本章は、大きくわけて三つの部分から構成されている。第一に、西洋近代で成立した「芸術」をめぐる言説が、どのようにして自らの普遍性をよそおい、非西洋世界の生み出したモノをどのような差異として「流用(appropriation)」してきたのかについて検討し、さらに、ポストモダンとよばれる歴史的状況のなかで、その一方向的なプロセスがどのように形を変えつつも連続しているかについて考察する。第二に、グアテマラのインディヘナの画家によって絵画が生産され、流通し、消費されるプロセスについて、上記の二つの村の画家たちの仕事に即し、私自身のフィールドワークにもとづいて概観する。そこでの焦点は、画家たちがどのような条件の下でどのような絵画を生産し、それがどのような「意味生産の実践(signifying practice)」なのかという点である。第三に、非西洋の「コンタクト・ゾーン(contact zone)」において西洋の技法を用いて制作される絵画が、どのような意味で「交渉」の場となっているのか、そこで何が「交渉」されているのかについて、オーストラリア、バリ、ザイール(現コンゴ民主共和国)などの事例をも視野に入れて論じ、それぞれの事例に特有の論点とともに、共通の問題点が浮彫にされる。
「第七章 芸術/文化をめぐる交渉」
本書を読もうとおもったのはここを読みたかったからなんだけど、理由は上記の問題設定が、浮世絵もあきらかにこの視点から読解できるはずなのと、この appropriation の問題がジェイムズ・クリフォードの芸術/文化の移行モデルをもとにしているから。「コンタクト・ゾーン」にも関心があった。
MOMAプリミティヴィスム展を巡るクリフォードvsルービンの論争も記述されていて、あらためて興味深い。