何だかずっと一緒にいたみたいだねえ…という表現をときどき思い出します。
「何だかずっと一緒にいたみたいだねえ」というのは、いまは亡き母の言葉です。
結城は過去に自分が書いた文章をランダムにTwitterのタイムラインに流しているのですが、先日出てきたものがこれでした。
◆何だかずっと一緒にいたみたいだねえ(結城浩「日常のひとこま」) | mine
https://mine.place/page/5df05654-aae4-44ce-94d5-609dca35012e
読み返してしみじみとした思いを抱くと共に、こういう気持ちは、そのときに文章の形で残しておいたから抱けるものだなあと改めて思いました。
よろしければお読みください。
* * *
文章は、本当に、その都度書かないといけないのですよ。気持ちはすぐに失われてしまう。写真では残せない。動画でも残せない。なぜなら気持ちは自分の心のうちにあるものだから。
写真にも、動画にも、自分の気持ちは映らない。ただ言葉だけが、自分の言葉だけが、自分の気持ちを残せるのです。
自分の気持ちは、自分が書き残さなければすぐに失われてしまいます。
もちろんすべてを残さなければいけないわけではありません。過ぎ去るのに任せるべき気持ちもあります。それはそう。その通り。まったくその通りです。
でも、大切な気持ちは、いまは絶対に忘れないと思っているほどの大切な気持ちでさえも、驚くほどに忘れてしまうし、失われてしまいます。
それを残せる人は現在の自分しかいない。
そんなふうに思います。
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