「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」(河野裕子)
歌人の河野裕子は晩年乳癌を発症した。二年ほど経った頃、河野の精神状態が不安定になった。万策尽きた家族が「すがった」(河野裕子・永田和宏『たとえば君』)のが、木村敏医師だった。
「三年が過ぎ、四年、五年と経過するうちに、徐々に彼女の爆発の程度と回数が減ってきたことは、私たち家族にとっては、前途にほっと明るい灯の灯る思いであった」(前掲書)。
木村医師は強い薬を処方しなかった。河野が彼の前では心を開き、安心して話をしていた様子を私は想像する。
マニュアル式の診断と投薬をよしとしなかった木村医師の揺るぎのない信念に基づく二人の信頼関係は、後に癌の転移が見つかってからも河野に歌を作る勇気を与えたことであろう。
「にわかに妻との時間が抜き差しならない切実なものとして、心を占め始めた。一日一日をできるだけ一緒に楽しく過ごしたいと願う。しかし、楽しければ楽しいだけ、そのことによって減っていく時間はいっそう切実に惜しまれるのである」(前掲書)
死の前日まで歌を作った。最初に引いたのが、最後の一首である。
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岸見一郎 Ichiro Kishimi (kishimi@mstdn.jp)'s status on Monday, 10-Jul-2023 11:33:28 JST岸見一郎 Ichiro Kishimi