『推しエコノミー』という本があって読み、面白くもあったのですが、索漠たる気分になったのも事実です。流行りものは流行っているからいっそう流行る。そんなコンテンツが魅力ある文化に育つとは正直思えません。しかしSNSで消費を見せびらかす文化がそれを助長しています。
で、消費自体が悪いことではないにしても、「推し活」はあまりに消費者が主体性を失っている(モノの良し悪しを判断せず、これと決めた範囲に盲目的に金をばらまく)ように思えてならないのです。いかに消費者の主体性を奪うかが「推し」ビジネスの要諦になっているのではないでしょうか。
消費者という言葉はそう古いものではなく、戦後のものだと思います。高度経済成長以降ですね。そして「消費者運動」という言葉がかつて輝いていたように、そもそもは消費者というのは主体性をもって消費対象を批評し消費行動する存在だったのです。供給側と緊張感をもって対峙していたのです。