仮に非西洋の器物が西洋によって芸術品の地位に格上げされたとしても、それは、その器物を生産した人物を芸術家として認知し、その制作プロセスを芸術作品の制作として認知することを必ずしも意味しなかったのである。プライス(Price 1989)によれば、「未開芸術」の収集家にとっては、作者が匿名であること、つまり、作者が芸術家と自認(自任)していないことが、その作品の価値を増す。また彼女は、収集家が自らの作業を「便器に対するデュシャンの作業」に類したものとみなしているとも指摘する。要するに、非西洋の制作者の意図などどうでもよく、芸術として発見する西洋の創造的な眼だけが重要だとされてきたのである。
まるっきり柳宗悦だった。