TJAR最終日。 ゴールから30km、最後尾から2番目グループの3人。もはや走らず歩きだが、8日目である。積算で2万メートルののぼり下りの後、普通に歩いているだけでも立派。昔、東海道沿いを東京から伊勢神宮まで歩いたことがあるが、平地、夜はきっちり飯炊いて野宿でも4日目ぐらいには脚が異様に痛くなるのだよな。「停滞日」とか作らないと無理だった。
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kmiura (kmiura@toot.blue)'s status on Monday, 19-Aug-2024 09:57:23 JST kmiura -
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kmiura (kmiura@toot.blue)'s status on Monday, 19-Aug-2024 09:57:21 JST kmiura トップで入った土井さんが肉体と睡眠をギリギリまで削りながら最短時間でゴールに飛び込んだ一方、最後にゴールした中村さんは「8日間をマックスで楽しむ」という価値観をみごとに成就させたことになる。実は、一緒に最後の道を歩いていた辻本さんも、同じような価値観だったようで、「予定どうり」と、ゴール直後のインタビューで述べていた。最後の90kmの舗装道、途中で二人が横沢のレストランに入り、かたやオムライスを食べ、かたやカルボナーラを食べたのちに、しっかりと巨大なデザートまで楽しんだあとで門限の1時間半前にゴールに到着したのは、「マックスで楽しむ」ことの大成功なのであった。
https://x.com/saroma1981/status/1825043500540539295pica.pica🇵🇸#StopGazaGenocide repeated this. -
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kmiura (kmiura@toot.blue)'s status on Monday, 19-Aug-2024 09:57:21 JST kmiura 長い距離を延々と歩く人々を眺めていると、お遍路やスペインのサンティアゴ巡礼路の巡礼者のようである。これらの旅路は宗教的な意味合いが込められているが、そのもっとも基礎の部分には、延々と歩くという過程がもつ人生それぞれの姿の圧縮効果があるからではなかろーか、と考えていたことがあるのを思い出した。
山でガイドをしていた時、下山路で客がまるで自白剤を打たれたかのように自分の人生を懺悔のように滔々と語り始めてとまらなくなるのを私は何度も経験しており、死ぬ前の走馬灯みたいだなあ、と思っていた。肉体が許容するギリギリまで歩くという行為は宗教性、あるいは心理セラピー効果を惹起するのである。そう考えると、TJARを走り抜けた人々は、それぞれの人生を8日間で体現した、まさに現代の山伏なのかもしれない。
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kmiura (kmiura@toot.blue)'s status on Monday, 19-Aug-2024 09:57:22 JST kmiura 中村さんのゴール後のインタビューでは、自分は北海道から下見もせずにやってきて、一気に日本アルプスを歩けるオトクなイベントとして参加したのである、と述べていた。これはウェブの自己紹介の文章でも述べていることと同じなのだが、私はその自己紹介文を日本にありがちな韜晦である、と勝手に読んでいた。
しかし、マジだったのである。つまり、なるべく速くゴールに辿りつく、ではなく、8日間をフルに使って日本アルプスを一気に楽しむ、というまったく別の価値観で実に計画的に行動していたのだ。暗くなったら寝る、朝1時頃起きて行動開始、しっかり寝ながら8日間でゴールに着くように移動していた、とのことで、これは私は意識しておらず「中村さん、またうごいていないなー」、ぐらいにしか考えていなかった。短時間睡眠を必要に応じて昼夜を問わずゲリラ的にとる他の方々の行動パターンとはあまりにちがい、より普通の登山、あるいは日常に近い行動である。異常な中の普通さに私が気が付かなかっただけなのであった。
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kmiura (kmiura@toot.blue)'s status on Monday, 19-Aug-2024 09:57:23 JST kmiura 22時半すこしまえに、最後尾で二人で歩いていた辻本さん(29)と中村さん(12)が一緒にゴールしてTJARは無事、閉幕。中村さんはこれまでにない頻度でツイッターで自分の様子などを投稿していたが、最後には今年のゴールの位置から東に数百メートルずれた2022年のゴールの場所までわざわざ寄り道して写真を撮り、「誰もいない…」というツイートを打っており、最後の最後まで、楽しい歩きぶりであった。
思えば北アルプス山中の最初の夜にも、他の多くの人たちがなるべく前に、と北アルプスの稜線を急ぐ中、さっさと五色ヶ原でビバーグすることを決めて周りとおしゃべりしたあとで「え、ぼくひとりぼっち?ひとりはいやだなあ」とか言い出しており、異端ぶりをそのころから発揮していた。
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