューで述べていた。最後の90kmの舗装道、途中で二人が横沢のレストランに入り、かたやオムライスを食べ、かたやカルボナーラを食べたのちに、しっかりと巨大なデザートまで楽しんだあとで門限の1時間半前にゴールに到着したのは、「マックスで楽しむ」ことの大成功なのであった。
https://x.com/saroma1981/status/1825043500540539295
この時期といったら「火垂るの墓」なので下の子に見せようとと思っていたが、放映がないのであるな。調べたら2018年からテレビでやらなくなったそうである。
調べたわけではないが、安倍晋三一味の圧力も一部きっとあるだろうなあ。戦火がもたらす悲惨を子供達に知って欲しくない、聖戦を美談だけで埋め尽くしたい日本すげーの一派にとっては実に邪魔な文化的遺産、レガシーであろう。
それとは関係なくジブリはネットフリックスでも日本国内からの接続だと配信していない。欧州からだと全部見ることができる。権利関係の障害か何かだろうか。
まあ、そんなのに負けるわけいかないので探してみせた。
はたと思い出したが、私は幼稚園生だった頃に、駅の近くの路上に常駐していた二人組の傷痍軍人を見ている。日本の敗戦からまだ30年も経っていないのだから、戦闘で身体に障害を負った兵隊さんも当時は50代から60代であった。
明日で敗戦79年で、その頃から戦中までの年数の二倍以上の時間が、私が傷痍軍人を見ていた時から時間が経っていると思うと、自分もまた戦後の人間であったのだなー、と思う。
長崎の原爆被害者追悼集会に招待されなかったイスラエルに連帯しG7諸国欠席の件、政治的な左右とは関係なく、日本語圏ネット界隈ほぼ全会一致でイスラエル大使を招待しなかった長崎市を支持してG7の判断を批判している。もっともなことではあるが珍しい現象である。
2021年に日本は核兵器禁止条約に署名しなかった。核の傘を優先したということになるが、この時には署名をしなかった政府にこれほどの反発はなかった一方で、広島と長崎の追悼集会では核兵器の非人道性を糾弾するという相変わらずの欺瞞は継続していた。
今回の反発は、この10ヶ月映像で繰り返し報道された人道への犯罪そのものである民族浄化を行うイスラエルとそれを支持するG7に対する不信が追悼集会への欠席で決定的な否認になったことを意味している。核兵器は実際には使わないだろう、「西側」は今やそこまで野蛮ではなくなったという日本に一般的な感覚が全面的に決壊したのだろう。
この決壊は、「我らも野蛮になるべし。やられるわけにはいかない」という一派を生じさせる可能性大である。
イラン。日本時間8日午前10時。
気候変動に応じて習慣を変えない頑迷な人間から淘汰されてゆくわけだが、真夏の日陰のない甲子園で熱中症になって脳に不可逆な変性を起こした高校生は「夏の甲子園」開催に拘泥するその頑迷な大人の犠牲者である。
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