Notices by tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net), page 2
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Sunday, 29-Sep-2024 08:41:47 JST tenjuu99 ベンヤミンの議論に公的領域/私的領域みたいな区別しているところあるかな -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Sunday, 29-Sep-2024 07:46:03 JST tenjuu99 すごく適当なことを言うと、芸術云々を抜きにして、複製技術時代においては日常の中に一回性を麻痺させる装置群がたくさんあり、人間の感性を摩耗させる。それが例えば時計とか時計に合わせた学校とか労働とかで、毎日そういうのを繰り返すと一回性がなくなるように感じられること請け合いなのでアウラは消失する。
アーレントは繰り返しで成立する労働の領域を私的な領域に囲い込んで下げているのは、たぶん英雄的な行為の推奨にしかならない気がして、たしかに問題ある。
人間の感性を回復するにはどうすればいいかみたいな課題になるのかな。 -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Sunday, 29-Sep-2024 07:33:21 JST tenjuu99 沢山遼さんのカール・アンドレを論じた「レイバーワーク」ちょっと思い出しているけど、たしかちょうど同じような問題でアーレントを批判的に使っていた気がする。アンドレとかミニマルアート系のダンスとかが普段の労働の所作を再利用・再演している、みたいな話してたけど、どんなだったっけな。 -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Sunday, 29-Sep-2024 07:29:46 JST tenjuu99 複製技術時代にアウラが消失するのは、複製技術によって一回性の認知が麻痺しちゃうとそうなる
アーレントは仕事のうえに行為の領域があったと思うけど、繰り返しの効かない英雄的な行為を称えるみたいな領域で、ここがアーレントにとって芸術だった気がする。
ベンヤミンと繋げると、逆のことを言ってそうというか、アーレントはギリシャの演劇をモデルに芸術の観念を組み立てているから「行為を称賛」することになるけど、ベンヤミンのアウラは時代についての認識で、議論の目的としては映画とか複製技術が資本に支配されているからダメなんでそれを民衆が支配し直せば革命的に再利用できる、みたいな議論だから、少なくともギリシャ的な芸術観は退けている。複製技術時代におけるありうべき革命的な芸術についての議論。 -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Sunday, 29-Sep-2024 07:20:45 JST tenjuu99 ベンヤミンのアウラ、人が繰り返しの効かない事象のなかに生きて感じている繰り返しのきかなさについて知覚されているもので、複製技術が変えるのは人間の知覚の様態ですね。「繰り返しが効く」ことが当たり前になれば、物事の本来的な一回性が知覚できなくなるというか。 -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 25-Sep-2024 18:14:03 JST tenjuu99 BT もっと捻れているとおもうけどな。
「オタク」という論点は大塚英志とか東浩紀とかが出していたけど、「成熟しない/できない」存在であり、東の論点を引き継げば去勢された存在でもある。アメリカとの関係のなかで「去勢されている」ということになるわけだから、オタクが軍事力を求めがちなのはむしろ成熟への意思になっている。 -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 25-Sep-2024 18:14:02 JST tenjuu99 こういう点から見れば、左派のほうが「去勢された存在」に見えているわけでしょ。軍事的な自立をしていないので。自立していないのだから、左派には中共というバックがあると考える。オタク的なものを「趣味」の領域に囲い込みたがるのは良い考えではないというか、問題を過小評価しすぎている。宮崎駿もあきらかにオタク的な諸問題を抱えているし、実際の構図は宮崎駿世代くらいからあまり変わっていないように思う。 -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 18-Sep-2024 19:05:48 JST tenjuu99 本を読まない人が6割超という話、「(物理)本を読む」ことに価値があるという仮定がよくわからないけど、大人になって本を読むかどうかって、いくつも契機はあるはずで、調査対象の情報がインターネットになければどうしても物理本に手を出す必要があったりするし、それが仕事の場合も趣味の場合もある。キャリア変えたいとかで業界や新らしい技術について勉強しなおすとかもあるとおもう。
「本を読む/読まない」みたいな解像度で調査をするのがよくわからなくて、調査や体系的学習のニーズなんていくらでもあるはずで、書籍販売業界はそういうニーズにぜんぜんアプローチできていないのでは?と思ってしまう。 -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 18-Sep-2024 19:05:47 JST tenjuu99 https://news.livedoor.com/article/detail/27201530/
この記事。「仕事や勉強が忙しくて読む時間がない」って、いや勉強はどうやってるんだよ。 -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 18-Sep-2024 19:05:43 JST tenjuu99 出版不況の構造的な原因は「本を読まなくなった」のではぜんぜんなくて、「雑誌が読まれなくなった」からですよね。雑誌みたいな情報源はインターネットに代替されるのはそれはそうで、そこはもう問うても仕方がない。「本を読まなくなった」で問題があるとすれば継続的な学習への意欲みたいなものが衰退しているかどうかなはずだけど、リスキリングとか言うわりには、そういう話には結びつけないのよね。リスキリングでキャリア変更したいという層がたくさんあるのであれば、学習意欲はあるわけだから読書への意思だってあるはずだし、むしろそこのニーズ掘れるはずなんだけど、「本を読まなくなった」で済ませるの怠惰すぎるとおもう。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Saturday, 14-Sep-2024 13:41:03 JST tenjuu99 並べてみてあまりにはっきりしてしまうのは、90年代からゼロ年代の日本のアートインテリのホモソーシャル性で、同時期に女性研究者がポスコロやフェミニズムに重要な研究をしていて、強い注意喚起を促しているのにアートインテリサークルがそれを重要視していない。松浦寿夫選書も2010年代というのに、人類学はおろかフェミニズムも一冊もない。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 09-Sep-2024 19:20:58 JST tenjuu99 日本=未熟みたいな話、2010年前後にたぶん東浩紀のオタク論を引き継いだ形だったとおもうけど、マイクロポップもこの方向に解釈されてしまうことで潰れていったよな。「近代化=大人になること」の夢を見続けるだけの子供みたいな図式化が、この時期にあったとおもうし、シン・エヴァのストーリーはこの状況を踏まえているとも言える。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Tuesday, 03-Sep-2024 12:03:17 JST tenjuu99 イスラエルで経営者も支持のうえで反ネタニヤフのゼネストが起きているらしい。国内最大の労組らしいけど、どのくらい打撃になるだろうか。
https://jp.reuters.com/world/security/BI7EXP4CXBK6XO5L3EXUY5TFZU-2024-09-02/In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink Attachments
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Thursday, 29-Aug-2024 15:19:01 JST tenjuu99 川村の件、ここまで露骨に「アートは公共財じゃないぞ」を見せつけられて「美術は大事だから守れ」とか言うのアホみたいな気になる。結果から言えば金持ちの道楽に過ぎなかったってことで、「金持ちはアート守る義務がある!」とか主張するの馬鹿らしいから、コレクション全部売却でいいじゃん(あれ全部買えるところあんまりなさそう)。休館前に最後にもう一回は見に行きたいとはおもうけど。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 28-Aug-2024 17:10:40 JST tenjuu99 朝日記事に対する批判で異常だなと感じるのは、「正義の暴走」とはどこにも書いてないのに、あたかも星野氏がそのように主張しているかのように批判していること。
ムカつくなら批判すればいいけど藁人形でしょ。星野記事自体が藁人形化してんじゃんってのはそうだし、自分も記事間違ってるとおもうけど、言ってもないことで批判してるのさすがにおかしいとおもうよ。In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 28-Aug-2024 04:41:10 JST tenjuu99 ポーラとかブリジストン(アーティゾン)とかが美術館経営上手く行くのは、むしろ財団が株式握っていて配当金が資金になっているからか。川村はDICの会社経営の一部として美術館やっていて、単なる事業だから作品売却も容易だし事業畳むのも取締役会の一存でできる。そりゃお金困ったらニューマン売るわ。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 14-Aug-2024 05:18:09 JST tenjuu99 本章は、大きくわけて三つの部分から構成されている。第一に、西洋近代で成立した「芸術」をめぐる言説が、どのようにして自らの普遍性をよそおい、非西洋世界の生み出したモノをどのような差異として「流用(appropriation)」してきたのかについて検討し、さらに、ポストモダンとよばれる歴史的状況のなかで、その一方向的なプロセスがどのように形を変えつつも連続しているかについて考察する。第二に、グアテマラのインディヘナの画家によって絵画が生産され、流通し、消費されるプロセスについて、上記の二つの村の画家たちの仕事に即し、私自身のフィールドワークにもとづいて概観する。そこでの焦点は、画家たちがどのような条件の下でどのような絵画を生産し、それがどのような「意味生産の実践(signifying practice)」なのかという点である。第三に、非西洋の「コンタクト・ゾーン(contact zone)」において西洋の技法を用いて制作される絵画が、どのような意味で「交渉」の場となっているのか、そこで何が「交渉」されているのかについて、オーストラリア、バリ、ザイール(現コンゴ民主共和国)などの事例をも視野に入れて論じ、それぞれの事例に特有の論点とともに、共通の問題点が浮彫にされる。
「第七章 芸術/文化をめぐる交渉」
本書を読もうとおもったのはここを読みたかったからなんだけど、理由は上記の問題設定が、浮世絵もあきらかにこの視点から読解できるはずなのと、この appropriation の問題がジェイムズ・クリフォードの芸術/文化の移行モデルをもとにしているから。「コンタクト・ゾーン」にも関心があった。
MOMAプリミティヴィスム展を巡るクリフォードvsルービンの論争も記述されていて、あらためて興味深い。
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 14-Aug-2024 05:18:08 JST tenjuu99 仮に非西洋の器物が西洋によって芸術品の地位に格上げされたとしても、それは、その器物を生産した人物を芸術家として認知し、その制作プロセスを芸術作品の制作として認知することを必ずしも意味しなかったのである。プライス(Price 1989)によれば、「未開芸術」の収集家にとっては、作者が匿名であること、つまり、作者が芸術家と自認(自任)していないことが、その作品の価値を増す。また彼女は、収集家が自らの作業を「便器に対するデュシャンの作業」に類したものとみなしているとも指摘する。要するに、非西洋の制作者の意図などどうでもよく、芸術として発見する西洋の創造的な眼だけが重要だとされてきたのである。
まるっきり柳宗悦だった。
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 14-Aug-2024 05:18:08 JST tenjuu99 モダニズム芸術が、都合のよいアカデミズム批判をするために「非西洋」を流用したのとまったく同じスタイルで、ポストモダニズムも、「非西洋芸術」を都合のよい近代批判のために流用する。つまり、近代芸術が自明視する前提そのものに対するラディカルな挑戦となりうる差異を毒抜きして、自分に都合よく消化=理解できる差異に加工してつまみ食いしているのである。そもそも一九八四年にモダニスト芸術家による流用を正当化する展覧会が開催されるということ自体が、たとえポストモダニスト的批判を呼び起こしたとしても、二十世紀初頭と世紀末とのあいだに断絶よりは連続性のほうが多いことを窺わせるに充分である。
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 14-Aug-2024 05:18:08 JST tenjuu99 プリミティヴィズムとジャポニスムの関係、ちゃんと問われていないはずなんだよな。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink