古代ギリシアのソポクレスの言葉を借りると、「思考は風のように速い」が、それを書き留めるには時間がかかる。しかも、論理的に書くのは容易ではない。思考を可視化しようとすると、実はまだわかっていないことがわかる。まだ形にできない思考を書き留め(workflowyを使って)並べ替えることを何ヶ月も、何年も続けると、ようやく本になる。少しずつ考えが形になってくるが、考えるのも書くのも苦しい。
Notices by 岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Tuesday, 15-Aug-2023 13:18:08 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Monday, 07-Aug-2023 15:08:31 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi マルクス・アウレリウスは十五歳だった息子を共同統治帝に任命した。この息子が後に暴政を敷いて暗殺されるコンモドゥスだが、逸材を登用して後継に据えるという慣例を破り、無能な実子に継がせたのはアウレリウスが犯した唯一の失策だった。自分の子どもがいるのになぜ他人が継ぐ必要があるのかと思ったのかもしれない。こう書いたら、どんな根拠があるのかという校正者の書き込みがあって驚いたことがある。
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Monday, 10-Jul-2023 11:33:28 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi 「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」(河野裕子)
歌人の河野裕子は晩年乳癌を発症した。二年ほど経った頃、河野の精神状態が不安定になった。万策尽きた家族が「すがった」(河野裕子・永田和宏『たとえば君』)のが、木村敏医師だった。
「三年が過ぎ、四年、五年と経過するうちに、徐々に彼女の爆発の程度と回数が減ってきたことは、私たち家族にとっては、前途にほっと明るい灯の灯る思いであった」(前掲書)。
木村医師は強い薬を処方しなかった。河野が彼の前では心を開き、安心して話をしていた様子を私は想像する。
マニュアル式の診断と投薬をよしとしなかった木村医師の揺るぎのない信念に基づく二人の信頼関係は、後に癌の転移が見つかってからも河野に歌を作る勇気を与えたことであろう。
「にわかに妻との時間が抜き差しならない切実なものとして、心を占め始めた。一日一日をできるだけ一緒に楽しく過ごしたいと願う。しかし、楽しければ楽しいだけ、そのことによって減っていく時間はいっそう切実に惜しまれるのである」(前掲書)
死の前日まで歌を作った。最初に引いたのが、最後の一首である。 -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Thursday, 16-Feb-2023 19:47:17 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi 学生の頃、塾で教えていたことがあった。私以外の教師は皆竹刀を手にしていた。生徒の一人がなぜ私が竹刀を持っていないのかたずねた。「教育に竹刀はいらない」と私は答えた。生徒が何の疑問も持っていないことに私は驚いた。いい成績を出せるのなら、人格が侮辱されても構わないと思っていたのだろうか。
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Saturday, 07-Jan-2023 23:17:01 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi 戦争時に相手国や国民に対する敵意を掻き立てることはできない。愛するのも憎むのも「この人」だが、愛するのが人との関係の本来のあり方である。
https://note.com/kishimi/n/n8137c8059c69 -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Sunday, 18-Dec-2022 11:43:18 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi @gaby 紙の雑誌に連載していたエッセイが出版社のネットで公開された時、元の文章にはない改行がたくさん入っていたので抗議したことがありました。スマホで見る時に改行が少なく字が詰まっていると読みにくいからということでした。見やすさのために改行しているわけではないのに。
一読して理解できないという編集者がいて(何度も読み返すことってありますよね)話を聞いたら、スマホでは逆スクロールはしないからということでした。In conversation from mstdn.jp permalink -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Tuesday, 13-Dec-2022 00:03:00 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi 「何百万もの人に、攻撃される危険があるので自衛しなければならないと信じ込ませることは困難ではない」(Fromm, The Heart of Man)
自分で考えず政治的指導者に依存している人は力と確信を持って示されたことを本当のことだと受け取ってしまうからだとフロムはいう。フロムは「生産的に生きる」という言い方をする。生産的というのは、自発的、創造的という意味である。他者に依存するのとは真逆の生き方をしなければ、容易に他者の言説を信じてしまうことになる。In conversation from mstdn.jp permalink -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Wednesday, 07-Dec-2022 20:32:18 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi 韓国映画、ドラマが好きで、今も毎晩観ている。2020年には、『나쁜 기억을 지워 드립니다』(悪い記憶を消して差し上げます)という本を韓国で出版した。『八月のクリスマス』『春の日は過ぎゆく』『空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜』『バーニング』『リトル・フォレスト 春夏秋冬』などを取り上げた。韓国語の先生と一緒に映画を観て、その映画に登場する人物と哲学者との対話を私が書いた。それを先生に韓国語に翻訳してもらった。日本語版はない。
過去は過ぎ去り、もはやないが、事実あったことがなかったことにはならない。しかし、過去を思い出している「今」はある。「今」過去に経験したことをどう受け止めるか、過去についての意味づけを変えることはできるというのがタイトルにこめられた意味である。
続編も出したいという話をしていたが、先生が亡くなられ実現していない。私が自力で韓国語で書けばいいのだが。In conversation from mstdn.jp permalink -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Wednesday, 07-Dec-2022 16:21:04 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi 習慣化を促すための秘訣についてインタビューしたいという依頼。依頼相手を間違っている気がする。何かに取り組まないと思っていても、仕事などを理由に投げ出す人に習慣を促してほしいということだが、学ぶことを習慣化しないでゆっくり学べばいいではないか、こんな話ならできると返事したら向こうから断ってこられるだろう。
学びを習慣化したら、学ぶ喜びが失せると私は考えている。新しく学ぶ言語であれば、できるものなら一日中辞書を引いて学んでみたい。In conversation from mstdn.jp permalink -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Tuesday, 06-Dec-2022 13:38:44 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi 森有正は「体験」と「経験」を区別している(『生きることと考えること』)。人は自分が経験したことの中で、その一部分だけを特に貴重なものとして固定すると、過去的なものになったままで現在に働きかけ、それがその後のその人の行動のすべてを支配するようになる。森はこれを「体験」と呼んでいる。
これに対して、経験の内容が絶えず新しいものによって壊され、新しいものとして成立し直されていくのが「経験」である。過去に経験したことをいつも同じようにしか見なければ、経験は凝固し体験になってしまう。しかし、たった一度きりの経験であっても、絶えずその経験の意味を反芻し、そこに新しい意味を見出していけば過去に経験したことは体験ではなく「経験」になる。In conversation from mstdn.jp permalink -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Tuesday, 06-Dec-2022 00:24:04 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi アドラーは次のようにいっている。
「ドイツ語は、独自の感情をこめて、人は経験を『作る』というが、これは、人が経験をどう使うかは、自分で決められるということを示しているのである」(『人間知の心理学』Menschenkenntnis)
何かを経験すれば、その経験から何かしらのことを学ぶことができる。しかし、何かの経験をしたからといって、必ずその経験から学べるわけではない。大事なことは、何を経験するかではなく、経験から何を学ぶかである。経験に「よって」というよりは、経験を「通じて」、あるいは、経験をきっかけとして学ぶのである。In conversation from mstdn.jp permalink -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Monday, 05-Dec-2022 13:42:10 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi ピーター・フォークが「一国の権力機構の象徴」から招待された時のことを加藤周一は伝えている。その晩は先約があると断ったのである。
「私は先約の相手に、友人か恋人か、一人のアメリカ市民を想像する。もしその想像が正しければ、彼は一国の権力機構の象徴よりも、彼の小さな花を択んだのである」(『小さな花』)
権力の側につくのか、小さな花の側につくのか。この選択に迷うような人になりたくないと思う。In conversation from mstdn.jp permalink -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Monday, 05-Dec-2022 13:36:32 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi 加藤周一は次のようにもいっている。
「一九六〇年代の後半に、アメリカのヴィエトナム征伐に抗議してワシントンへ集まった『ヒッピーズ』が、武装した兵隊の一列と相対して、地面に座り込んだとき、そのなかの一人の若い女が、片手を伸ばし、眼のまえの無表情な兵士に向って差しだした一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかっただろう。その花は、サン・テックス Saint-Exの星の王子が愛した小さな薔薇である。また聖書にソロモンの栄華の極みにも比敵したという野の百合である」(『小さな花』)
一方に、史上空前の武力、他方に、無力な女性。一方に、アメリカ帝国の組織と合理的な計算、他方には無名の個人とその感情の自発性。権力対市民。自動小銃対小さな花。
一方が他方を踏みにじることは容易である。しかし、人は小さな花を愛することはできても、帝国を愛することはできない。
「花を踏みにじる権力は、愛することの可能性そのものを破壊するのである」(前傾書)In conversation from mstdn.jp permalink -
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Sunday, 04-Dec-2022 21:22:50 JST 岸見一郎 Ichiro Kishimi たとえ自分の人生にそれ以外の何ものもないとしても、ただそのためにだけ生きたい時間を加藤周一は「美しい時間」と呼ぶ。
「細い径の両側に薄の穂がのびて、秋草が咲いていた。雑木林の上に空が拡り、青い空の奥に小さな雲が動く。風はなく、どこからも音は聞えて来ない。信州の追分の村の外れで、高い秋と秋草の径は、そのとき私に限りなく美しく見えた。たとえ私の生涯にそれ以外の何もないとしても、この美しい時間のあるかぎり、ただそのためにだけでも生きてゆきたい…」(加藤周一『小さな花』)
今の私にとっては孫たちと語らったり、韓国語の小説やエッセイを読む時間である。
「その人にとっての一つの小さな花の価値は、地上のどんなものと比較しても測り知ることができない。したがってひとびとがそういう時間をもつ可能性を破壊すること、殊にそれを物理的に破壊すること、たとえば死刑や戦争に、私は賛成しないのである」(前掲書)In conversation from mstdn.jp permalink