アメリカで「人種」「クィア」に関する2展示が中止に。トランプの「DEI廃止」大統領令の影響
https://artnewsjapan.com/article/25224
「トランプは現在、芸術機関を掌握することに関心を示しており、先日も政府機関の建物をモダニズム様式よりも「古典的様式」にするという大統領令を発した」ますます悪の独裁者的な振る舞いとなってませんか。
アメリカで「人種」「クィア」に関する2展示が中止に。トランプの「DEI廃止」大統領令の影響
https://artnewsjapan.com/article/25224
「トランプは現在、芸術機関を掌握することに関心を示しており、先日も政府機関の建物をモダニズム様式よりも「古典的様式」にするという大統領令を発した」ますます悪の独裁者的な振る舞いとなってませんか。
歴史学的には、新選組は身分制の揺らぎを考える面白い題材だと思いますが、やってることは幕末のゲシュタポで、組織は連合赤軍みたいなもので、ああも人気がある理由が分かりません。剣術についても南條範夫『武道の系譜』では、多数を恃んで不意打ちをする、卑怯で碌なもんじゃないと文字通り一刀両断でした。
https://note.com/c_jumble/m/m042e3b0f4082
これは確かに怪作。絵柄も展開もコミカルなのに生首が乱れ飛ぶ。そしてその生首のほとんどが、切腹させられる新選組隊士というのが、意外と史実だったりするそうです。新選組は倒した尊攘派志士より、内ゲバで死んだ隊士の方がずっと多いそうな……
とりわけ現今、米トランプ政権が「有害な男らしさ」の弊害を世界規模で展開していることは明らかで、すでに指摘した記事もあります。
トランプ氏就任式に見た「男社会」への揺り戻し ビリオネアも民主党重鎮もいつの間にか"迎合"
https://toyokeizai.net/articles/-/853545
男子校で考えた、有害な男らしさ 「結局、空虚だ」気づいた刷り込み
https://
https://digital.asahi.com/articles/AST363H1KT36OXIE01MM.html?ptoken=01JNX7RHEF19TSZYGQQGS663SW
有料記事のプレゼントです(3月10日19時38分まで)。
「生徒たちのメンタルヘルスも気がかりだ。
「男らしくあるためには、こうしなければ」という呪縛のなかで育ち、自分自身の本当の感情に気づきにくくなっているように見える。特に男子校の生徒には、そうした傾向が強いと感じてきた。」
私も男子校出身で、大学も男女比が偏っていました(学内では一番マシな学部でしたが)。周囲を見回しても、「有害な男らしさ」が弊害をもたらした例を思い出します(特にネット上で)。私は大学で蒙を啓かれましたが、こういう授業を中学や高校ですることは、とても大きな意味があると思います。
「社会人」の概念史 - tukinoha’s blog
https://tukinoha.hatenablog.com/entry/20110422/p1
私も「社会人」という、分かったような分からんような、学生や主婦(往々教員も!)を貶すのに便利に使われる概念がどうして形成されたかには関心があるのですが、先達がいました。戦争を経てなのかな、やはり。
「社会人」で連想されるのは俸給生活者であり、たとえ食い扶持を稼ぎ家族を養っていても、「社会人経験豊富」といって「営農一筋半世紀」という人を連想することはまずありません。農業や自営業という、古典的な生き方がどうも排除されたらしい語感を持っています。すると高度成長期以後の普及か。
さらに言えば、「社会人」は民間企業で働く人がもっぱら想定されるように思われ(だから教師は往々排除される)、そこには「激しい競争の中を生きている民間企業人こそが偉いのだ」という、新自由主義の萌芽をも見出すことができるのではないかと、まあそんなこともぼんやり思っています。
トランプのゴーストライター、良心の告白
https://wired.jp/special/2016/trumps-ghostwriter/
「シュウォルツは言う。「トランプの嘘は口から出まかせではなく計算づく。人をだますことに何の良心の呵責も感じていないのです」。多くの人は事実と違うことであれば口に出すのをためらうものだが、トランプは事実かどうかといったことをまったく気にしないのだ。「トランプの得体のしれない自信は、そこからきているのでしょう」」
「トランプを動かしているのは仕事への愛着などではなく、ただひたすら「金が欲しい、称賛されたい、有名になりたい」という尽きることのない欲望なのだとシュウォルツは言う。」
「ロシアは全土占領可能」 トランプ氏、侵攻責任認めず
https://nordot.app/1265787356335997942
加害者と被害者を顛倒させる嘘言説の洪水現象は、ネットではしばしばみられましたが、いよいよトランプのせいでそれが国際政治まで左右するという惨状です。もはや事実は必要ない、妄想と陰謀論が世を動かす。
だからといって陰謀論に浸って事実を蔑ろにするのは耐え難いことです。差別はダメだ、万人に等しい人権があるという、基本原則をいつも忘れないことが大事でしょう。何を言っても陰謀論に浸っている人に伝わりそうにないのが悲しいですが。もはや個人的にどう生き延びるかが問題かもしれない。
しかし個人的に生き延びようとして、みんなが罵るものを罵り、皆が石を投げるものに石を投げていても、こんな妄想と陰謀論の世界では、いつその矛先が自分に向かってくるかも分からない。個人的に生き延びる方策すらも見えてこないですが、まずはネットに頼らない人間関係所重視することでしょうか。
米の値上がりで備蓄米放出だそうですが、その要因として「外国人の買い占め」を糾弾する声がネットで目について、なんだか不安になってきます。近年の排外主義が暴走してるんじゃないかと。米騒動の時もあんまり関係なかった鈴木商店が焼打されてるし。そもそもベトナム人なのかネパール人なのか。
日の丸アニメアイコンが手当たり次第外国人を攻撃しているのを見ると、今度の米騒動は1918年のような暴動でなく、1923年の虐殺的帰結にならないかとつい気を回してしまいます。デマが流れて「あいつらのせいだ!」とマイノリティが狙われる。ネットでデマが広がるのは現代的ですが、構図は古典的です。
日本では、鈴木勇一郎『電鉄は聖地をめざす』という本があるように、社寺参詣を当て込んで建設された電車は数多くありますが、日本の電車のモデルになったアメリカではないようでした。プロテスタントはあんま聖地巡礼とかしなさそうですし。ですがカナダにはあったそうです。
ともあれ、日本では初詣という参拝行事が鉄道主導で生まれてしまうほど関係の深かった社寺と鉄道(詳細は平山先生の本参照)ですが、アメリカ大陸でも同様の例があったのは発見でした。蒸気鉄道で探せば、合衆国南部とかでもカトリックの巡礼鉄道があるかもしれません?
前掲写真は『The Interurban Era』という本から引用しました。今この本を読むオンライン読書会をやっていますが、もうすぐ読み終わりそうです。次は何の本を読もうかな。
カナダのフランス系移民の多かったケベック州では、聖アンナ教会という北米では古い由緒ある教会があって、電車が参詣客輸送に活躍したそうです。それがケベック鉄道電灯電力 Quebec Railway, Light & Power Company という長い名前で、北米としては遅い1958年まで活躍していたとか。
写真は1958年の聖アンナ教会100周年記念のイベントのために走った(多分)臨時の輸送力列車です。ちょっと不鮮明な写真ですが、電気機関車が引っ張る客車は、電化前の蒸気鉄道用に作られた1889年製の古典客車だったそうです。
米加州で「83億リットル」のダム放水、山火事受けトランプ氏の指示 ロスに流入せず
https://www.cnn.co.jp/usa/35229057.html
一読呆れるほかない内容。放水したダムの位置をぐぐると、素人目にもサンフランシスコに至るサンホワキン川流域のダムで、LAとは分水嶺隔ててます。コロラド川がLAの水源なのに。
トランプの発言や行動をめぐって、メディアは報じる際に「トランプ大統領の真の狙いはどこにあるのか」と穿って見せるけれど、実態は単に「トチ狂っている」だけじゃないかと思います。穿ってみせるのは狂気を正当化しようという精神的防御に過ぎず、ダメなものはダメと言い続けなければなりません。
旧軍のやった失敗に学ぶのであれば、自衛隊は「愚かな作戦で諸君らの生命を蕩尽することはない、だから安心して戦ってくれたまえ」であるべきでしょう。愚かな命令を愚かと言えない空間になってしまったことが、幾多の悲劇を招いたのです。
だから皮肉でもなんでもなく、現代の民主主義の日本であるべき理想の自衛隊員像を示したのは、五ノ井里奈さんです。理不尽なことは上官といえど理不尽であり、敢然と立ち向かいました。その「強さ」こそ、現代の民主的であるべき軍隊に求められるものではないでしょうか。
「戦後80年目の自衛隊幹部候補生たち」と題して、陸自幹部候補生学校を取材した番組をNHK(九州ローカル?)でやってたんですが、沖縄戦の戦跡を見学するところで、住民が地上戦に巻き込まれて半数が死んだ伊江島の戦いを、「軍民一体の戦い」と美談のように捉えていて、反省のなさに愕然としました。
さらには、義烈空挺隊(特攻隊)の慰霊碑を前に、笑顔で死んでいった隊員に学べみたいな訓話をしていて、その反省のなさにもぞっとしました。さすがにNHKもやばいと思ったのか、学校に問い合わせて「学校側の意図ではない、遺憾である」との談話を引き出していましたが。
https://x.com/hakoiribox/status/1883157245598499044
アメリカの聖書根本主義者はヤバい話しか聞かないので、さもありなんという感がします。一番怖いのは、核戦争でハルマゲドンが実現し、キリストが再臨すると信じている人がそれなりにいることです。そんな聖書根本主義者がアメリカ大統領になったら、レッツハルマゲドン!と核のボタンを押しかねない。
小ブッシュ大統領についてはキリスト教右派との関係はよく指摘されていましたが、トランプについては知りません(支持はしてそうですが)。ですが陰謀論的世界観てんこ盛りのトランプがこのハルマゲドン思想に染まらないという保証はどこにもなく、世界はいまや滅亡の危機の前にある、とすら思えます。
このような聖書根本主義者については、ハルセル『核戦争を待望する人びと』という本があります(例によって私は積んでいますが)。ある意味、イスラム国(IS)なんぞより恐ろしいのが、アメリカの聖書根本主義者かもしれません。
さて、ここまでは松沢先生の議論に従って述べたつもりですが、以下は通俗道徳に関する私の思い付きです。通俗道徳はまず勤勉を尊び、貧しいものは勤勉が足りなかったと叩かれます。それは現代も同じです。しかし次に来る徳目、「倹約」となると話は違うように思われるのです。
高度成長期に「消費は美徳」という言葉が生まれましたが、言い換えるとそれまで消費は美徳ではなかったのです。むしろなるべく消費をしない倹約が尊ばれたのでした。それが美徳になることで形成された大衆消費社会に、今でも私たちは生きています。通俗道徳のわなは健在なのに、消費は美徳なのです。
これを通俗道徳に遡って考えると、これは個人の成功の道徳のように見えながら、実は「家」の繁栄のための徳目だったということに突き当たりそうです。近世の「イエ」は、農家や商家など経営体の性格が強くありました(通俗道徳の発祥は商家です)。その経営体を維持発展させるのが通俗道徳です。
こうして、貧困をはじめとする社会問題に苦しむ人を
「自己責任」と切り捨てる文化が形成されたのですが、これを松沢裕作先生は「通俗道徳のわな」と呼びました。詳しくは、何度紹介したか分かりませんが、『生きづらい明治社会』をぜひご参照ください。
前近代の「イエ」といえば大半は農家ですが、彼らにとって理想の世は五穀豊穣です。商家なら商売繁盛。ですが近代家族の理想は、自分たちの豊かな暮らしです。家のあるべき理想が異なるので、家発展の徳目として生き延びてきた通俗道徳は、家の変質に応じた変質を遂げたのではないでしょうか。
そんなことを最近考えています。「消費は美徳」と言ったときに、倹約を徳目に掲げた通俗道徳はどう変質しつつも生き延びたのか、なぜこの時清算できなかったのか、そういった近代から現代への移行と通俗道徳の根強さについてです。
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