Notices by tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net), page 3
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Wednesday, 14-Aug-2024 05:13:41 JST tenjuu99 (だいぶ昔の記事)古田大輔とかしょうもないなとおもうけど、安倍談話的な語りというか歴史観、つまり太平洋戦争の時期に軍事国家になった(それも欧米によるブロック経済が原因とする)というものを、素朴に受け入れてしまっているのって世代的なものなのかな。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/695abad1dee0ed9c9ba0f64f27f4e69f8a810759
日清日露戦争こそ植民地獲得戦争なんだけど、安倍談話はその日露戦争について「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」とかギョッとすること言っていることにはノーコメントで「村山談話より踏み込んでいる」って言えてしまうのは、バカにしていればいい問題のようにはあまりおもえない。というか自分もこういう歴史観が間違っているとはっきり理解できるようになったのは恥ずかしながら最近だし...。 -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Tuesday, 13-Aug-2024 16:33:07 JST tenjuu99 なんじゃこりゃというか、いつまで「持たざる国」みたいな話するつもりなんだ、というのもだし、「民主主義と権威主義が交錯する時代」と言ったかとおもえば「米国は民主主義対権威主義の対立構図を描こうと躍起だが」と、書き手の主張がまったくわからない
「民主主義は終わる」松岡洋右は予言した 歴史が相似形を描く世界で:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASS870HRYS87DIFI003M.htmlIn conversation from pleroma.tenjuu.net permalink Attachments
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:20:56 JST tenjuu99 しかし、文化的に植民地化された状態とは、まさにそのような言説の内部でしか思考・表現できないことを言うのではないだろうか。つまり、自らが生きている社会的現実に正しく向き合うことができず、世界の中心と目される先進国というモデルとの同一性と差異という問題だけに関心を集中しつづけ、「自分たちの文化がモデルにどれだけ近づきえているか」と「自分たちの文化がモデルからどれだけ離れた独自のものたりえているか」という両極のあいだを振り子のように往復することしかできないことが、文化的に植民地化された状態なのである。別の言い方をすれば、文化的に植民地化された状態においては、めざすべきモデルの受容を強制され、同時にそのモデルに到達することを妨げられ、モデルとの差異を自分たちの側の遅滞・劣等性として理解するようになっているのである。
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:20:37 JST tenjuu99 >異種混淆性の議論そのものは、けっして近年になって、グローバリゼーションの下で氾濫する商品化されたシンクレティズムや、ポストモダニズムに影響された文化理論とともに現れてきたものではない。「メスティサヘ」や「混血の文化」というメタファーにくり返し訴えてきたラテンアメリカのナショナリズムにとっては、使い古されたと言うことさえできる議論なのである。(略)ショーハットとスタム(Shohat and Stam 1994)が正しく指摘しているように、「異種混淆性は、権力関係を含んだ非対称的なもの」であり、「異種混淆性それ自体を賛美することは、もしそれが歴史的なヘゲモニーの問題と節合されないのであれば、植民地暴力の既成事実を聖化してしまう危険がある」。ブラジル(そしてラテンアメリカ)では、まさにそのようなかたちで、異種混淆性の美学が、あらゆるものを非政治化する作用をはたしてきたのである。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:20:22 JST tenjuu99 ネオリベラリズムの伸長と踵を接するように、「ラテンアメリカがポストモダニティの先鞭をつけたのは、概念がヨーロッパや北米のコンテクストで現れるより前である」という奇妙な議論がなされるようになってきた。それまで近代化にとっての障害あるいは跛行的な近代化の現れとみなされてきたラテンアメリカ社会の異種混淆性が、「先取りのポストモダニズム」として喧伝されるという事態である。
どこの日本のことだ
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:20:22 JST tenjuu99 梅原猛とか、アイヌ語に「原日本語」を読み取ろうとする試みがいくつかあったとおもう。あれは学術的にはどうなのかはわからないけど、「日本人とはなにか」という問いに答えようとするもので、「「われわれ」という文化的な同質性を構築しようとする企て」そのものだとおもう。柳田國男や柳宗悦が琉球に関心を寄せていたのはどう理解するべきだろうか。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:20:22 JST tenjuu99 というか、日本の場合は、「すでに社会関係が存在してしまっている他者をも包含する「われわれ」という文化的な同質性を構築しようとする企て」が柳田以来の民俗学であり、「自己と他者の隔絶した文化的異質性を前提として、その間に架橋する(支配であれ指導であれ)社会関係を樹立しようとする企て」が人類学だ。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:20:22 JST tenjuu99 ブラジルの人類学者ラモス(Ramos 1990)は、欧米では人類学が帝国建設(Empire-building)に貢献してきたのに対して、ブラジルの人類学は国民建設(nation-building)をめざしてきたという、同僚の人類学者の言葉を紹介している。この違いは、前者が、自己と他者の隔絶した文化的異質性を前提として、その間に架橋する(支配であれ指導であれ)社会関係を樹立しようとする企てであるのに対して、後者は、すでに社会関係が存在してしまっている他者をも包含する「われわれ」という文化的な同質性を構築しようとする企てだと言い換えることもできるだろう。
これ日本の場合は両方あるな
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:19:39 JST tenjuu99 国民国家が植民地主義のイデオロギーを再生産することによって独立を果たすのだから、コロニアルな言説は植民地主義国家だけでなく独立後の国民国家にも存在する。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:19:37 JST tenjuu99 ラテンアメリカ諸国の独立の担い手は、植民地宗主国の文化的継承者を自認する植民地人たちである。それゆえに、例えば20世紀中庸のアフリカ諸国の独立の場合のように、独立後のナショナリズムの言説のなかで「植民地化以前の文化伝統の回復」というレトリックを用いることが原理的に不可能であった。それにもかかわらず、「インディオ性(Indianness)」を流用し、土着の先住民の政党な後継者として自らを規定する例は枚挙にいとまがない(Urban and Sherzer, eds. 1991)。ブラジルもその例にもれない。そのナショナリズムの言説は、ヨーロッパの植民地主義から独立を達成した主体としてのブラジル民族=国民という「われわれ」を事後的に構築し、その「われわれ」に土着の正当性を付与するために、先住民インディオという表象を流用し、同時にインディオが自らを表象する道を封じる。(略)インディオとは、他の民族と区別して「われわれブラジル人が何であるか」を定義するために、「われわれ」が利用できる専用の資源であり、「われわれ」が都合よいしかたで自由に定義する特権をもつ他者なのである。
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:19:37 JST tenjuu99 第三章の「ブラジル独立後のコロニアル言説」、ある意味で日本にそっくりだ In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:19:37 JST tenjuu99 しばしば指摘されているように、解放のイデオロギーとしてのナショナリズムと抑圧のイデオロギーとしてのナショナリズムは表裏一体のものである。ナショナリズムが「植民地支配に対する抵抗のもっとも重要な場」であることに疑問の余地はなく、それは植民地解放闘争を支える代表的イデオロギーであるが、他方それは「植民地主義が自らを再生産する力のもっとも顕著な証明」ともなり、植民地から独立した国家というかたちをとって「しばしば最悪の植民地体制にひけをとらないほど抑圧的な植民地主義のクローンが数多く生み出されてきたのである」(Dirks, ed. 1992: 15)。
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:19:37 JST tenjuu99 読み進めているけど、おもしろい。
異種混淆の近代と人類学: ラテンアメリカのコンタクト・ゾ-ンから (叢書文化研究 2) https://amzn.asia/d/bCbboJlIn conversation from pleroma.tenjuu.net permalink Attachments
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 12-Aug-2024 16:18:29 JST tenjuu99 失われゆく「真正の分化」を保護し救出しなければならないと主張する人々も同様に、自律的であった伝統的分化を近代化が破壊しつつあるというかたちで現状を認識する。そこでは「伝統的なるもの(the traditional)」についての言説が、「近代的なるもの(the modern)」についての言説と相互に構成的な関係にあるということが否定されるのである。しかし、「伝統的」とは、本質によって定義されるものではなく、「近代的」と自己定義する中心との、(排除を含む)関係のしかたである。つまり、「伝統的」とは、近代の内部において近代に対する一定の位置であり、それに対する関係のあり方である。
『異種混交の近代と人類学』古谷嘉章
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Sunday, 04-Aug-2024 06:43:41 JST tenjuu99 自分は今回の件はぶっちゃけ、IBAというかロシアの情報工作だとおもっているので、まさにこうした「ありもしない問題」についての言及を生み出すことこそがその目的だと思う In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Sunday, 04-Aug-2024 06:43:37 JST tenjuu99 現時点では問題もなにもない(ケリフ選手を男性と疑う根拠がないのだから)のに、ありもしない問題を考えて「競技のレギュレーション上の公平性」について議論する意味なんてどこにもない。
実際のトランスジェンダー選手がでてきて権利を主張したときに、制度とギャップがある場合にそうすればいいわけだけど(ふつうはそうしているのだし)、なぜか「トランスジェンダーが女性スポーツに参戦したらどうなるんだ?公平なのか?」みたいなわけわからない問いを言う意味がわからない。そもそも、逆に現状ではオリンピックにトランスジェンダーの選手は事実上参加できないのだから、「何が公平ではないのか」は自明だとおもう。In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Saturday, 03-Aug-2024 04:46:04 JST tenjuu99 ケリフ選手の話、Wikipedia 読むとそうとう酷い話っぽくて、トランスジェンダーであるというのも酷いデマだったけど、そもそもXY染色体が証明されたとかテストステロン値が異常だったとかも、IBA(International Boxing Association)が言っているだけで実際の証拠も検査の仕方も提示していないで言っているらしい。ワシントンポストに「ケリフがXY染色体をもっているとかテストステロンが高いという証拠は出されていない」と書かれ、IBAは検査のやりかたは機密だとして明かさなかったらしい(2023年の失格騒動)。さらに2024年になって、IBAはまたケリフ選手や他何人かを検査対象として、「他の女性選手より優位性がある」と発表したが、またも検査方法は機密であるらしい。
こういうわけでさすがにIOCがキレてIBAを運営から外した、という流れのようである。ようするに、ケリフ選手が女性であるかとかないかとか、そもそもなにひとつ情報が存在していない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Imane_KhelifIn conversation from pleroma.tenjuu.net permalink Attachments
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 15-Jul-2024 00:05:28 JST tenjuu99 「真の女性」と「偽の女性」がいるという論、分断・差別でなくてなんなのか In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Monday, 15-Jul-2024 00:05:28 JST tenjuu99 小池百合子を「名誉男性」だとする文章を左翼学者が書いてるけど、まじで悪質だと思う。何がなんでも小池を「女性」のカテゴリーから排除したがるの、差別そのものだし、女性からの投票が多かったという事実に鑑みても、その投票した女性たちも「名誉男性」化する。こいつが市民連合で野党に口出ししてるの悪夢だと思う。 In conversation from pleroma.tenjuu.net permalink -
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tenjuu99 (tenjuu99@pleroma.tenjuu.net)'s status on Thursday, 11-Jul-2024 22:01:39 JST tenjuu99 この記事ヤバすぎ
パレンバン攻略ってまじでただの泥棒やんけ
https://note.com/mutukawa34413/n/nef425e60c0bc
この絵の青にはこの時代の日本人の思いが表現されているように思う。
1941(昭和16)年12月8日。日本はアメリカ・イギリスを相手に開戦した。それは現代からみれば「無謀」だと言えるかもしれない。いや、当時においてもそれは同じだったろう。誰もが米・英という「巨人」に立ち向かう若者の心境だったのではないかと思う。
だから、オランダ植民地のオランダ資本・アメリカ資本の石油を奪取に向かったのである。やむにやまれぬ選択だと言ってよい。その「やむにやまれぬ」心がこの絵の点々と広がる白に表れていると言っては言い過ぎだろうか。
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