即座に対象に対応が取られない、そのことが強い不安感と恐怖感を誘起させることは簡単に想像できる。「個人サーバーだから」というのは、本当に「正しい」けど、「正しくない」なって思う(でも「正しい」)。「対話“も”やっていこうよっていう話だよ」という角度は「正しい」けれど、同時に「対話が終わるのを待っていられない」という角度も「正しい」と私は思う。どちらが「正しい」意見で、どちらを「支持」して、どれを「見限る」か、というのは、本当にわかりやすくて、そしてわかりやすいからそこで終わってしまう。セーフスペースと反差別を掲げるサーバー、はイコールでは括れない気がしてる。セーフスペースが明るく開けた場所であってほしいのに、閉じていたり小規模でないと維持できないって言っているようなものではないかと思ってどうしようもない気持ちになる。
差別をしたアカウントはbotではない。一つのサーバーから消えても、他の場で憎悪を膨らませているかもしれない。悪意がないゆえに同じことを繰り返しているかもしれない。というか、そうだろうと思う。ではできるだけ対話を試みるべきなんだろうか? 当事者の安心を置いてけぼりにして?
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田淵 🐘 (kitsunekirin@toot.blue)'s status on Friday, 16-Jun-2023 18:03:58 JST田淵 🐘