今次トランプと文化大革命を重ね合わせる言葉が流れて来る。
なので、わたしはこう考えるというとこを。
文化大革命ってのは自らの政策に失敗した権力者が後継の採用した路線を修正主義として批判し純化路線を訴える事によって自らの復権を画策したものでしょ。市場主義を取り入れる事を資本主義に寝返ったとして社会主義を取り戻すみたいな事をやった。揺り返しの一環。はじめは。そして結果としてあの暴挙になった。社会主義・資本主義という主張自体はマトモな主義主張でもある。少なくともこの部分には双方の主義主張に論争の余地はある。
今次トランプはどうか。
トランプはマイノリティの権利をまず俎上に載せたワケでしょ。アイツらの権利を奪う。アイツらがここにいる事は許さないと。
ド直球の差別であり憎悪煽動なワケ。
わたしは、差別や憎悪煽動に反対するかどうか自体は論争の余地があると認めてはいけないと思っている。
資本主義や社会主義、市場主義といったものと差別や憎悪煽動などは同じような質の主義主張と言えるのかというところに違和感をわたしは持っている。
文化大革命と今次トランプを重ね合わせる時に、その方法論的なモノとは別に対立しているもの、当初から俎上に載せたものをどう考えているのだろうか。
文化大革命と重ね合わせる時には、差別や憎悪煽動を軽くみてしまっている事になるのではないかとどうしても思ってしまう。