最近ちらほらフォローしてくださる方、こっちはほぼ動かしていないサブアカになりますのでご留意ください。
今はビバルディの方のサーバーをメインにしてます。⬇
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日本で「移民」というとどこか遠い世界の出来事と切り離されがちだけれど、全然そんなことはないよね。
こちらで紹介されている『世界は僕を切り裂けない』、見たい。『Nimona(ニモーナ)』も見てみたいので、Netflix加入しようかな……なやむ……
<35>移民16年目 ここで生きている【写真】 | 中国新聞デジタル https://www.chugoku-np.co.jp/articles/gallery/324934
@hyoyoshikawa Hyoさんの投稿を続けて読んでいたので、理解しています。
vivaldi.net のアカウントはこっちです。一応おしらせ。梅の追熟に成功したから見てほしい…………きれいなんだよ…………青い梅もきれいだけど………………
@kitsunekirin@vivaldi.net
私はメインアカウントを移しますが、その理由の大半が、あれこれ考えた結果の「個人で運営しているサーバー以外にしよう」というものです。ohai.socialにも惹かれたけど、モデレーターが3人ということで、やっぱりもう少し大きいとこがいいなと。mastodon.socialとvivaldi.netで迷いましたが、vivaldi.netにしました。引っ越しはしないので、ぽちぽちフォローしたりしていくと思います。
以上です。ここまで読んでくれた方はありがとうございます……。
わかりやすい結論がないしダラダラしているな。正直何も解決していないし(解決ってなんだ?)、アカウントを移したからといって何も変わらない。というのは自覚しているつもり。こういうものが、伝わらなくても同意されなくても、発信できる場所が今後残っていけばいいな、と祈るように思います。
なんだけど、私は他のところに移ります(引っ越しはしない)。なんでかというと、自分が他の誰かの個人サーバーでアクティブに話す、っていうことに、ちょっと限界を感じてるんですよね。ようやくそこに至ったというか。他者の個人サーバーでアカウントを持つなら、それならやっぱりコミュニティ維持に対してどうにか「負担」(アクションとしてでも金銭的なものでもなんでもいいけど)しなければ、と個人的に思ったのと、やはり何かあったときにサーバー管理者に対しての「誠実さ」を、自分はどうしても求めてしまうだろうし、でもその「誠実さ」っていうのは「田淵が思う誠実さ」であって、ある意味「解答」があるんですよね。そのギャップとのズレこそが、対話であるし、ひいては「差別を減らす」ということにつながるんじゃないかな、というのは考えて。なのに私はそこまで頑張れる気がしない。冷静にもなれないと思う。そこでまた自己嫌悪している。
それでもできる場所で、やりたいこととやっていかなければと思うことを、無理せずにやりたい。そして窓の外をしっかりと見たい。窓の内側のことも現実なことを忘れずに。そういえば粉を焼いていないな。
そういうことを考えていたら、自分がどこで、何を、どうやって言葉を紡いでいきたいのかわからなくなっちゃった。
私はトランス差別を受ける当事者ではない。し、今アカウントを持っているサーバーのどれもトランス差別を容認したりはしていない。というかマストドンは基本そうですよね。だから、今メインで使ってるblueに残るのもありだな、というのは正直考えた。私は残れるから。「セーフスペース」にはなり得ないだろうけれど(というかほとんどのサーバーが難しいと思う)、そういうやり方だってあるはずだし、「ここは"駄目"だから」といって抜け出すなら、真っ先にツイッターだよなあ……と己を顧みたりしている。私はまだツイッターにアカウントを残してる。
即座に対象に対応が取られない、そのことが強い不安感と恐怖感を誘起させることは簡単に想像できる。「個人サーバーだから」というのは、本当に「正しい」けど、「正しくない」なって思う(でも「正しい」)。「対話“も”やっていこうよっていう話だよ」という角度は「正しい」けれど、同時に「対話が終わるのを待っていられない」という角度も「正しい」と私は思う。どちらが「正しい」意見で、どちらを「支持」して、どれを「見限る」か、というのは、本当にわかりやすくて、そしてわかりやすいからそこで終わってしまう。セーフスペースと反差別を掲げるサーバー、はイコールでは括れない気がしてる。セーフスペースが明るく開けた場所であってほしいのに、閉じていたり小規模でないと維持できないって言っているようなものではないかと思ってどうしようもない気持ちになる。
差別をしたアカウントはbotではない。一つのサーバーから消えても、他の場で憎悪を膨らませているかもしれない。悪意がないゆえに同じことを繰り返しているかもしれない。というか、そうだろうと思う。ではできるだけ対話を試みるべきなんだろうか? 当事者の安心を置いてけぼりにして?
個人が運営しているサーバーに人が集まる。人が増える。通報事案が発生したとき、個人運営のサーバーで個人(まさしくただ一人が己の判断で)それに「正しく」対処し続けることは、本当に難しいのではないかな、と思う。じゃあ対処できなくてもいいのか、という話ではなくて。理想があっても知識が伴わない、もしくはアクティブユーザーが非常に多く、様々な声で判断を求められる、といった状況を考える。
そういうとき、「コミュニティを保つために、コミュニティに属するものとして手を出せること」を各々が考えて行動にうつすことはやっていった方がいい……というか、そうしないと管理者の負担はとめどなくなるのではと思うし、それってすごく刹那的では? と不安になる。「手を出せること」の一つが通報であるのは当然として、非当事者などで余力のある人間がリプでのアクションを起こす、というのも、場を守る行為として、場を守りたい立場に自覚的に立つというか、いろんな方向へ連帯を示す行為ではないかな、という気がする。
ただ、差別を受け苦しんでいる当事者にとっては、そういう場所は決して安全な場所ではないよね。対話なんてしている場合ではないもの。
toot.blue内でトランス差別投稿がありました。それに対するサーバー管理者の対応には、思うところも思わないところも、個人的にはあります。ちなみに「緊急性がない」という表現に関しては、『差別を軽視してるっていう意味ではなくて』と何度も繰り返し喚起していて、かつ『通報自体はためらわずにやってください』という意味のことも繰り返し述べられていた。のを見た。
ここで思ったのは、サーバーを管理する立場の人が「反差別」を掲げているとき、サーバー管理者はあらゆる差別の専門知識を有していることが基本条件なのか? 差別投稿や通報に完璧に対処できるのか? ということと、管理者に対して「即座に」「正しい」対応を取ることを求めるということが、差別をなくしていくことにつながるのか? ということ。そして、それを吹き飛ばすほどの大前提、「当事者は存在している」ということ。
toot.blueでの一件からしばらくマストドンを意識的に離れて、それをきっかけに色々なことを考えていました。差別、SNS、非当事者である自分、当事者の存在、コミュニティをつくるということ。
まず、最初に言っておきたいのだけども、この投稿は「すべき」とか「正解」とか「支持する」とか、そういうものではないというか、誰か/どこかをジャッジするものではありません。blueはじめ、特定のサーバーに対しての批判や評価でもありません。完全に私の考えの吐きだしなので、この投稿はこの投稿として完結してほしいなあ、というのが本音です。まあSNSで発信するので、願望にすぎないんだけど……。
以下続きます。
toot.blueで起きた一件をきっかけにずーーーーーーーとぐるぐるもやもや考えていたことをようやく文章として言葉にできたので、自分の中 “が” 一区切りって感じです!!!!!!!!! 反差別とセーフスペースとSNSと個人が運営するサーバーというものとコミュニティに関わっていくことと、あれやこれや。もうねえ、言葉には一応できたけどすっきりなんて全然しないよね。どうしたらいいかわからなくなっていくばかりだし自己嫌悪には陥るし。それでもそれらを言葉にしていきたいのだ。メモ帳に保存したので一旦おでかけにいきます。すごい晴れててびっくりした。
6月13日火曜日に、黒いもの(服がわかりやすいと思うけどなんでも)を身につけた写真とともにロヒンギャに団結のメッセージをSNSでのせる
という応援イベントがあるのだそうです!
ロヒンギャは難民として認められることすらむずかしい状況のようです
連帯の意思がおありになる方
普段から胸を痛めていらっしゃる方
困難な状況にある方になにかを届けられる機会なので
ぜひご参加ください😊
@pantabekanmi よい作家を知ることができて私こそ嬉しいです。『星のせいにして』、読んだら感想書きますね! 読むの楽しみです。
@pantabekanmi エマ・ドナヒュー『部屋』は完全にカンミさんの影響です。脱出を “ハッピーエンド” とせず、中盤に置いたことに、この作者の他の本も読もう、と思いました。今図書館で『星のせいにして』を予約中です……
私のパスケースには様々な「紙切れ」が入っている。映画のチケットとか、小さなメモとか、図書館で本を検索した時に出せる、本の情報が書いてある紙とか。そういう中に、この間……1月かな? のサロンデュショコラの入場整理券がある。サロンデュショコラというのは、チョコのお祭りです。すごく並ぶ。結局時間が無くて行けなかった。ああナオミミズノのチョコレートBOX!! 食べたかった!!! パスケースを開く度に捨てよう捨てようと思うのだけど、会期が終わってしまってた、とハッと気づいたときの打ちのめされた姿を思い出して、悲しかったねえ、と哀れんでしまい捨てられないでいる。完全に「片付けられないひと」の典型のようだ。でもそんな、なんでも片付けなくたっていいじゃないの。
これはすてきな「とうもろこしご飯おにぎり」です。
@AYANOayano お疲れ様です。よろしくおねがいします!!! 私も近々(引越しか別アカウント作成かどちらかですが)移動するので、そのときまたフォローします🙏
この間借りた本たち。『ねにもつタイプ』と、『部屋』は読了。両方とも一気に読んでしまった。
(画像は本の背表紙。以下、画像にある本のタイトルと著者)
●植物生まれのやさしいお菓子 卵、小麦粉、乳製品を使わないかろやかなおいしさ(白崎裕子)
●部屋(エマ・ドナヒュー 土屋京子 訳)
●十二月の十日(ジョージ・ソーンダーズ 岸本佐知子 訳)
●女の節目は両A面(岡田育)
●なんらかの事情(岸本佐知子
●ねにもつタイプ(岸本佐知子
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