橋場弦『古代ギリシアの民主政』(岩波新書、2022)は本当にいい本だった。歴史研究に基づく教養書で、わかりやすく、かつ深い。何となく知っているだけのこの制度のことが詳しくわかる。
そしてもう一つ良かったのは、ソクラテスやプラトンの立ち位置がはっきり分かったこと。彼らはエリート側の(あるいはそうなりたかった)知識人で、反民主主義者のなのだ。そこを僕は今まで曖昧にしか理解できていなかった。
橋場弦『古代ギリシアの民主政』(岩波新書、2022)は本当にいい本だった。歴史研究に基づく教養書で、わかりやすく、かつ深い。何となく知っているだけのこの制度のことが詳しくわかる。
そしてもう一つ良かったのは、ソクラテスやプラトンの立ち位置がはっきり分かったこと。彼らはエリート側の(あるいはそうなりたかった)知識人で、反民主主義者のなのだ。そこを僕は今まで曖昧にしか理解できていなかった。
当たり前のことだが、フランス革命の『革命的群衆』(G・ルフェーヴル)も、マスメディアに誘導される『孤独な群衆』(D・リースマン)も、古代社会には存在しなかった。にもかかわらず反革命論者は、革命で暴動を起こす群衆の姿をアテナイの民衆に投影し、また20世紀の評論家は、大衆社会の害毒をソクラテスの処刑とアテナイ民主政の衰亡に読み取ろうとした。人間は過去の中に見たいものを見、信じたいものを信じる」(p.234)
『古代ギリシアの民主政』、最終章から印象深かったところを抜き書き(2/2)。
「プラトンは、国家を船にたとえた。そして当地の専門技術を知らぬ素人の民衆に国のかじ取りをゆだねる民主政が、いかに危険で不合理かを説いた。統治は専門家のエリートにまかせればよい、と彼は信じた。
…しかしここで私は、ふたたび碩学フィンリーの言葉を借りたい。彼はプラトンのエリート主義に対し、アテナイの民衆を代弁してこう反論する。むろん専門家は必要だ。船を雇うときには、私も船長に操船をまかせるだろう。だが、行き先を決めるのは私だ。船長ではない。
私たちの将来を決めるのは、私たちであって、政治家ではない」(p.240)
@lematin
この本で初めて知ったことはたくさんありましたね。アテナイ民主政は「無頭制」的であるとか、権力の分割と監視に驚くほど熱心だったとか。西洋思想史における“反民主制的伝統”も。
本書の現在“民主主義”を体現していると称する議会制民主主義は、アテナイ民主政からするとどう見ても“貴族政か寡頭制”的という件は強い印象を受けました。
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