SNSアカウントをまとめておきます(ときどき更新)|結城浩 @hyuki #note https://mm.hyuki.net/n/nad7b15b20102
Notices by 結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net), page 3
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Thursday, 27-Jul-2023 06:16:45 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Wednesday, 26-Jul-2023 06:46:51 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: 仕事を「楽しむ」感覚について思うこと
ちょっとした気持ちの持ち方の違いなんですけど、「仕事を楽しむ」感覚と、「仕事を処理していく」という感覚は大きな違いがあるように思います。
仕事を処理していくと考えると、どうしても流れ作業的になってしまって、仕事に追われている感覚に近づいていくように思います。そもそも仕事はなくならないわけなので、いくら片付けても処理しても残ってるものはありますから、あまり気が休まらないですね。
限られた時間でやることは間違いないので、急ぐ必要はあるんですけれど、そのことと「処理する」という感覚は少し違うと思います。
仕事を楽しむというと、いろいろ語弊があるんですが、言いたいのは、自分がやってるんだという実感といいますか、今何をやっているのか、その意味をはっきりと自覚するということをイメージして話しています。
あまり伝わってる感じがしませんけど、話を続けます。
日々の作業を、ルーチンワークとして着手することはいいんですよ。ある意味機械的に、時間が来たから作業を始めるみたいなことはとても大事で、気分が乗ったときだけ仕事を始めるというのではなかなか進みません。その点については、楽しんでとか言う余計なものは入らなくて時間が来たから始めるというので充分です。
でもそのルーティンワークを、作業の中身まで及ぼしすぎるのはあまり良くありません。そういう話なのかな。
作業の中身までルーティンワークにしてしまって、右から左に作業を流していくっていうのはあんまりよろしくないですね。
これは集中するということにもつながるんですけれど、今目の前にある作業に全力を挙げて取り組む。そういう感覚を私はどうやら「楽しむ」と表現しているようです。どうしてそれが、全力を挙げて取り組むことが楽しむにつながるかというと、それは目の前の「それ」を十分に味わうことだからです。
今やっている作業に関するアイディアがわいたら、それを試してみるとか、少しだけ時間を余分にかけてひと手間かけてみるとか、いつもと同じやり方をするか、違うやり方をするかを考えるとか。そういった自分なりの工夫を今やっている。目の前の「作業」に込めて見るのは1つの表れです。全力を挙げて取り組んで「楽しむ」ことの表れという意味です。
全力を挙げて取り組むと、何が起きるかというと、自分の中に多重の感覚、様々なレベルでの経験が積み重なります。これまた説明しないと伝わらなさそうですけれど、話を続けます。
流れ作業のように取り組んでいると、自分の記憶にも残らないし、そこから得られる知見もありません。でも、楽しみながら取り組んでいると、作業レベルの知識と、作業を管理するレベルの経験と、その他様々なレベルでの経験が自分の中に蓄積されていくような感覚があります。それは確かに楽しい感覚ですね。しかも時間を有効に使っている感じがします。
なぜかというと、多重の経験を積み重ねているために、同じ時間が何倍にも生きるからです。
作業している途中では、そんなふうに、自分と深く関わりを持たせながら進めていきますけれど、作業に着手するときには全く違うのは面白いですね。作業に着手する前に、いろいろ自分との関わりを考えすぎると、何が起きるかというと、作業を開始するためのハードルが高くなってしまうのです。着手しにくくなります。これは仕事を進める上で大敵です。
ですから、着手するときには機械的にルーティンワーク的に機械的に始める。でも、いったんとりかかったらば、全力を挙げて取り組む。そういう進め方が私は気にいっているようです。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Tuesday, 25-Jul-2023 07:05:46 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
@summercontrail @summercontrail そういえば先日「COMPグミ」を買いました(いわゆる完全食のグミタイプ)
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Thursday, 20-Jul-2023 05:44:33 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: 原稿書きに集中すると、家事がはかどる話
原稿を書いている途中では、家事が結構進みます。なぜかというと、PDFを作る合間合間に家事を少しずつ進めるからです。
たとえばゴミを集めるとか、洗濯をするとか、乾いた洗濯物をたたむとか。クイックルワイパーをかけるとか、台所のシンクを掃除するとか。そういう細々した家事のことです。
家事をすることが原稿を書くことのちょっとした気分転換になりますので、気分よく原稿書きと家事の両方を進めることができます。いいですね。
すきま時間に、このように家事を進めるためには、少しコツがあって、様々な作業を細かく区切るということです。1つの大掛かりな火事のようにするのではなくて、複数のたとえば5回位の細かい作業に分けるということです。
お風呂のお湯を抜くのに、一回、湯船を掃除するのに一回、お湯を張るのにもう一回。そんな感じです。
それから、家事を進める上で必要な道具をすぐ使える状態にしておくことも大切ですね。道具を探さなければいけなくなると一気に面倒になるからです。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Friday, 14-Jul-2023 08:38:26 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
MastodonからExportしたファイルはいい感じのJSONファイルになってくれて、全投稿とメディアが保存されているので、これをいい感じに解析して静的なWebサイトを作るというのはちょっと楽しそう。すでにそういうツールは世の中にありそうですけれど。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Saturday, 08-Jul-2023 08:47:15 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: 土曜日は、展望台に登る日です
今日の早朝活動は、展望台に登っていました。
展望台というのは、比喩的な表現で、自分の活動を1週間に一回俯瞰的に眺めるというメタ活動です。毎回なかなかいい成果が上がっています。
良い成果というのは、自分が忘れていたプロジェクトのことをリマインドできるという点と、自分がこの1週間行ってきたことで、ほんの少しだけプロジェクトが進んでいるという自覚を得られる点です。
1年に一回、この展望台に登った記録を振り返ると、さらに面白いかもしれませんね。そのことに今気が付きました。
私は普段「作業ログ」の大切さを感じています。それは、自分が普段できている「実績」を確認できるからです。自分の実績を確認することで、現実的な予定を立てることができるのです。
この展望台に登った記録を振り返るのは、まさに実績の確認の1つと言えるでしょう。さらにここには「こんなふうにしたいというイメージを持っている」という俯瞰的な情報も含まれていますから、なおさら、自分の期待と実際とのズレを現実的に把握することができそうですね。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Saturday, 08-Jul-2023 08:41:49 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
◆メモアプリ「Evernote」がスタッフのほぼ全員を解雇したとのうわさが流れる - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20230707-evernote-staff-nearly-all-laid-off/ -
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Friday, 30-Jun-2023 07:57:07 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
@zundan アウトライナーべんりですよね!
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Friday, 30-Jun-2023 06:34:41 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: 項目がずっと残り続けているTo Do リストはやがて役にたたなくなる話。
たとえば、スーパーやコンビニに買いものに行くときに「何を買うか」を管理するため、iPhoneのTo Do リストを使います。
最近よく思うのですが、To Do リストの項目があまりにも多くなりすぎるとリス科意味をなさなくなってきます。
「これを買わなきゃいけないな」という品物を適当に羅列していると、毎回見ているのだけれど、いつまでたっても解決されない項目になってしまいがちです。
やがて、役に立たない項目がリストの全体を埋め始めると、今回買うべきものが何だったか、よくわからなくなったり、見落として、買い忘れたりすることが起き始めます。
ですから、何かのリストを管理しているときには、ときどき全体を見直して、大掃除のようなことをしたほうがいいですね。
リストにずっと残り続けているというのは、「解決はできないけれど、削除するには忍びない」という気持ちの表れですから、そういった項目のために新たな別のリストを作っておくのが良いのかもしれません。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Thursday, 29-Jun-2023 07:23:48 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
@zundan しれっと、「続きはDMでなくてもいいですよね」と言っちゃうとか?DMしてくるのは表で話すのがおっかないからでしょうかね。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Wednesday, 28-Jun-2023 07:00:53 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: Step by stepの話
段階を踏んで作業をするのは大切。
それは当たり前のことだと思っていたんですが、あまり意識してやったことは少なかったかもしれません。先日から、意識して段階を踏むようにしていますが、なかなか悪くありません。当たり前のことなんですけどね。
各段階を、Logseqなどにメモしたり、あるいは手書きで箇条書きにしたり。ともかく、それぞれの段階で何が起きるかを確かめて、それから作業を始める。そうすると、細かいミスを減らせますし、それぞれの段階に集中して取り組めるというメリットがあります。
ミスを減らせるとか、集中して取り組めるとか言っても、本当に細かい違いでしかありませんけれど、その細かい違いが積み重なって、大きな違いを生むのではないかと感じています。
自分ができるかできないか、という話で言うと、段階を意識してもしなくてもできるとは思います。でも問題は、より良い品質の作業をできるかどうかなのです。あるいはまた、長期的に考えて、自分の負担を減らしたり、時間を短くできるかどうかが問題なのだと思っています。
細かいミスが重なって、大きくやり直しになることはよくあります。でも、もしもその細かいミスが、各段階をいったん確認した上で行えば防げるとしたら、どうでしょうね。
「そんな泥臭いことしなくても、すぐに取り掛かればぱぱっと済ませられる」という気持ち、その気持ちは理解できるのですけれど、そういうところで自分の力を示すのではなくて、品質の良いアウトプットで、自分の力を示したほうがずっと良いのではないかと考えています。
Step by stepは重要。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Tuesday, 27-Jun-2023 06:13:10 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: 本を書く事は良い勉強方法
本を書くためには勉強する必要がありますが、勉強が終わってから本を書き始めるというのは、ちょっと違うんじゃないかとよく思います。
もちろん何も勉強しないで本を書き始めることができませんけれど、準備が完全にできてから本を書き始めるわけではないとよく思うのです。
本を書き始めてみると、自分の理解の曖昧なところや、自分の知識が不足しているところなどがありありとわかってきますので、その状態で参考書を読むととても深く理解できます。そんな経験がよくあるのです。
何も自分で書かないうちに、本を読んだだけでは、きっとこんなにスピーディーに深く理解できなかっただろうなとも思います。
ですから、私は本を書くことはとても効率の良い勉強方法だと思っています。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Tuesday, 27-Jun-2023 06:12:14 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
「ファイルの名前の付け方のコツ」を考える前に、自分が求めている(あるいは利用者が求めている)「ファイルの名前はどうなっていたら嬉しいか」について考えるのがいいと思います。
それはそのファイルをどのように利用するのかを考えることでもありますし、同様な他のファイルはどんな名前になっているかを考えることでもあります。
目的に合致しているファイル名が良いファイル名ですから、どのような目的でそのファイルを使うことになるかを明確にしないことには良い名前も決まりません。
自分がファイルを扱ったときに「こういう名前だと困るな」と言う経験も大事になります。つまり、自分が困った経験を改善するためには、どんなファイル名だったらよかったのかを考えるわけです。
とりあえずは、そんなところです。ご質問ありがとうございました。
* * *
◆結城浩に聞いてみよう
https://ask.hyuki.net20230627044836
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Saturday, 24-Jun-2023 06:54:51 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: 少しずつ書き進めるのだけど、そこまでを完成とする話についてまとまらないままあれこれ考えていました
たとえば、ブログ記事を書くことを考えてみましょう。自分が運営しているブログに記事を書くとしたら、自分で自由に締め切りを設定して、長さも好きなようにできますし、自分の満足がいくまで何度でも手を入れて修正することができます。それはそれで完成度を上げることができますけれど、いつまでたっても完成にならないという懸念もあります。
それに対して本のような形でまとめるとしたら、本を書くことに慣れてない人はなかなか書き始められないかもしれません。自分の完成イメージができるまでは書き始められないとするといつまでたってもできないわけですね。でもたとえば締め切りが厳しかったりすると、書き手の十分な満足がいかないまま完成となってしまう危険性もあるわけです。
つまり、文章を載せるメディアによって完成するまでの障害は様々異なることになります。
両方のいいとこ取りはできないのかなということを考えていました。結論から言うとまあできないんですけど。ただ、書き手の意識によって少し改善できるやり方があるかもしれないと思っていました。
それは、当たり前の話なんですけれど、少しずつ書くんだけれど、その都度「これが現時点での完成である」と考えるやり方です。
何を言ってるかというと、連載記事のようなものをイメージしています。連載記事は、その都度、その都度何らかの意味で完成しているわけです。そしてそれを連ねている全体もまた少しずつ進化しているといえます。それを意識するという話なんですけれど、全然伝わってる感じがしません。
冒頭に話したブログ記事の場合では、いつまでも手を入れ続けることで完成しないという話をしていました。先程言った連載記事の場合では、とにかくある時点で区切って完成とする(そして原則としてそれ以上手を入れない)というイメージを話しています。もっと身近な例で言えば、Twitterのように編集のできないSNSの投稿と考えてもいいですね。とにかく、投稿ボタンを押してしまえば、その時点での「完成」とみなす。
それから、本との対比で考えると、連載記事は全体が決まってから書き始めるのでもないし、不満足なまま完成とするのでもありません。とにかくどこからでもいいので1部分を書き始めて、その範囲では、それを完成とみなす。
そんなことを考えていましたが、なんとなく話しているうちに当たり前のことを言ってるような気がしてきました。単純に「分割して統治せよ」という話を回りくどく言っているだけのような気もしてきました。
もう少し考えてみたいですね。
もう少し具体的な話をすると、たとえばnoteでPDFを販売するとして、そのPDFを少しずつ進化させていくというやり方がありそうだなと思っていたのです。つまり1つのPDFを連載記事まとめのように使うという意味です。実際にそういうやり方をやってる人もいますね。まあもう少し考えを進めてみましょう。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Monday, 19-Jun-2023 17:45:46 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: 今日の仕事の振り返り
午後の散歩に出かけました。
今日のお仕事の振り返りをしましょうか。
そういえば今は結構涼しくなってきましたね。昨日は暑かったけど。
今日はメルマガを書く1日でした。ちょっといつもとトーンが違っていて、一つ一つの読みものが少し長めですね。私としては、なかなかいい感じの記事になったと思います。
よく眠ることもそうなんですけれど、先日からいろんな人とズームで話していることがなんとなく良い影響を与えているような気がします。
なかなかそれは説明が難しいのですけれど、あえて一言で言うならば「自分なりに、丁寧にやって良いのだ」という感覚だと思います。そういう感覚が、どうして他の人とおしゃべりをすることから出てくるのか、私にはよく解りませんけれど、ある種の落ち着きなのかもしれませんし、何なんでしょうね。
メルマガの配信が終わってから、新しい本GRの第2章をガリガリと書いていました。全体として溢れそうな感じがするので、どういう風にコンパクトにしようかと考えつつ書いています。
そんなところですかね。いつも応援ありがとうございます。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Friday, 16-Jun-2023 06:35:44 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: 公園を散歩/ミュートを活用
久しぶりに公園まで来ました。最近は梅雨で雨にぶつかることが多くて、朝の散歩に公園まで出てくることが難しかったのです。
この公園は大きな木が多いので、見上げるような視線で歩くことが多くなります。なかなかいいですね。昨晩、雨が降ったので、木の上には雨水がまだ溜まっていて、少し木が揺れると雨が降ってきます。木から離れていると雨が降らないのに、木の下に入ると時々雨が降ってくるみたいな変な感覚です。
いつものように仲良しの大きな木に挨拶をしてハグします。
* * *
最近はテレビをほとんど見ませんが、ずいぶん昔テレビを見ていたときには、突然流れるニュースの悲惨なシーンが気にかかったものでした。もちろん、そういった報道も大切ではありますけれど、必要以上に生々しい動画で繰り返し見る必要があるかというとあまりそうは思えません。
たとえばTwitterなどで、乱暴な言葉遣いを頻繁に行う人のツイートを見ることも似たようなものだと思います。1つ2つ見るくらいで大した悪影響がないと感じる人もいるかもしれませんけれど、それを継続的に毎日行うことが健康なことだとはあまり思えません。
私はそう思うので、積極的にミュートを活用しています。大体、自分が見たくないキーワードをミュートするだけで、不愉快なツイートは激減します。また、乱暴な言葉遣いをする人をミュートすることも有効です。
ミュートすることで特定の情報が手に入らないことはもちろんあると思いますが、それは仕方がないことだと割り切るようにしています。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Thursday, 08-Jun-2023 06:23:45 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
NYCの大気がいますごいことになってるんですね…みなさまお大事に…
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Thursday, 01-Jun-2023 18:54:01 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
何だかずっと一緒にいたみたいだねえ…という表現をときどき思い出します。
「何だかずっと一緒にいたみたいだねえ」というのは、いまは亡き母の言葉です。
結城は過去に自分が書いた文章をランダムにTwitterのタイムラインに流しているのですが、先日出てきたものがこれでした。
◆何だかずっと一緒にいたみたいだねえ(結城浩「日常のひとこま」) | mine
https://mine.place/page/5df05654-aae4-44ce-94d5-609dca35012e読み返してしみじみとした思いを抱くと共に、こういう気持ちは、そのときに文章の形で残しておいたから抱けるものだなあと改めて思いました。
よろしければお読みください。
* * *
文章は、本当に、その都度書かないといけないのですよ。気持ちはすぐに失われてしまう。写真では残せない。動画でも残せない。なぜなら気持ちは自分の心のうちにあるものだから。
写真にも、動画にも、自分の気持ちは映らない。ただ言葉だけが、自分の言葉だけが、自分の気持ちを残せるのです。
自分の気持ちは、自分が書き残さなければすぐに失われてしまいます。
もちろんすべてを残さなければいけないわけではありません。過ぎ去るのに任せるべき気持ちもあります。それはそう。その通り。まったくその通りです。
でも、大切な気持ちは、いまは絶対に忘れないと思っているほどの大切な気持ちでさえも、驚くほどに忘れてしまうし、失われてしまいます。
それを残せる人は現在の自分しかいない。
そんなふうに思います。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Saturday, 27-May-2023 08:06:05 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: 関心の裾野を広げる話
関心の裾野を広げる話。
ある分野が盛り上がるか衰退していくかの鍵になるのは、広いユーザ層がいるかどうかじゃないかと思います。
そこからちょっと連想したんですけれど、1人の人間(たとえば自分)を考えた場合でも、裾野を広げるというのは大事じゃないかなと思いました。
たった1つのことに取り組んで、それを極めるというのはかっこよくて憧れますけど、そういうのじゃなくて、いろんなことを試しにやってみるというのは大事なことなんじゃないかと思います。
いろんなことをちょこっとやっているわけですから、その一つ一つはそれほど品質が高いものじゃないでしょうし、規模も小さいものになると思います。それでも自分で活動を継続していると、それなりの経験や蓄積が出てきて、自分でも「なかなかこれは面白いぞ」と感じることがあるものです。
プログラムを書いたり、ウェブサイトを作ったり、3Dモデリングをしたり、音楽をやったり、AIで画像生成したり、文章を書いたり、古典文学を現代語に翻訳したり、などなど。現在の私の本業は本を書くことですけれど、それ以外に細かい活動をあれこれとやっています。それは意外と自分にとって大事なんだろうなと改めて思っているところです。
何か成果物を残す活動していると、つい、「これでお金は取れないな」や「自分がこんなことをちょこっとやってもたいしたことないな」と考えがちなんですけれど、その考え自体はあまり良くないと思っています。
自分の活動の成果物を自分なりに評価することは大事だと思います。ただし、その評価というのは、なんというか、自分なりの評価でいいんじゃないかと思うんです。特に、本業以外の活動においてはそうです。
その細かい活動というのは、いわば裾野を広げる作業であって、それ自体で勝負をかけているわけじゃないからです。裾野を広げると言っても良いですし、種まきをしているといってもいいですね。種をまいている段階で、「この種子では良い果物ができないな」と判断するのは早すぎるでしょう。
それから、一つ一つの活動の成果物からは見えてこないものであったとしても、自分のたくさんの細かい活動を俯瞰して見たときに、思いがけない発見をしたりすることがあります。
つまり、この世に存在する無数の活動の中で、自分が「これをやってみたら面白いかもしれない」と感じるものというのは、何らかの意味で、自分自身の好みや性格やそういうものを反映していると言えるからです。
それはときには「自分のいつものパターン」と揶揄したくなるときもありますけれど、「なるほど。私はやはりこういうことが好きなんだな」というのは、どこかほっとするものがあります。それは、変な言い方かもしれませんが、自分の存在というものを再確認しているように感じるからです。
それから、様々な方面で細かい活動をしていると、その成果物や経験が組み合わされて、新しいものにつながっていく場合もあります。
たとえば、midjourney で生成した画像と、自分の文章を組み合わせたり、音楽と組み合わせたり、そういうことです。
関心の裾野を広げる。様々な種類の活動を行う。継続することで経験を積む。自分なりの評価を行うことで、多くの活動を通して、自分自身を知る。複数の成果物を組み合わせて、新しいものを作る。
よく晴れた朝、森の中を散歩しながらそんなことを考えていました。
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結城浩 / Hiroshi Yuki (hyuki@social.hyuki.net)'s status on Thursday, 18-May-2023 07:21:28 JST 結城浩 / Hiroshi Yuki
:hyuki: 最近のマイブームはお風呂です
最近のマイブームはお風呂ですね。
朝早く起きて、早朝活動を始める前にお風呂に入ったり、お昼寝をした後に、午後の活動をする前にお風呂に入ったりします。
気分がすっきりするのもそうですけれど、血行が良くなって、頭の巡りが良くなるのも嬉しいことです。
コーヒーで目が覚めていろんなアイディアが浮かぶのにかなり近い効果がお風呂にはあるみたいですね。
お風呂の中で、新しいアイディアが浮かんだり、今書いている文章の続きを思いつくこともよくあります。こういうときには、お風呂の中にメモ用紙が欲しくなりますね。そういうメモ帳があったりするのかな。きっとありそうですね。
お風呂の中には、資料を持ち込めないので、いや持ち込めるんですけど、持ち込まないようにしているので、何もないところから「そもそも」として考えを進めるのも良い効果があります。
机に向かっていると、どうしても目の前のことや、直近のことだけに気持ちが集中してしまうために、「そもそも」のような根源的なあるいは、俯瞰的な考えを進めるのが難しいことがあります。
その点、お風呂では「そもそも」という考えを進めやすくなります。
それは、こうやって散歩しながら話しているときと少し似ているかもしれませんね。
そのような根源的な考えの他にも、お風呂には「自分が本当に理解していること」を確かめる効果もあります。
先ほども話したように、お風呂には資料を持ち込まないようにしていますので、全て自分の頭から取り出さなくてはいけません。お風呂の中で何も見ないで、自分の頭の中から様々な概念や主張を取り出すことができるかどうか。それは自分がその概念や主張を理解しているかどうか、あるいは覚えているかどうかの良い試金石になるといえます。
ですから、私はしばしば、お風呂の中で今考えていることを声に出して説明してみることがあります。説明できるならば、そのことを私はよく理解している。説明できなかったり、できるにしてもモタモタしてしまうならば、あまりよく理解していないと言えるからです。
そういう、お風呂のひとときは、とても楽しい時間ですね。
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