流出じゃなく盗難でしょ。
とりあえず、おかえりなさい!
日本も見習って骨返せ
流出じゃなく盗難でしょ。
とりあえず、おかえりなさい!
日本も見習って骨返せ
ー三上監督は「命が軽んじられるのは自衛隊員も同じ」と強調する。「軍隊は住民を守らない」とは県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦の教訓だが、歴史を学ぶほどに軍人を「かわいそう」と感じるようになった。「食料も弾薬も補給されず、住民から奪うしかなかった。それで憎まれて死んでいったのは、彼らの本意じゃなかったはず」ー
沖縄戦の教訓「軍隊は住民を守らない」を軽視、そして更に軍人を「かわいそう」になった???
食料を補給されず住民から奪うしかなかった?!?
憎まれて死んでいったのは彼らの本意じゃなかったはず??!??!
植民者が琉球・沖縄に関わってはならない理由がこの記事を見るだけでわかる。
書かれている全てが日本人視点、罪悪感のかけらもない。日本人を救うための日本人救世主。
基地を持って帰れ、地元で戦争して映画撮れ。
ヤマトリベラル(一部)の、ウクライナ・パレスチナとオキナワへの対応の差をよく考える。
まぁ多分加害性を強く感じるオキナワの事は忌避して、感謝だけしてもらえる遠い国の問題(当然ここにも優先順位がある)でやった感出してるとしか言いようが無い。
白人がアジア人を素通りするような差別的シーンを見て頭に浮かんだのは、日本人が沖縄人を無視してきたたくさんの出来事。無意識の植民地主義がウクライナ・パレスチナとオキナワに差をつける理由であることはほぼ間違いないだろう。
未だ現実を見ようともせず沈黙し続ける日本人にあの白人はお前だ、と言ってやりたい。
BT
日本人は琉球民族(先住民族)へ差別している事も無視しないでほしいです
ストライキを支持します
単なる植民地判決。
これを三権分立の崩壊と捉えるのは問題を矮小化してしまう。
政府と多くの日本人マジョリティが持つ植民地主義の問題です。
沖縄にはコールセンターが多い。沖縄ならではのホスピタリティを植民者が低賃金で買い叩く。
苗字で沖縄人とわかるので少しでもミスれば「これだから沖縄は」と罵倒され、素晴らしい対応を見せればヤマト企業の功績とされる。何重にも搾取されるグロテスクな構図に怒りしかない。
そんなコールセンターで働く人から時折グッとくる話を聞くことがある。
ある日、ヤマトで働く沖縄人がお客さんとして問い合わせをしてきた。コールセンターのスタッフが沖縄の苗字だとわかると饒舌になり、最後に「ちばりよー」と言って電話を切ったそうな。
スタッフはヤマトで働いている沖縄人の苦労を想像し泣いた。自分もたくさん苦労しているはずなのに、と。
遠くで頑張っている同胞からふいに向けられるがんばれの一言。たったそれだけの言葉で心が揺さぶられるのは、日本にまだ差別が残っている証ではないの。そうでなければなぜ泣くの。
「琉球人お断り」という差別は表向きなくなったように見える。でも実際は差別が巧妙になっただけで何も変わっていない。
差別する側もされる側も無自覚なこの島だけど、「ちばりよー」と言った沖縄人を思って泣ける人がいる限りまだまだ沖縄は大丈夫な気がする。
がんばれよー、がんばろうねー。
BT
「明日は我が身」や「あなたの子どもがゲイだとしたら」、「本土の沖縄化」などの言葉はとても傷つく。
誰かの被害を想像をして「そりゃいかん!」となるのではその被害の矮小化にも繋がる。誰かの痛みは想像じゃ理解できないし、想像できない問題(例えば同化政策や民族差別など)には応答しないでも良いとなる。された事もなく、この先される可能性も低い問題が延々とスルーされる現状は、共感ベースの反差別に原因がある。
自分や自分の大切な人に置き換えないとわからないのならそこが社会の大きな問題。苦しんでいる人がいればそれが誰であろうと無条件に助け合えなければ孤立した人に希望はない。
誰かの立場に立って想像しよう~といった声かけは、想像してくれる人脈のあるマジョリティの自己満足的反差別。マジョリティの「想像力」や「共感」はマイノリティにとって邪魔でしかない。あなたの感情はいらんので粛々と差別構造を解体していただきたい。
ちなみに「本土の沖縄化」という言い回しをする日本人が多いけどどれだけひどい例えをしているかわかってんのかね。こんな状況にした張本人が「あんな風にならないように」と焦る図のグロさと言えばもう言葉にならない。
ー国際法学者のリチャード・フォーク氏は沖縄を「20世紀後半に起こった世界の脱植民地化の流れ」に含まれなかった植民地の一つであると言っている。沖縄が植民地であることは、日本によって琉球王国が強制併合され、その言語、文化、伝統、尊厳、資源、自己決定権を奪われてきた歴史からも、教科書的な植民地支配であり、議論の余地はない。ー
沖縄の問題の本質は植民地主義にあり、連日報道されているパレスチナ・ガザと同じだと言い切る乗松氏。対照的に加害の責任を感じずにすむガザにだけ「寄り添う」大多数の日本人を「植民地的無関心」だとバッサリ斬る。
今後訴えたいことは、と聞かれ乗松氏はこう答える。
「日本人は、自分たちが現在進行系の沖縄に対する植民地主義の加害者であるということを自覚し、辺野古をはじめ琉球列島の要塞化を止めること。」
沖縄を脱植民地化させることは日本人が優先的に行うべきだ。琉球・沖縄の平和を壊しながらどうやって遠くの「平和」を作れるのか。
そろそろ辺野古辺野古するのはやめて真の問題解決を。
(伊藤忠止めきれたじゃない・・・
琉球にあった芋を薩摩が日本へ伝えた事で「さつまいも」となった。
琉球にあった芋は中国からつたわった「甘藷」であり、唐芋などと呼ばれていた。
伝えてくれた国に敬意を払い「唐芋」と呼んでいた琉球と違い、薩摩は奪った芋に自分達の名をつけて「さつまいも」と呼んだだけ。
日本にならなければ琉球は今も貧乏だ、という言説は「芋・裸足論」と呼ばれ、琉球侵略を正当化する意味でよく用いられるが、薩摩が支配するまで琉球が豊かな国だったというのは歴史が証明している。
薩摩の芋で飢えをしのいだ、というのは嘘。
クロ現『ガザと“ホロコースト生還者(サバイバー)” 殺りくはなぜ止まないのか』、評判良かったのでみたけど、まんま日本人の話だった。
もし沖縄人が暴力的手段で抵抗を始めたら、「防衛」と称したジェノサイドを堂々とできるきっかけを日本に与えることになる。自衛隊(国軍)はそのためにいるのだから。相手の得意分野に乗せられることなく、これからも非暴力を徹底したい。
「でも沖縄って知事さんが辺野古埋め立て許可だしましたよね~」というセリフを聞いたのは豪雨災害のボランティアで「本土」に行った時のこと。もちろんこんな風に言われるのは初めてではない。
その度怒りではなく悲しい気持ちで「公約を覆したんです」と説明する。
沖縄人には一応選挙権がある。しかしそれは日本の求めた結果が出た時だけ数として扱われ、それ以外殆どが生活に反映しない。諦めムードは年々広がり、かろうじて県のトップを自民から死守している状態。
沖縄人が諦めるのを待っている日本からこれだけの仕打ちをうけながら踏みとどまっている沖縄県を私は誇りに思っているよ。
効果のある一票をただただドブに捨てる人たちと同列に並べて批判されたくない。
こんなこと言っちゃアレですけど、被災者受け入れる沖縄県の判断が正しいとは思わない。ホームレス支援に関わったことがあるのだけど、県は今沖縄でどれだけホームレスの方々が増えているか知っているのだろうか。貧困問題も以前に増して深刻な状況だ。市営住宅の順番を待っている人だってたくさんいるだろう。
目の前にある困難を乗り越える事を人は強いという。困難しかない沖縄人は乗り越えないと生きていかれないだけでそれは強いとは言わない。強くなるしか選択肢のない中でただ生きていくしかない人を「強い」で片付けるのは残酷だ。
決して被災した方々を助けるなという意味ではないけど、溺れている人が溺れている他者を助けられるわけがない。
優先順位を付けられて後回しにされるこの島の弱くさせられた人たちを少しは慮ってほしい。
その上でもっと適切な支援の仕方、関わり方があったはずだ。
「善意」への批判はとてもやりにくい。でもマジョリティの「善意」でどれだけのマイノリティが犠牲になってきたかというのは忘れちゃいけない。
BT
「学ぶ」「知る」を誰から、どんなふうにやるのかで得られる知識が変わってしまうのだからモノによっては差別の再生産にしかならない。
これからドキュメンタリーを作成すると張り切っているある日本人移住者は、「沖縄の歴史を学んでください」などと「本土」の方々へマウントを取り続けている。ある時その方が拡散していたyoutube動画は、再生回数の多い日本人ユーチューバーが琉球・沖縄の歴史を教えるというものだった。
悪意ある動画とは思わないが、加害者である日本人が作る動画では肝心な部分が必ず抜け落ちる。そんな動画をこれまた日本人が拡散する。肝心な点を描かない事も、数多ある動画の中から日本人の動画を選ぶ事も、無意識に自分の加害性から逃げた結果のように思う。無自覚だろうけど、沖縄人を下に見ているから当事者すっ飛ばして日本人「識者」から学ぼうとする人が多いのも日本人の特徴である。
自分が耐えられる程度の事実しか知りたくない伝えたくない日本人だけで琉球・沖縄を「知った」「学んだ」される状況に辟易する。
学びを否定しているわけではないけど、日本人や日本人に「優しい」沖縄人といったお仲間で学んだところで「沖縄好き」を大量生産する仕事しかできないし、その「善意」で差別は一層隠される。いや、大袈裟でなく。
BT
本来なら「沖縄の人が怒っているから」という理由ではなく、日本人として自発的に過去の過ちを清算する運動(発言)をしてほしいというのが本当のところ。
例えば沖縄人が全員日本人と同化したとしても、日本が侵略・武力併合をした過去を清算する責任は残り続ける。そこで「沖縄の人は日本人だと思っている」という理由で過去の過ちを放置するのなら、歴史を上書きしアイデンティティを奪った日本政府と何ら変わらない。
同化してしまった沖縄人が「どうぞ文化でも何でも使ってください」と言おうと、日本人に使う権利はない。同化によって文化盗用の問題意識を持てなくさせ、正しい判断を下せない中での契約は無効だ。
日本人が沖縄に関する運動をする時の動機が「沖縄人がかわいそう」では解決に至らない。加害者と被害者が同じ言葉で抵抗する事にもっと違和感を持ってほしい。性加害者と性被害者が同じ言葉を用い、同じ場で抵抗運動していたらおかしいと思いませんか。
日本人の「寄り添い」は常に、流血している沖縄人のそばで流血している気になり被害者の顔をする。そのようなやり方ではなく、日本人は日本人の立ち位置で加害者としての抵抗の言葉を生み出し、まずは同胞へ語りかけなければ、植民地主義を終わらせる事は永遠にできないだろう。
2022年に起きた宮崎県警の警察官が沖縄の少年を失明させたことを差別の文脈で書いてある。
日本人は絶対に認めないだろうがこの事件はヘイトクライムとして扱うべきだというのは何度でも言いたい。
このブログには「普通の日本人」の内なる植民地主義がどれだけ無自覚かをとても丁寧に、かつわかりやすく書いてあります。
日本人が書いた、という点ですごく希望を感じました。たくさんの方に読んでほしいです。
よろしくお願いします。
@buhikun
このツイートにもあるように、思っているより若い世代(戦後生まれ)にも「方言札」はあったみたいですよね。
現代でも、ウチナーンチュ同士互いの訛りを笑い合ったり、就職進学などでバカにされないよう気をつける人がいて、「方言札」を首にかけずともウチナーンチュが自発的に同化していくシステム構築に日本は成功しました。
この世から白人がいなくなっても人々は「白人」に憧れ、「白人」のように振る舞う事をやめない、そんな記事を読んだ事があります。
沖縄人は、すでにその段階にあるように思います。
『櫻井・有吉THE夜会』で沖縄出身俳優に「方言」を禁止して記者会見をするという企画を放送したそうな。
番組観てないけどおそらく二階堂さんはバリバリのウチナー口を話したわけじゃないと仮定して言わせてもらいますが(話していたのならすみまてん)まず沖縄人の言語を「方言」だと公共の電波で垂れ流すのは歴史の修正にもあたる。
そもそも今の若い世代は殆ど話せないし、多くが日本語話者。支配者(日本語)と被支配者(琉球諸語)の交流から生まれたピジン・ジャパニーズと言われるならまだわかるけど、標準的なイントネーションからちょっと外れたり、文法や互いの言葉の置き換えにズレがあることを「方言」とするのは何重にも間違っている。
思わず出ちゃう沖縄イントネーションを笑われ、「きれいな日本語」を話せばおーみたいなリアクションをされるという、これもまた同化政策です。
差別と同化はセット。
「方言札」をかけられた人たちはまだまだたくさんいて、暴力が伴っていたという証言も聞いたことがある。
琉球ルーツの人びとの傷も癒えぬまま、日本人は娯楽として差別を繰り返す。何より悲しいのは、沖縄人もこの番組をみて笑ったのではということ。何世代にも渡り、涙はずっと乾かない。
文化盗用と言えばわかりやすいのが宮沢和史氏の『島唄』だろう。
宮沢氏は沖縄戦を知らなかったことが恥ずかしく格好悪く感じたとインタビューに答えていたが、彼のように知ったつもりになる方がよっぽど恥ずかしく格好悪い。
歌の中に琉球音階を使わなかったパートがあることもあまりに美化されすぎている。現在進行形で支配している日本人が、琉球・沖縄の文化を扱うことは文化盗用以外何者でもない。
口を開けば沖縄戦の悲惨さだけを語り、沖縄のためにと歌を歌う。その歌はヒットし、宮沢氏は出世街道を突き進み、今じゃ世界のウチナーンチュ大会のフィナーレで中心にいる。
ウチナーンチュの頭上をあっさり飛び越え名声を手に入れた宮沢氏と対照的に、ただ取り残されている沖縄人。「沖縄のために書かれた歌」が沖縄のためにはならず、個人の利益にしかなっていないことは正しく認識されるべき。
『島唄』のヒットで沖縄の基地被害は減りましたか。それどころか状況は悪化の一途をたどり、戦争の足音が日々大きくなる。ちなみに宮沢氏の故郷山梨県では過去に「富士を撃つな」の声で米軍基地を沖縄県へと移転させた過去がある。
宮沢氏だけでなく沖縄を搾取し続ける日本人がしてきた/いることの殆どは日本人を解放し、沖縄人を日本人への「感謝」で縛りつける効果しか生まない。
実名顔出しのお医者さんが強烈なネトウヨでビックリ!
沖縄は「恩恵」を受けているのだから被害者ぶるなとか言ってる〜
ツッコミ所は山のようにあるけど、カウンターの皆さんが頑張っているので私からは一点。
基地の過重負担を表す時に、国土面積1%に満たない沖縄と「本土」で対比させるのは間違っている。こんな時だけ一国的な扱いするのもイラッとしますね。単純に46都道府県と沖縄県を同列で比較する事がすでに差別でしょ。
沖縄県内にある基地の割合を比べるならせめて面積が沖縄と同等の地域、例えば神奈川東京あたりと比較しないと正しいデータとは言えない。それだと一目で差別とわかる結果が出るからやらないのだろうけど。
本土30%、沖縄70%は不公平だ!というカウンターでは50/50になった時、沖縄差別がなくなったことにされる可能性もあるので要注意。
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