「弱者男性」の言う貧困などの個人的な苦労や困難は、「女性」の中にももちろん抱えている者がいるし、LGBTQ+、外国ルーツ、琉球ルーツなどのマイノリティの中にも大きな問題としてある。
「弱者男性」「弱者日本人」の苦悩は社会が作り出した生き辛さなら、是正に向け多くの人が連帯できるはずなのに、責任回避のための言い訳として使うのではそれこそマジョリティ仕草としか言いようがない。
マジョリティ特権への批判を個人の苦悩へと矮小化し論点をずらした先には「みんなつらい」という誰も責任を取らない社会が現状維持されるだけ。