読ませる記事だった。
久保覚「中上健次は軽蔑に値する」(1982)
読ませる記事だった。
久保覚「中上健次は軽蔑に値する」(1982)
まず愚直に、寺も門と敷地がはっきりしてるので神社と寺でいうほどの差はないだろう、強いて言うなら地域によっては、神社のほうが敷地面積が大きい傾向があるのか?とか思った。なので境界イメージ説はかなり怪しい。
巫女とお祓いの棒とかのセットでポピュラーカルチャーおよびスピリチュアル系に受けてる、というおそれがある。
さらには、仏壇や住職のお参りなどが生活の儀礼や共同体に結びつきやすいから、日本の心霊ネタ(やスピ系)の運用ではそうした生活延長感を一旦切断させるために、神社と神道が手っ取り早かったのか?とも思った。
ただ、寺から避けがちなのは日本のインテリ文化も同じか。
この引用ツイートの擬似的ツリーで語られている、寺と神社の使い分けは結構気になるな。お祓いの常套手段は寺なのに。
まあ現代人の右派っぽい神道フェチのせいだろで片付きそうでもある
https://x.com/yoshidakaityou/status/1809412706107105612
境界のイメージを言うなら、神社と寺の立地の差を言うべきだろうな。山中や町外れの大きな敷地をもってるのが神社で、街に1個か2個、寺はより数がバラけていて町中にある。なので寺のほうが共同体に密着してるし、地域によっては月命日ごとの仏壇参りもあるだろう。
そういう習俗と共同体の一切合財を国内心霊の話法は一旦キャンセルしてる面がある。
いまのところ、このTwitter版投稿はそれなりにバズってて、そろそろ右翼から攻撃きそうだな〜と返信欄を閉じた。
が、いまなお引ツイで右翼からの攻撃がないし、渋沢栄一のあの欲深そうなジジイの面構えと相まって拒否感を持つ人の方もけっこう多いのかもね。「日本型資本主義の父」というのが現在の保守にポピュラーな渋沢栄一像なんだが、左右を問わず、日本型資本主義にありがたみを感じない人も多いのもありそう。
「権力に擦り寄るのが好きな奴の気持ちは永遠にわからない。」というトゥートを見て、ふと思ったのだが、私はなろう作品を山ほど読んで「気持ち」の推定はできるようになったなあ。
権力に近づいてる側の心理は、「地道にやってたら偉い人が自分を認めてくれた、承認してくれた、そして庇護くれた」とか
「王族からなんかめんどい仕事押し付けられたけど(辺境の領主とか荒れ果てた土地の開拓とかがよくある)、ま〜、そのかわりに、王族の権威とやらを『使ってやる』よ」とかですね。
権力に近づいたのではなく、勝手に向こうからやってきた、と調整してるのがポイント。自分の意思によらない、という操作なんだよな。
なろう作品の最大のガンは、「権威」がアイテムのごとく気軽に使われることで、作中の「権威筋によるお墨付き」で守られる展開などを含む。そして、治安の悪い世界であることがその自衛策を正当化させる。もう一つの「主従関係のフェチ」の強さと合わさって、権威と主従で保守反動化の道が敷かれやすくなる。
ポルノメディア近接性と身分制の威光がセットになってる点がなかなか解体されない。
うわー、渋沢紙幣って朝鮮でかつて発行されたやつなんかよ。実に陰湿な嫌がらせ目的だな。日本政府は執念深いハラッサーか。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43545070Z00C19A4FF1000/
渋沢栄一の新紙幣起用は、植民地主義を意地でも批判したくない、なんなら嫌がらせで嫌韓行為をやりたい政財界の思惑に沿ったものだから、Mrs. GREEN APPLEの問題行動よりよっぽど悪なので、新紙幣案ごと破棄されればいいのに。
喧嘩商売の木多康昭も暇空投票をツイートで公表したし、嘘喰いの作者も暇空支持だし、青年誌漫画のリテラシーの底がどんどん割れている最中だ。
アウトロー漫画を描くうちにアウトローのしのぎ仁義の秩序に飲まれたのかね。
新宿区長が暇空を担ぎ上げている。
こういうふうに、戸籍制度や家父長制に都合のいい鉄砲玉をそのつど選出し、持ち上げ、うまい汁を吸わせて取り込み、時期がすぎれば使い捨てる仕組みがあるんだろうな。
田母神も桜井誠もDappiもそういう「かつて使われて見切られたコマ」。
https://x.com/yoshizumi_ken/status/1807380627647521260?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
風俗は福祉の主張をしている人は、当の風俗嬢から「客の立場で話を聞いただけで実態がわかるわけねえだろ」とボコボコに批判されているんだが、あの主張者は事業経営者であることを考えると、フィールドワークの結果をツイートしているのではなく、風俗と福祉をつなぐ事業をする算段が先行しているとみなすべきだと思う。だとすると、批判されても黙らないし止まらない。
説明がうまい。
“>LGBT描写が嫌なんじゃなくて、関係ない作品に無理やり入れるのが嫌だってのがなんで伝わらないんだろう
これ、素朴に思ってる人が結構いそうなんだけれども、いつも思うことがあって。
これ、「同性愛とは関係のない」創作作品を描こうとしても、それが実は現実を上手くあらわしていない可能性も実はある。
例えば僕は名探偵コナンが結構好きなんですけど、名探偵コナンでは、いままで1000話以上放映されたもののうち、おそらくいままで明示的に同性愛者だったキャラクターは1人も登場しない。(例外的に男同士のカラオケで親密な関係性を揶揄した回はあった)
それぞれの回は極めて「自然」なんですよ。毎回登場するキャラクターたちは「わざわざ」同性愛者ではない、いわゆる「普通の人」を描いてる。
でも、1000話以上、登場人物にすると何千と人が出てきて、明示的に同性愛者である人が1人もいない、なんて現実はどこにもないですよね。
(…)結果として同性愛者が1人も出てこない、という恐ろしい「現実」が描かれていることに気づく。”
https://x.com/hrsysi63/status/1800922746224074785?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
小山田圭吾のコーネリアス自称(コーネリアスは猿の惑星の猿キャラ)は、YMOと同じく、イエローモンキー扱いされてる日本人がセンスと技術でお前らをぶっちぎるんだが?と挑発する手口で、センスで勝つのを織り込み済みで機能するケレンだよな~、と思い出した
ただ、考えているうちに思考が飛び火して、「昔の猿の惑星日本受容もこんなもんだったのでは? 黒人やネイティブアメリカンの要素の投入だというふうに日本では捉えられてなかったのでは?」という疑念も活性化した。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV見た。
なろうの悪性としての「植民地主義の快楽」を無邪気に表に出したもので、企画を吟味する側がこれをダメ出しできないってアホなの? 脳みそがウェブ小説フォロワーと同水準なの? という感想になった。
https://www.youtube.com/watch?si=Vakt6LmSpqIUfDCV&v=XsIQmqXylZU&feature=youtu.be
YMO~コーネリアス的な対外緊張と自虐ですらないのか~、というのが今回のMrs.のインパクトかもね。そこに日本のテレビ的~お笑い的秩序がどっぷり関与してそう。
イデオロギー秩序の本体はこういうテレビ的~お笑い的~広告業界的な「意図された素朴さの暴力」なのか?とも思う。
https://twitter.com/umeboshigohan/status/1801145775537442988?s=46&t=X2RUQ4Qbb8-DRqOgpyhdjg
犯人の家族が左翼だから盛大に話題になっているのか。コンクリ事件の醜聞化過程と同じなわけね。オウムによる坂本弁護士一家殺害事件をスルーし続けたメディア&SNSの病だな。 https://bunkaonline.jp/archives/1538
すすきのの事件って大正時代の怪事件の回帰にみえる。階級と経済状況が似てきているのかな
へー、弥助がアサシンクリード最新作の主人公に抜擢か。面白そうじゃん。この機にロックリー・トーマス『信長と弥助』でも読んでおくか…。
すげえ。返信機能をオフにしたらコミュニティノートで嫌がらせしてきたわ。あらゆる左派バズツイートに包囲攻撃するスクラムが組まれるんだろうな
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