ー琉球大名誉教授で琉球沖縄歴史学会の豊見山和行会長は「薩摩や幕府の考えが中心の記述。なぜ琉球が拒んだのかが分からず一面的だ」と指摘。球陽についても「薩摩侵攻から約130年後に編さんされたもので時代背景が異なる。ー
薩摩侵攻を正当化し、琉球が「不義理」を働いたと誘導する記述や、「台湾有事」は「日本有事」であると近隣国への差別表現が見られたという。
ー琉球大名誉教授で琉球沖縄歴史学会の豊見山和行会長は「薩摩や幕府の考えが中心の記述。なぜ琉球が拒んだのかが分からず一面的だ」と指摘。球陽についても「薩摩侵攻から約130年後に編さんされたもので時代背景が異なる。ー
薩摩侵攻を正当化し、琉球が「不義理」を働いたと誘導する記述や、「台湾有事」は「日本有事」であると近隣国への差別表現が見られたという。
BT
沖縄県内での米軍人による犯罪が増えていること、地元民への暴行などちょっと前にはあまり大っぴらにニュースにしなかった事件が増えていることも戦争が無関係とは思えない。
久しぶりに夜中嘉手納付近を走ったら暴走Yナンバーに囲まれた。ピリピリした雰囲気を日米両軍隊から感じる。
米ニューヨーク国連本部で開催していた「第23回 先住民族問題に関する常設フォーラムで読み上げられた県系人のアレクシス大城さんの声明文より。
「日米両政府は琉球沖縄での二重の植民地主義を直ちに終わらせるべきだ。」
頼んでもないのに植民地へと電波を垂れ流すNHKの朝ドラでは琉球・沖縄はほとんど蚊帳の外である。
なので最後まで観たためしがない。ところが今回の『虎に翼』は今のところ全部観ている。目当てはもちろん背広姿のよねさんだ。
よねさんのような振る舞いにはマイノリティ特有の孤独感が漂う。環境に恵まれず育ったよねさんの周りとは少し違う切迫感は、あなたであり、私であり、沖縄でもある。きっと多くのマイノリティーがシンパシーを感じるキャラのように思う。
ドラマの中の人間関係や、ネット上のレビューではよねさんを突き放すような者は見かけない。※自分調べ
では現実社会ではどうかと言えば「よねさん」のようなマイノリティの中のマイノリティは大方煙たがられる。腫れ物のように避けられ、単なる「怒りんぼう」としてレッテルをはられ、その先の正当性を全て奪われる。
自分の代弁者となる「よねさん」は称賛し、自分に加害性を突き付ける「よねさん」に対しては、作中に登場する冷やかしやからかいで女性を差別する男たち、または男社会を変える努力ではなく「女性」の応援をする「優しい」男たちのいずれかになっている者が多いのではないだろうか。
ドラマのよねさんに対する優しさや寛容さを、身近な「よねさん」にも向けてほしいし、自分もそうありたい。
米津のPV、一回しか見てないのでうろ覚えだけど、あのピースが歴史を含めた「沖縄問題」を脇に置いて観光しかしない日本人の他人事感がよく現れている。こんなよくわからない消費をするだけで「寄り添い」や「理解」のように扱われるのは、この国のマジョリティがあまりにも琉球・沖縄を無視してきたからで、それよりマシのような幻想を(また)抱かされただけ。
日本人は基地問題や沖縄戦を時折チラリと考えてますアピールをするだけでそこから先の行動は一切ない。理解がゴールと思ってるのか。だとするとそれは間違いだし、そもそも理解していないと思われる。
悲しいかな日頃無視されてばかりのウチナーンチュはそれにさえもすがり「感謝」する。土地の支配よりも恐ろしいのは精神面を支配されること。観光地の住民は自ら観光客へと奉仕するようになっていく。
植民地の住民は自ら支配者の奴隷となる。「優しい」の称号を求め同胞を殴り日本人を庇う。
もう鎖なんてなくても日本人に逆らうことなどしないのだ。
「素朴で純情」な人たちよ
黄金の花はいつか散る
ー一方、これまでの裁判で国などは一貫して「現行の法律では認められていない」と反論し、明治以降の政府の対応については沈黙を続けてきました。ー
侵略者の作った法律で先住民族の権利が守られるはずはない。
マジョリティが決めた「ルール」、マジョリティが決めた「優しさ」、マジョリティが決めるあらゆることは、マジョリティのためにある。
国は国際法に則り一刻も早く先住権を認めるべき。
https://news.ntv.co.jp/n/stv/category/society/ste1118eeb3cde409a97fea14f71d1579a
うん、まさに「逃げ切る」感じがした。
もしこの方が想定していた以上のゆさぶりを少なくないウチナーンチュに与えたとすれば、表現者としてはきっと「すばらしい」。
背負うものを選べると思ってそうな植民者感や、逃げ切れると(本気で)思っているとことか、現代の日本人がうまく描かれていたような気がする。
沖縄に対する意識を感じ取ってしまうことが例え「考えすぎ」と言われようと、自分の中にないものは出てくるはずもなく、無意識でもあるものは何かしらのはずみでポロリするものです。文字でも映像でも、表現者が持っている偏見や差別心は絶対に隠せない。
逃げ切りたいのはこっちだよ。
さよーなら、もう二度と!ってな。 [参照]
BT
琉球・沖縄の被害を語るときの、沖縄戦から〇〇年、「復帰」から〇〇年、ていうのは違う、という感覚と似ている。
沖縄県となり基地の押し付け、貧困格差などに苦しめられている状況は沖縄戦や「復帰」のせいではなく、日本の侵略・支配のせいなのだから。歴史の起点を日本に都合よくずらすやり方では問題の根本的な解決ができない。
日本が琉球・沖縄にもたらしたのは「文明」ではなく、基地と戦争。
BT
あるリベラル系が新聞記者(移住者)にトランスヘイターと名指しされた事に怒り、「移住者とは違い沖縄では人間関係が重要なので軽々しくヘイターなどとレッテルははらない」と発言した事がある。
運動内で差別があった時にその差別を糾弾出来ない理由はまさにそのくだらない「人間関係」があるからだ。おかげで性被害者が運動から去り、他の差別されている者もどんどん来なくなる。
問題解決が目的ではなくなり、人脈作りや「運動」を続ける事が目的となってしまうのは、権威主義や組織を大きくする事を重要視しており、本末転倒としか言いようがない。
SNSでも名のある人や「人気者」のマジョリティ的発言に「数」が集まりやすい。強い者に迎合しながら右派を批判する言動がイマイチ理解出来ない。
@papillonyama
マイノリティの中でも琉球・沖縄に対する植民地主義がすっぽり抜けてしまう事が多く、いまいち連帯出来ずにいる状況をもどかしく思っています。
沖縄中心の書籍で恐縮ですが、植民地支配の責任を全く理解していない日本人マジョリティに読んでほしい本が2冊あります。
『無意識の植民地主義』野村浩也著
『シランフーナーの暴力』知念ウシ著
日本国内の民族的マイノリティのみなさんではなく、日本人マジョリティに読んでほしい2冊です。
BT
朝ドラだけでなく日本人が「沖縄」を描く作品のほとんどがプロパガンダです。
琉球時代を隠し、歴史的建造物を戦争でぶっ壊し、日本が開拓・発展させてあげた沖縄だけで物語を作ればそりゃあ薄っぺらくもなるでしょう。
そしてなにより、加害性を突きつけられたくない日本人こそがこういった沖縄の描写を望んでいて、メディアはその声に応えているだけでは。
世界中の先住民が暮らす土地では似たような健康被害が相次いでいる。沖縄では先住民がPFASによる水質汚染に苦しめられ、未だ国は根本的な解決に動かない。
国連は「先住民族」の意味として、
①植民地支配を受けた
②先祖伝来の土地や領土に住む
③固有の言語を持っている
等の要素を盛り込んだ定義付けをしており、琉球・沖縄は全てに合致する。
先住民の土地を侵略・支配し、そこに軍事基地を置く事や軍事活動を行う等の行為は国際法に違反し、日本が琉球民族を先住民と認めない大きな理由の一つと言える。
日本人マジョリティの皆さんは自覚がないかもしれませんが、一つの国を侵略し今も実行的支配状態を維持している加害者です。これは過去ではなく、「今」も続いていて、侵略したのは俺じゃない、と言う話ではありません。恩恵を受け続け、特権がある内は加害者の責任を果たす義務があります。植民地主義を批判するなら琉球・沖縄に対し直接的な責任を負う立場から国内の問題にも同時に声をあげて下さい。
「弱者男性」の言う貧困などの個人的な苦労や困難は、「女性」の中にももちろん抱えている者がいるし、LGBTQ+、外国ルーツ、琉球ルーツなどのマイノリティの中にも大きな問題としてある。
「弱者男性」「弱者日本人」の苦悩は社会が作り出した生き辛さなら、是正に向け多くの人が連帯できるはずなのに、責任回避のための言い訳として使うのではそれこそマジョリティ仕草としか言いようがない。
マジョリティ特権への批判を個人の苦悩へと矮小化し論点をずらした先には「みんなつらい」という誰も責任を取らない社会が現状維持されるだけ。
権力勾配無視して世の中を見ていればそりゃマイノリティほど「神経質」で「怒りんぼ」で「無愛想」で「優しくない」でしょうね。
逆にマジョリティほど「ゆとり」があって「サバサバ」してて「優しい」と評価されやすい。
決して公平とは言えない世の中で、言動や振る舞いだけを平等に求められる理不尽な社会は、より弱い者を追い詰める。
だいぶ前、ある学習会(基地関係)の打ち上げにあまり見かけない女性(多分)が参加していて、その方に男性たちが辺野古の問題知ったのって彼氏の影響でしょってニヤニヤ(say yes感たっぷり)と質問していた。
この世の女性は男性から影響を受けることでしか行動できないと(無意識に)思っていなければ出てこない質問だなーと。
マイノリティの中のマジョリティがやるこたいつも一緒。
批判を抑圧する常套句「分断を煽るな」。ほとんどの場合批判する側に分断する力はないです。常に抑圧されているマイノリティに誰かを抑圧する力はないです。
力を奪われている者から言葉までも奪うなら、プライドや多様性を軽々しく語るな。
https://web.archive.org/web/20240330101824/https://tokyorainbowpride.org/news/20240330/2092/
ー観光地として発展し、子育て施策が充実しているなどの理由で住みたい街として人気が高い北谷町。一方、地価が高騰し若い世代が住めない街になりつつある。ー
富裕層の白人や日本人に土地を奪われネイティブハワイアンが追い出されているハワイと重なる。
ー入植者の植民地主義は、植民者が領土に侵入して占領し、既存の社会を植民者の社会に永久に置き換えるときに発生します。-ウィキペディアより
香港や台湾の富裕層も購入していると記事にあるが、日本人が沖縄の土地を購入するのとはわけが違う。
外国人は文化を置き換えたり言語を強制したりしない。互いに尊重し対等な関係で琉球・沖縄の文化と交じり合い新たな文化を生み出す力となる。
一方植民者である意識が皆無の日本人は、歴史を知らず、文化を盗み、自然を破壊し、日本のための沖縄として歴史もろとも上書きしそれを「良い」こととして押し付ける。
ウチナーンチュが「サイゼリヤほしい」と言うのと、移住者が「サイゼリヤを沖縄に」というのでは雲泥の差があるんです。
琉球を侵略・支配した入植者日本人が、先住していた人々の存在を抹消し不可視化していくプロセスをセトラー・コロニアリズムという。
ー加害者となった多数派フツ人と、ムガベさんら少数派ツチ人はかつて共生していた。何が虐殺を呼んだか。ムガベさんはベルギー植民地支配下の分断統治とメディアの差別扇動を挙げたー
阿部氏はムガベさんの指摘「メディアの差別扇動」のみに焦点をあて「植民地支配」については相変わらず触れない。
虐殺の根本的な原因はドイツとベルギーによる植民地政策で二つの民族が区別され対立が深まった事だ。メディアの差別扇動は副産物にすぎない。にも拘わらずメディアの責任ばかりを語るのは日本人として無責任ではないか。
この大虐殺は沖縄戦と重ねるのではなく、琉球侵略に始まり、沖縄県内で分断統治/同化政策をしながら琉球人と名乗る事を阻んでいる日本がしてきた(いる)全てと重ねて考えなければならない。
講演会では虐殺の生存者を前に「悪には悪の正義がある」と発言した者もいたらしい。私にとって阿部氏や多くの日本人が沖縄へ向ける沈黙や否定も、その発言者と変わらない。
日本の加害の歴史を避けていては、どんな問題も深く理解することは不可能だろう。
ー川満彰さんは、島田氏は「国体護持」の持久戦・沖縄戦遂行のため政府に選ばれた官選知事だと説明。住民に米軍への投降を許さない実態もあったと指摘し、「出会う人々に『何があっても生きろ』と励ましたという史実はない」と強調した。
北部疎開をはじめとする食料問題は「政策的に失敗で、棄民政策とも言える」と述べ、軍との関係改善が住民を最悪な状況に巻き込んだと指摘。島田氏を「武勇伝化し、英雄的に記述することだけに踏襲している。沖縄戦の実相をゆがめ、戦争責任をうやむやにするよう仕向けている記述だ」と問題視した。ー
島田は国と軍に忠実で沖縄人を戦争へ差し出した張本人。
沖縄人の加害性を日本人から問われ責められる事が増えたと同時に「日本人は沖縄人のために頑張った」的な日本人救世主物語も増えた。
日本人の罪悪感も薄まる日本人にとって好都合な歴史修正。これもまた深刻ではないとジャッジされ、日本人は日本政府だけのせいにし自身の責任を問うこともないのだろう。日本人の薄っぺらい「戦争反対」に呆れるばかり。
ー平和の礎で、沖縄戦の犠牲者の遺骨収集が現在も続いていることなどを学生から説明されたムガベさんは、「集団自決」(強制集団死)に言及し「ルワンダでも政府に抵抗し逃げようとした人々が、政府によって集団自殺に追い込まれた」と共通点を挙げた。「ルワンダでは広島、長崎の原爆については学校で学ぶが、沖縄戦を知る人はほとんどいない。残酷で、もっと知られるべき戦争だ」とも語った。ー
広島・長崎の原爆については米国の加害として日本は被害だけを訴えることができる。一方沖縄戦は日本の加害も多く(というか殆ど)含むので日本人すら知らない。守れなかった広島・長崎と、守らなかった沖縄。
沖縄戦は日本が琉球人を殲滅しようとしたジェノサイドだ。日本人にとって世界に知られたくない事実でしょう。 [参照]
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