:hyuki: 少しずつ書き進めるのだけど、そこまでを完成とする話についてまとまらないままあれこれ考えていました
たとえば、ブログ記事を書くことを考えてみましょう。自分が運営しているブログに記事を書くとしたら、自分で自由に締め切りを設定して、長さも好きなようにできますし、自分の満足がいくまで何度でも手を入れて修正することができます。それはそれで完成度を上げることができますけれど、いつまでたっても完成にならないという懸念もあります。
それに対して本のような形でまとめるとしたら、本を書くことに慣れてない人はなかなか書き始められないかもしれません。自分の完成イメージができるまでは書き始められないとするといつまでたってもできないわけですね。でもたとえば締め切りが厳しかったりすると、書き手の十分な満足がいかないまま完成となってしまう危険性もあるわけです。
つまり、文章を載せるメディアによって完成するまでの障害は様々異なることになります。
両方のいいとこ取りはできないのかなということを考えていました。結論から言うとまあできないんですけど。ただ、書き手の意識によって少し改善できるやり方があるかもしれないと思っていました。
それは、当たり前の話なんですけれど、少しずつ書くんだけれど、その都度「これが現時点での完成である」と考えるやり方です。
何を言ってるかというと、連載記事のようなものをイメージしています。連載記事は、その都度、その都度何らかの意味で完成しているわけです。そしてそれを連ねている全体もまた少しずつ進化しているといえます。それを意識するという話なんですけれど、全然伝わってる感じがしません。
冒頭に話したブログ記事の場合では、いつまでも手を入れ続けることで完成しないという話をしていました。先程言った連載記事の場合では、とにかくある時点で区切って完成とする(そして原則としてそれ以上手を入れない)というイメージを話しています。もっと身近な例で言えば、Twitterのように編集のできないSNSの投稿と考えてもいいですね。とにかく、投稿ボタンを押してしまえば、その時点での「完成」とみなす。
それから、本との対比で考えると、連載記事は全体が決まってから書き始めるのでもないし、不満足なまま完成とするのでもありません。とにかくどこからでもいいので1部分を書き始めて、その範囲では、それを完成とみなす。
そんなことを考えていましたが、なんとなく話しているうちに当たり前のことを言ってるような気がしてきました。単純に「分割して統治せよ」という話を回りくどく言っているだけのような気もしてきました。
もう少し考えてみたいですね。
もう少し具体的な話をすると、たとえばnoteでPDFを販売するとして、そのPDFを少しずつ進化させていくというやり方がありそうだなと思っていたのです。つまり1つのPDFを連載記事まとめのように使うという意味です。実際にそういうやり方をやってる人もいますね。まあもう少し考えを進めてみましょう。