トランプ最悪過ぎる
トランプ、スプリングスティーンら批判した大物歌手を「捜査」をちらつかせ攻撃 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
https://forbesjapan.com/articles/detail/79273
トランプ最悪過ぎる
トランプ、スプリングスティーンら批判した大物歌手を「捜査」をちらつかせ攻撃 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
https://forbesjapan.com/articles/detail/79273
「テック富豪たちがいかに馬鹿げた思想を持っていたところで、もしかれらがビリオネアでさえなければ、それは良くて「ちょっと考えさせられる、おもしろい思考実験」、悪いと「ただの馬鹿げた話」でしかない。テック富豪たちが危険なのは、かれらが自分たちの独りよがりな考えを押し通せるだけの権力を持っているからであり、その権力を奪えば危険のほとんどは消滅する」
Adam Becker著「More Everything Forever: AI Overlords, Space Empires, and Silicon Valley’s Crusade to Control the Fate of Humanity」
emigrl
April 24, 2025
http://books.macska.org/adam-becker著「more-everything-forever-ai-overlords-space-empires-and-silicon-valleys-crusade-to-control-the-fate-of-humanity
自分にとってのサブカルチャーは、「クラブ」に相当する。
「ローティはそのような空間のことを「クラブ」と呼びました。クラブに行けばバザールの愚痴を言えるかもしれないし、顔見知りたちと他愛ない話をしながら、バザールでの疲れを癒やし、翌日にまたバザールに向かうための英気を養う。
ここでのポイントは、バザールが唯一のものであるのに対し、クラブは無数に存在し得ることです。つまり、すべての人がそれぞれの「自分の場所」を持つ必要がある。ローティは、世界には「一つのバザール」と「無数のクラブ」が必要だと言っているわけです」
「暗がり」が失われたこの世界で、嗜好品は“われわれ”を生み出す:哲学者・朱喜哲
2025.5.07
https://digthetea.com/2025/05/ju-heechul/
「ダサくてもいいから、本当にやりたいことをやる」みたいな形でのスノビズムへのカウンターが、「ダサくて何が悪い」みたいな開き直りに変わっていく……というか頽落していく問題、よくある。
AIにぜんぜん興味が持てない~。
ちょっと興味ある側面としては、AIチャットボットとの(慰撫的な)やりとりから心理的なケアを得ている……みたいなユーザー層を、ウェブ上でたまに見かけること。全面的に自分を受け入れてくれる他者との切断から「成長」が始まる(始めざるを得ない)、みたいな近代的な人間観から言えば、自分をひたすら無制限に慰撫してくれる相手の存在はめっちゃ危険ってことになる。例えば男性向けサブカルチャーによく登場する、ひたすら無条件に自分を愛してくれる美少女キャラみたいなもんに近い。しかし「成長」概念自体がマッチョだ、「成長」しなくていいんだ、みたいな立場をとる場合、そういう慰撫的存在と癒着し続けることの何が悪い、みたいな話にはなっちゃうんだよな。
愛を恐れてはいけないと、真顔で言う勇気を持てるかどうか。
キス=愛を恐れ、異性を集団でいたぶり、非情に生きようとする。そうやって社会を制圧しようとした少年たちが、ハードボイルドを完遂できず、奈落に落ちていく。暴力、カネ、帝国主義を超え得るものとして物語の最後に想像されているのは、あまりにもロマンティックな、世界への「信頼」だと自分には思えた。戦後日本の消費社会的シニシズムに晒されて育った自分のような人間には、このラストがとってもまぶしく映る。
エドワード・ヤン『カップルズ』観た。最高!!!
「なぜスマホのバッテリーはすぐ交換できないのか?
短い保証期間、高額な修理費用、交換のできない部品……「壊れたら買い替え」へ消費者を駆り立てる資本主義社会には、修理を阻む巧妙なカラクリが隠されていた。そうしたなか、いま米国やヨーロッパで「修理する権利」運動が巻き起こっている。その現状を縦横無尽に分析した米国発の決定的入門書」
修理する権利
-使いつづける自由へ-
アーロン・パーザナウスキー 著,西村伸泰 訳
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=4018
CD買ったりビデオソフトをレンタルしたりするしかなかった時代と違って、サブスクサービスがあれば超マニアでない個人でも大量の音楽や映画を消費しやすくなる。その代わりに、サブスクからいつアーカイブが消えるかわからない状態(運営会社=「管理人」のさじ加減ひとつ)を甘受せざるを得なくなるし、カセットテープやビデオテープにダビングしたりして、任意にコピーをつくる(場合によっては違法)自由も失う。
特に、ユーザーによる介入可能性が高かったテープメディア(物理的に直接ハサミを入れたりもできる)がメインの座から退いて以降は、個人がハードウェア/ソフトウェアを逆用したり改変したりする志向自体が失われていったような気がする。ミクロな「個人の自由」(超マニアでなくとも、消費や創作を楽しめる)と、マクロな「管理」(=「管理人」としての巨大資本が、ハードもソフトも流通構造もすべて手中に収める)がトレードオフになっているというか。
AIにしても、上手く使えば個人ユーザーの消費や創作、情報整理や作業処理を画期的に補助してくれる。その代わりに、自分が使う生成AIソフトの開発者への「依存」は、甘受せざるを得なくなる。
アメリカへの移住希望者はSNSのアカウントを政府に申告することが義務付けられる可能性 - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20250306-uscis-wants-to-review-social-media-accounts/
「ワシントン・ポストでは、経営陣と編集部の関係悪化が深刻化している。2024年11月の米大統領選では、ベゾス氏が36年ぶりに特定候補を支持しないと決め、その後は編集幹部やベテランジャーナリストの退社が相次ぐ。今回、これに続いてベゾス氏が編集方針に介入した格好だ。
支持候補見送りの決定は、読者離れも招いた。米メディアによると、公表後の4日間で少なくとも25万人が電子版の購読を解約する手続きを行った。社内外で、トランプ政権下で自らが関係する企業に与える影響を踏まえ、ベゾス氏が一連の決断をしているのではないかという懸念が深まっている」
ワシントン・ポスト、ベゾス氏が編集方針介入 幹部辞任
2025年2月27日
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN26E3V0W5A220C2000000/
不老不死にならなくちゃ〈やうやうと短編シリーズ〉 トーチweb
https://to-ti.in/story/furoufushi
そういう自立性についてこそよく考えておかないと、既存の最悪な権力構造や暴力装置が、また別の最悪な権力・暴力装置にすげ替えられるだけで終わる歴史が生まれかねない。自由にものが言えない状況を作らないようにするのが、本当に大切。
演芸や興業の世界、芸能界なんて、最悪の権力関係や暴力の遍在を前提に成立してきたものだっていうスーパー当たり前の話を、いつのまにかなんかみんな忘れているっていう。
なので、インディであろうとすることは、そういう理屈から独立しようとすることでもあるわけで。これもスーパー当たり前の話。
近年の日本のポップカルチャー語りや批評のなかで、いわゆる芸能なり興業なりの世界にずっと介入していた/している、非合法な暴力装置についての歴史が無視されがちだったというのは、正直あるよな。表層についてだけ論じられがちというか。大衆芸能がどのように成立してきたかが、漂白された形でしか理解されなくなってきたというか……。なので、「だからこそインディーズであること」の大切さもまた、理解され難くなっていく。
XでB'zはダサいとされていたか否か論争みたいなのが起きてるのか。追ってないからよくわからんけど。
90年代には今と異なる文化的な棲み分けやコミュニティ形成があり、ある種のゾーンにおいてはB'zをダサいとみなす力学があった、ってだけの話じゃないの?
「現実の世界で、労働者が経営者のリスク転嫁と戦う唯一の戦略は、a) 組合を結成し、b) 組合を通じて強力な労働法を制定することだった。労働法は組合の代替にはならないが、重要な後ろ盾となる。もちろん、組合に加入していない場合は労働法だけが頼りだ。そこへアプリを手にしたテックブロが現れた。彼らの馬鹿げた(そして成功した)理屈は、「アプリでやれば違法じゃない」だ」
SNSどんどん増えてきて、各個人サイトの掲示板に告知書き込みしに行ってた古代のウェブ時代を思い出してきた
1984年生まれ。ライター(サブカルチャー批評)。国分寺駅そばの古本屋「早春書店」店主。テキストユニット・TVODとして著書『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)、『政治家失言クロニクル』(P-VINE)。テクノポップを好んでいます。●リンクツリー(各種リンク先をまとめています)https://linktr.ee/comecaml●コメカブログhttps://comeca.hatenadiary.org
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