こんなんばっか。そして多数派「関係ない。興味ない。知らない。対象はあやしい外国人だけだから別にどうでもいい。」
在留申請、不審情報共有へ 警視庁や行政書士連合会 | 2025/2/10 - 共同通信 https://nordot.app/1261604169976562114
こんなんばっか。そして多数派「関係ない。興味ない。知らない。対象はあやしい外国人だけだから別にどうでもいい。」
在留申請、不審情報共有へ 警視庁や行政書士連合会 | 2025/2/10 - 共同通信 https://nordot.app/1261604169976562114
「外国人観光客のマナーが悪い」ってのは文化とか習慣の違いっては一つの押さえておくべき常識とか良識とかそういうものだと思っていて、それはまったく否定するつもりはないのだけど、いまここら辺でやっているのはそういうレベルの話かどうかというふうに悩む時はありますよね。
太古の昔から観光地によってはマナーの悪い観光客なぞ腐るほど経験しているはずで、それは迷惑路上駐車だって人混みだってそうなはずで、そしてそれはインバウンドインバウンド言われる前から経験してるはずで、それをいまさら、外国人観光客の行為だけを目くじらを立て「外国人だから」と言うという事は別のもんを噛ませているという事になるのだと思うんですよね。
その別のもんは文化や習慣の違いというような良識や常識のレベルの話ではないのだと。
いままでは限られた観光地の事象だったと、それが全国的に拡散していると、そういう事もあるかもしれませんが、それだって昔からそういうのあったよねというとこからスタートする話にはなります。
そこからスタートすれば随分見えて来る光景は変わります。
でも、そういう話をどこがしているでしょうか。
メディアだってしてません。
余計なもんを噛ませて煽情的やっているとこは多いのではないかと思っています。
わたしは横浜市民で、候補者の演説も街宣カーのスピーチも聞いていたが、国民民主の候補者に票を入れる神経が理解出来ない。このあほさ加減、いい加減頭にくる。こういう世の中なんだと思うと、泣くべきなのか笑うべきなのか、非常に悩む。
ある42歳の死…無職、独身、両親の他界 誰にも引き取られない遺骨:朝日新聞 https://www.asahi.com/articles/AST240H62T24PTIL00PM.html
わたしは中国国籍で生まれも育ちも日本。人生の大半を日本国で過ごしていま母語も日本語だし生活習慣も日本。日本に住む者として外国籍者として住みやすいように権利と自由の獲得を夢想している人間だが、向こうの中国人から「わたしも”中国人”である」としようと言うならそれは別に「ああそうだよね」だけの話だし、それがここに住む者達が「日本に住んでて母語も文化も日本なら”日本人”だよね」であっても同じだが、どちらであっても「定義」「再定義」とか言われると、「うるせー」「定義なぞされたくない」って思っちゃう感じはある。
この小難しい感覚はどう表現して良いのか分からないが、わたしの根幹であるような気もしている。
そんな事をふと思ってしまった。
奈良の鹿を利用した憎悪煽動でひと儲けを企むクズヘイターの動画なんか初発のもので「なんかおかしい」と思うべきだし「これおかしい」と言うべきなのであって、さんざん出回って踊りに踊った上で被害者の訴えが可視化されたら「やっぱそうだったか」「おかしいと思った」なんか言われても振り向いたら死屍累々。って感じはある。
これね。「やっとはじめて真相が報じられた」みたいな投稿とか、「やっぱりそうか」みたいなのとかが他のSNSで流れているのだけど、在日中国人が同じような被害をこのクソユーチューバーから受けた事をSNS上で公表して「訴える」みたいな話をしてたんだよね。
いまさらながら驚いて見せるのはちょっと違うような気がしているとこはある。
「これが日本人の性質」奈良公園の“シカ唐辛子テロ犯”は虚偽だった…渦中の韓国人男性が真相を語り話題に|サーチコリアニュース https://searchkoreanews.jp/opinion_topic/id=33907
つーか二重国籍のヤツが国政選挙出てたじゃん。普通に。向こうで独裁者やっててこっち戻って来て国政選挙出てる。アルベルト・フジモリ。全然密かじゃない。たぶんいまみたいな状況でも騒がないだろう。人や権威性を見て対応している。
リビングのテレビのスイッチを入れたらBSフジのニュースで、中国の春節の特集をやっていた。
現地では花火を盛大のやっていてトラブル多発みたいな話から訪日観光客のオーバーツーリズムまで、伏見稲荷近くの踏切は両方向から人が殺到して踏切内で立ち往生で非常に危険。などと。
数年前春節の花火はもう火を使う奴はやらないみたいな話があったのだけど、いまは元に戻ってしまったのだろうかという思いはあるが、向こうで花火でのトラブルはこっちには(環境問題以外では)関係ないはずで環境問題の事は言っていないのだから関係ないだろというのと、確かに踏切で立ち往生は危険だが、それは観光客のせいなのか。
春節で多くの観光客が行く、その踏切は誰の管理か、観光客が管理するのか。片側通行にして入場制限して人の流れをコントロールすれば良いだけでは。
それを観光客が、その日その場にいる観光客が自発的にやれと言うのか。
非常に悪意がある報道の仕方ではないだろうか。
腹が立ってしょうがない。
せっかく夕食がうまく作れたのに台無しである。
横浜の方言は「~だべ。」「~じゃん。」あたりだとよく言われるのだけど、わたし、高校入るまで「~だべ。」を使った事は無くて、高校入って周りが「~だべ。」を使っているのを見てびっくりした事がある。
あれは、「~だべ。」は横浜でも港に近いほうでは言って無い言葉。むしろわたしが使っていた「~じゃん。」はあまり使われていなかった。
あれは、こんな狭い地域でも地域差ってあるんだなあと思った事柄だったべ。
朝鮮学校の3年生が学費補助“最後”の訴え 「後輩のため」 時代の正体 差別禁止法を求めて | カナロコ by 神奈川新聞 https://www.kanaloco.jp/limited/node/1145642
これ、数日前にやらないみたいな方向で「よかった」って方向の投稿が複数あったけど、これ、『「高額療養費制度」の上限額の引き上げ』はやるって意味だよね。「話を聞いてからやる」という意味だよね。「可能なかぎり、幅広い合意形成が図られるように努めていきたい。」と言っているだけで、そんな言葉なんの担保にもならない。
全然「よかった」ではないのでは?
騙されちゃいけないのでは?
厚労相 高額療養費制度上限額見直し “団体と話し合意形成へ” | NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250204/k10014711791000.html
今次トランプと文化大革命を重ね合わせる言葉が流れて来る。
なので、わたしはこう考えるというとこを。
文化大革命ってのは自らの政策に失敗した権力者が後継の採用した路線を修正主義として批判し純化路線を訴える事によって自らの復権を画策したものでしょ。市場主義を取り入れる事を資本主義に寝返ったとして社会主義を取り戻すみたいな事をやった。揺り返しの一環。はじめは。そして結果としてあの暴挙になった。社会主義・資本主義という主張自体はマトモな主義主張でもある。少なくともこの部分には双方の主義主張に論争の余地はある。
今次トランプはどうか。
トランプはマイノリティの権利をまず俎上に載せたワケでしょ。アイツらの権利を奪う。アイツらがここにいる事は許さないと。
ド直球の差別であり憎悪煽動なワケ。
わたしは、差別や憎悪煽動に反対するかどうか自体は論争の余地があると認めてはいけないと思っている。
資本主義や社会主義、市場主義といったものと差別や憎悪煽動などは同じような質の主義主張と言えるのかというところに違和感をわたしは持っている。
文化大革命と今次トランプを重ね合わせる時に、その方法論的なモノとは別に対立しているもの、当初から俎上に載せたものをどう考えているのだろうか。
文化大革命と重ね合わせる時には、差別や憎悪煽動を軽くみてしまっている事になるのではないかとどうしても思ってしまう。
あれかね。生活保護だの高額医療費制度だので「俺ら困ってる。外国人のを削って俺らに。」みたいなのをすんなり受け入れちゃうのはそれが権利という意識が無いから財源無いとかトレードオフみたいな話に乗っちゃうのかね。
昔、中国の寒村では、兄弟で一人の同じ女性と婚姻関係になるという事はあったらしいですね。
「震災下の中国人虐殺」の著者である仁木ふみ子さんは1990年頃に中国に行き、関東大震災時中国人虐殺の被害者の出身地である事が多かった温州(浙江省)を訪問し被害者やその家族から聞き取り調査をしたのだけど、大島町八丁目での虐殺事件唯一の生存者である黄子蓮の子供にも会っています。
色々話を聞いていると、黄子蓮は黄志森という兄弟がいて、まず、1921年に黄志森が日本に行き、その後23年に黄子蓮も日本に行く。そして、黄子蓮だけ生き残る事なるのだが、21年に黄志森が日本に行く前に、黄志森と黄子蓮は林氏という一人の女性とそれぞれ婚姻関係を結んでおり、黄志森と林氏のあいだと黄子蓮と林氏のあいだにそろぞれ3人、合計6人の子供がいて、6人が兄弟として認識していたという事に気付く。
帰路、同行していた現地地方の政府外事主任に質問する。
「二人の兄弟と林氏の関係は公開の関係でしたか」
外事主任は答える。
「そうです。今はこういう事はありませんけどね。」
魯迅の「祝福」にも描かれていると。
そんな記述がありました。
「ふくようけん」3代目です。越境し移住してきた初代が1917年に創業。当初は”陽は復昇る”「復陽軒」で1970年代に”福を養う”「福養軒」になりました。2019年11月より横浜中華街西門通りの店舗は休業。次をお楽しみに。あと、instagramもmastodonもtumblrもtwitterもBlueskyもfukuyoken3daimeで、店のwebサイトはfukuyoken.com、店のtwitterとtumblrはfukuyokenです。
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