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    kmiura (kmiura@mstdn.jp)'s status on Thursday, 01-Dec-2022 17:44:24 JST kmiura kmiura
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    とはいえ、であるが、我が近辺の例をとれば、杉田水脈衆議員である。このひとが国会議員失格なのはいうまでもないが、欧州であれば犯罪者である発言を次々と繰り返している。この人の発言はひとまず認めて、社会はその犯罪性を徹底的に糾弾し言論のみであの暴言の数々の再生産を淘汰できるだろうか?あるいはストレートにその発言を刑法で取り締まるべきだろうか? そう考えたときに、私は暗澹とする。日本の課題はそれ以前なのだ。いままで、歴史修正主義や少数派差別主義への対抗言説はひたすら退却をくりかえしてはいないか。あるいは、たとえば、刑法で杉田水脈的な発言を裁くことができるようにする、その立法過程があるとしても、もはやその過程は民主主義的とはないだろうという根本的な問題がある。別の言い方をすれば、そのような法を制定したとしても、今の日本の人間の多くが「我々の合意のもとで決めた罰」とはおもわず、新しく設置されたお触れとしてしか眺めないのではなかろうか。

    死刑執行の報に接し「私が殺した」とはほぼだれも思わない、その裏返しの状況がそこにあるのである。

    In conversation Thursday, 01-Dec-2022 17:44:24 JST from mstdn.jp permalink
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      kmiura (kmiura@mstdn.jp)'s status on Thursday, 01-Dec-2022 17:44:25 JST kmiura kmiura
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      「自由な言論」を旗印に、嘘八百で世の中を混乱させることが果たしてどこまで許されるのか、という問いがそこに生じるわけだが、大半の人間はウソに困るであろう。マスク社長もウソを推奨しているわけではない。ポイントは、事前にウソをスクリーニングするか、事後的にウソを社会が指摘しウソ情報を淘汰させるか、という違いである。それぞれの課題は前者が「特定の集団によるスクリーニングに信頼性はあるのか」ということであり、後者の場合は「ネットの人々が力を合わせたらウソを駆逐できるのか」ということになる。前者のやり方が欧州の伝統的感覚なのだなあ、というのはこの10年ぐらいつくづく感じていることである。いや、そうであろう、というか選良主義がイギリス、フランス、ドイツなどで一般的であるのは所作の様相として知っていたが、実感としてそれを感じ始めたというか仕事上科学の現場でそのような感じ始めたのはこの10年ほどである。

      In conversation Thursday, 01-Dec-2022 17:44:25 JST permalink
      110?② repeated this.
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      kmiura (kmiura@mstdn.jp)'s status on Thursday, 01-Dec-2022 17:44:25 JST kmiura kmiura
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      一端は査読という科学のシステムのいいところ、悪いところにも現れており、それがプレプリントという対抗手段で問題が前景化してきたのである。こうした変化の最前線では、たとえば最近eLifeという英国のジャーナルが、査読以前に論文掲載、というある意味革命的な編集方針の変更をした。科学における倫理が、社会と科学との関わりを超えて研究自体の公開の仕方にまで踏み込まれるようになった、そのトレンドの一部としてこのような変化がある。オープンソース、オープンレビューイング、といった、情報をすべてオープンにすれば問題は起きてもその詳細が明らかであり解決可能である、という立場は、良心的なしかし密室での査読を大前提とする立場とは思想的に異なる。査読は事前スクリーニングであり、プレプリントは事後的なスクリーニング、である。後者はスクリーニングというよりも、単に正邪を問わずすべてを公開することが第一であり、その後に世界がその存在位置を評価する、自然淘汰を待つ、という形式である。

      In conversation Thursday, 01-Dec-2022 17:44:25 JST permalink
      110?② repeated this.
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      kmiura (kmiura@mstdn.jp)'s status on Thursday, 01-Dec-2022 17:44:25 JST kmiura kmiura
      in reply to

      前者は査読者に価値が委ねられ、後者の場合は価値をより広いコミュニティが決定する。科学者の多くは、密室における査読者の権力主義的・非良心的な態度を多かれ少なかれ経験して辟易しており、後者のより自由な公開のあり方こそが間違いが多くても結果として正しい科学的成果を世界に残す、と考える。とはいえ、実際上必要になるのは、査読者と同じような作業を多人数が常に行うことであるが、実際にやってみたらこれは結構難しいのでは、という意見も最近では増えている。みな、そんなにヒマではないし、見返りの見通しもない。科学的成果をテキストと図で眺めることが大好きな、全人類に比べればごく少数である特殊な集団においてもかくなる状況である。

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      110?② repeated this.
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      kmiura (kmiura@mstdn.jp)'s status on Thursday, 01-Dec-2022 17:44:25 JST kmiura kmiura
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      さて、話をすこし戻そう。ツイッターはこれまで事前スクリーニングの手法を研ぎ澄ませてきた。そこにマスク社長が洗面台を抱えてやおら登場し、事前スクリーニングなんてまやかしだ、全部オープンにしろ、事後スクリーニングこそが王道である、と宣言し、実際にそうしようとしている。非常に荒っぽいが、筋は通っている。オープンソース運動なるデジタル世界の生産構造の革命思想はまさにここにあるからである。(伽藍とバザール https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%97%8D%E3%81%A8%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB)

      青臭い、というなかれ。優秀なエンジニアほど思想的であり、過激であるというのは私は実際に目にしてきている。

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        伽藍とバザール
        『伽藍とバザール』(がらんとバザール、英: The Cathedral and the Bazaar、カテドラルとバザール)は、エリック・レイモンドによって書かれたオープンソースソフトウェア(OSS)のソフトウェア開発方式に関するエッセイおよび書籍である。 当記事では、Cathedralの訳語に伽藍、Bazaarの訳語にバザールを使用する。訳語については、「Cathedral」の日本語訳の節を参照されたい。 伽藍方式としてGNU Emacsの開発スタイル、バザール方式としてLinuxカーネルの開発スタイルとFetchmailのマネージメント経験を挙げ、ソースコードを常時公開して多くの利用者・開発者がソフトウェア開発に携わる開発手法のメリットを主張している(「ソースコードを常時公開して多くの利用者・開発者がソフトウェア開発に携わっている」、という点はGNU Emacsでも後者と全く同じである。従って主張されているメリットは、「伽藍方式」と「バザール方式」の違いのうち、それとは異なる点に由来する)。 歴史 1997年5月27日、ドイツのヴュルツブルクで開催されたLinux Kongressで講演の形で発表された。その後、1999年に書籍として出版された。原作書籍の表紙に描かれているイラストは、トレチャコフ美術館所蔵のリュボーフィ・ポポーワによる1913年の絵画『Composition with Figures』である。エッセイは2000年前後以降よりOpen Publication License 2.0の下で公開されている。日本語翻訳版は山形浩生が1999年に執筆し、オープンコンテント相当の制約で公開されている。 本書はオープンソース4部作となる『伽藍とバザール』『ノウアスフィアの開墾』『魔法のおなべ』および2011年現在未発表の『Weaving the Net of Indra』のうち、ソフトウェア関係者向けに書かれた最初のひとつである。 …
      岩下 啓亮 and 110?② repeated this.
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      kmiura (kmiura@mstdn.jp)'s status on Thursday, 01-Dec-2022 17:44:26 JST kmiura kmiura

      欧州がツイッターのマスク社長に噛み付いている。我々の法に従っていただなければ懲罰金を課す、というものである。
      その根拠であるところの法とは欧州のデジタルサービス新法であり、その法はの主旨はオフラインで違法なコンテンツはオンラインでも違法である、というものである。いわばオフラインからオンラインへの橋渡しをする法であり、コンテンツの違法性は特にネットに特有なコンテンツがあるということではなく、どこであろうがダメなものはダメ、的な世界である。しかしネットの場合、基本的に国境はないので、グローバルなSNSはそのままコンテンツのすべてが対象となる。2020年年末に提出されたその法案が、2022年に迅速処理されて10月には正式承認となったのは、2月下旬に始まったウクライナへのロシアの侵略戦争に関わるオンラインのフェイクニュースで著しい混乱が生じた、という状況が背景にあり、そこのともあって承認が急がれたそうである。つまり、ウソ情報をネットで流すことに対する責任を、情報媒体、たとえばツイッター社に求めたりするわけだ。

      In conversation Thursday, 01-Dec-2022 17:44:26 JST permalink
      110?② and るまたん repeated this.

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