https://x.com/Akira_S_127/status/1823350234916999514
鉄道などの経済史の研究者になった鉄オタとして申し上げますが、実は鉄道史とか交通地理とかやっている研究者の相当数は、鉄道少年の成れの果てです。たぶん、電車好きが嵩じてモーター制御の研究してます、みたいな理系の研究者も少なからずいると思います。あと鉄道会社の中の人にも結構います。
https://x.com/Akira_S_127/status/1823350234916999514
鉄道などの経済史の研究者になった鉄オタとして申し上げますが、実は鉄道史とか交通地理とかやっている研究者の相当数は、鉄道少年の成れの果てです。たぶん、電車好きが嵩じてモーター制御の研究してます、みたいな理系の研究者も少なからずいると思います。あと鉄道会社の中の人にも結構います。
https://x.com/Booskachan_Ver2/status/1823291603982623176
それはそれとして、ことの起こりはこの辺のツイートなのですね。最近の「オタク」が批評精神を失い、公式が提供する商品をせっせと購入するだけの「消費者」に堕している、というご指摘は肯うものがあります。そしてSNSで金遣いを見せびらかすこと自体が目的化している。
最近の「推し活」というのも、私はいかがわしさを拭えません。それは消費者から主体性を奪い、ある対象に盲目的に金をつぎ込むことが、まるで人生の意義であるかのように思わせる、催眠商法の一種のように思えてならないのです。それをSNSが煽る構造になっているのです。
『推しエコノミー』という本があって読み、面白くもあったのですが、索漠たる気分になったのも事実です。流行りものは流行っているからいっそう流行る。そんなコンテンツが魅力ある文化に育つとは正直思えません。しかしSNSで消費を見せびらかす文化がそれを助長しています。
で、消費自体が悪いことではないにしても、「推し活」はあまりに消費者が主体性を失っている(モノの良し悪しを判断せず、これと決めた範囲に盲目的に金をばらまく)ように思えてならないのです。いかに消費者の主体性を奪うかが「推し」ビジネスの要諦になっているのではないでしょうか。
消費者という言葉はそう古いものではなく、戦後のものだと思います。高度経済成長以降ですね。そして「消費者運動」という言葉がかつて輝いていたように、そもそもは消費者というのは主体性をもって消費対象を批評し消費行動する存在だったのです。供給側と緊張感をもって対峙していたのです。
https://x.com/shintaka74/status/1821927864130007560
https://x.com/3peta/status/1813377603816038582
https://x.com/yoshidakaityou/status/1813402884178080050
https://x.com/ktos_tw/status/1813390930575245569
https://x.com/koteijing/status/1813426550454591979
こういった今の「推し活」について、疑問を唱える声も決してないわけではありません。人を強迫的に消費に向かわせるのは、まともではないです。
本来は、消費者はお金を使うことで幸福を手に入れます。同じ幸福なら安い金額で、同じ金額ならより多くの幸福を、の筈が、お金をこれだけつぎ込んだんだから自分は「幸福」な筈であると顛倒しているのが「推し活」です。その顛倒に対し、自分を自分で騙すために、SNSに消費を見せびらかすのです。
というわけで「推し」の問題については、消費者の歴史を辿ることが必須だと思うのですが、それにドンピシャの本が今月20日に出ます。北大の満薗勇先生(消費史研究の専門家)による中公新書『消費者と日本経済の歴史 高度成長から社会運動、推し活ブームまで』です。
「推し活」を超えて、焼畑商法でないコンテンツ産業を育てるには、まず消費者が主体性を奪回することが必須だと思います。その際の手引きに同書はなると期待しています。消費で自己実現するのは、簡単なようでいて実は容易ではなく、その難しさから逃げた先が推し活であり今のオタクだと思うのです。
この緊張感を持った対峙関係は、供給サイドもむしろ望んでいました。「流通革命」を推進したダイエーの中内功は、消費者も賢明な消費をすることで革命の一翼を担い、それによって日本の商品流通が合理化されることを夢見ました。そこでは消費者は、事業者と対等に渡り合う存在だったといえるのです。
ところが、おそらくは90年代以降ではないかと思いますが、この関係が変わります。安さを売りにしたダイエーは潰れ、定価販売のコンビニが隆盛を極めます。消費者は怠惰になったのか? 供給側が巧妙になったのか? 消費者が供給サイドに狎れあう傾向が生まれたように思われるのです。
そうした商略の行き着いた先が、消費者を囲い込んで盲目的に金を出させる「推し活」でしょう。消費者が供給者に依存する関係なのです。悪質なホスト商売や「頂き女子」は、その世相の極端な表現といえるでしょう。りりちゃんに貢いだ「おぢ」とガチャを回すオタクに軒輊する所はあるでしょうか。
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