私のTwitterオススメ欄もついにダメになったのか、ポンデベッキオの「ヴァンスはいかに庶民から苦労して成り上がったのか」を語るトランプ陣営ヨイショツイートが流れ始めている。
わざと右派アカウントの個別ツイートを見てオススメ欄汚染を遂行してはいないので、潮目の変化もありそう。
私のTwitterオススメ欄もついにダメになったのか、ポンデベッキオの「ヴァンスはいかに庶民から苦労して成り上がったのか」を語るトランプ陣営ヨイショツイートが流れ始めている。
わざと右派アカウントの個別ツイートを見てオススメ欄汚染を遂行してはいないので、潮目の変化もありそう。
世界が壊れても、実際にはポストアポカリプスみたいな甘美な衰亡が起きるのではなく、単に醜悪な腐敗が延々と溢れるんだな…
良い記事だった。
“「(…)成功しているのは東京などの大都市ばかりです。観光で稼げと地域に無理な競争をさせ、疲弊させているのは統計上も明らかなんです」
「(…)地方で観光が新たな有望な雇用機会になったり、稼げる基幹産業になったりしている地域はほぼありません。観光は雇用を生むとさかんに喧伝(けんでん)されますが、現実はそうなっていません。特に地方では観光関連で雇用の非正規化が進み、離職率も高くなっています」”
“ 「観光労働の厳しさ、あるいは空しさは若い人たちを中心に知られつつあり、観光業界の人手不足は悪化しています。外国人労働者の奪い合いも始まっており、観光そのものの持続可能性も疑わしくなりつつある(…)」
「(…)観光産業は接客サービスなど人間にしかできない仕事を中心に成り立っているため、生産性を上げにくく、賃金も上がりにくいという構造的宿命を抱えているからです。観光産業にはそもそも、稼ぎにくいという特性があります。とりわけ地方の中小規模の観光産業では、人口減少で地域の労働力自体が足りていないので、仮に賃金を上げても人手が集まるとは期待しにくいようです。けっして日本の観光産業のレベルが低いわけではなく、そもそも改善しようにも難しいのです。(…)」”
昼食、アッコにおまかせ!を横目で見てたらハリス嘲笑トーン強めの共和党ヨイショな内容。はいはい、共和党系認識のみ紹介するいつもの日本政治情報バイアス、知ってる知ってる。
中国共産党揶揄勢は日本も同レベルだよなと揶揄をしてほしいわ
私は今回の大統領選について言いたいことは「同盟国日本にも大統領選の投票権ちょうだい。こうむる被害が尋常ではないので」ぐらいですわ
最近Twitterでは「苦労している人はルサンチマンを溜め込むから醜いんですよ」「貧しいなかから這い上がってきた人は不正をするんですよ」「結局、育ちが悪い人はダメですね笑」みたいな意見をしれっと書いてバズってるのたくさん見るので、こういうふうに「富裕層の怨念」培養が可視化されてきてるんかーとびびる。
どの階級でも怨念は発生するんだが、富裕層の場合、手が混んでて「怨念? 貧民の世界ですね」という二重底を巧みに使う性悪が出てきやすいんだよな。
金のない階層に生まれても、やる気あるなら大学進学、院進、留学ぐらいできる社会じゃないとアカデミーや大学は富裕層ばかりがいる歪な世界になるし、そういうのはほんとよくないよ。
私は院進もしてないからストレートに怨念は無いんだが、この2、30年で「留学は富裕層が行くもの」って雰囲気はすごく濃くなった。
現代思想の留学記特集が出ているのを書店で知ったが、実質的に富裕層自慢の印象で読まれそうだよなー。なんか昔のカルチャー誌みたいな表紙イラストでさ。今はこの手のカルチャーが「富裕層の趣味」の気配を濃厚に纏うフェイズか、と考えてしまった。
Versoが、キックスターターで寄付を募るほどの危機を迎えてるってまじかよ…。
本文の機械翻訳も貼っておく。
近場にあるにもかかわらず私がずっと行かずにスルーしてる珍名所だ。
“石川県羽咋郡には「モーゼの墓」がある。
かの竹内文書によると、モーゼはユダヤの民衆をイスラエルの地へ導いた後、そこから不思議な天浮船に乗って能登宝達山にたどり着き、583歳までの余生をこの地で過ごしたのだとか。
信じようと、信じまいと――”
https://x.com/meat_stew/status/1833475721144242608?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
なんか未知すぎておもしろかった。
“ウォンバットって敵に襲われたら巣穴に逃げ込んで硬いお尻で蓋をするらしいんだけど…いや、本当なん?それ(´д`ι)
どういう状態よ…そんなんで身を守れるん…
と思ってたけど、これ見たらウォンバットの尻がいかにすごいかが分りました😌”
https://x.com/boarbacon/status/1833692168483229739?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
私は今回の星野の記事、愚劣だから内容にコメントするのも嫌だったんだけど、「小説という形かそれに準ずる言語でないと、言葉を出すことをやましく感じるようになっている」というように、実際に「お前マジョリティだろ」とマイノリティから突き上げを食らったかどうかとは別に、突き上げを食らったような気分になって「疾しい」気分になっていた、というのがポイントで、
そこから「作家の言葉」に退避してるわけだが、その「作家の言葉」の言説空間こそを吟味しろや、と思ったかな。SNS消費vs作家の言葉 の図式がすでに臭い。
居場所と小説執筆が対比されているが、人が居場所をつくることに逆らう、それが作家の言葉っていうイデオロギーだと思う。そんなくっきり分かれるわけねえだろ、と疑わしい。でもSNSのクリエイター気分の人、こんなのにころっとやられる。私はこの種の「自律性を求めた人間が作家神話の再生産をやってミメーシスしまくる」ことの方に問題性を感じている
クリエイターって「自分が奪われたくない!」かつ「自分はすぐにキャパオーバーしてハングアップするんだ!」が多い。その結果、驚くほど似たような擬制に足を取られる
“日本は併合の直後から朝鮮の村祭りを禁止した。また、村祭りにともなう綱引き、石戦、車戦、木牛戦などの民俗戯も、それに仮面劇の上演も禁止した。金淑子さんの体験を一例にして示したように、朝鮮民俗芸能の中心的保持者であるムーダンたちのことも抑圧し、各地を放浪するとくに一般民衆との交流のつよい下級パンソリ演唱者たちに阿片をのませ、芸ができないようにした。さらに村祭りと共に民俗芸能の空間でもある市場も弾圧した。一時は、民謡の「アリラン」でさえも、その歌唱を禁止した。そしてこうした直接的禁圧の一方で、初等学校をはじめとする教育機関、警察、行政機関、ジャーナリズムを総動員して、朝鮮の民俗文化、民俗芸術を、迷信的であり、劣等な後進的なものだとする植民地史観、文化観を朝鮮人にたいして植えつけていった。すなわち、日本の植民地支配は、外部と内部の両方から朝鮮の民俗文化、民俗芸術を解体し、歪曲し、断種しようとしたのである。”
読ませる記事だった。
久保覚「中上健次は軽蔑に値する」(1982)
まず愚直に、寺も門と敷地がはっきりしてるので神社と寺でいうほどの差はないだろう、強いて言うなら地域によっては、神社のほうが敷地面積が大きい傾向があるのか?とか思った。なので境界イメージ説はかなり怪しい。
巫女とお祓いの棒とかのセットでポピュラーカルチャーおよびスピリチュアル系に受けてる、というおそれがある。
さらには、仏壇や住職のお参りなどが生活の儀礼や共同体に結びつきやすいから、日本の心霊ネタ(やスピ系)の運用ではそうした生活延長感を一旦切断させるために、神社と神道が手っ取り早かったのか?とも思った。
ただ、寺から避けがちなのは日本のインテリ文化も同じか。
この引用ツイートの擬似的ツリーで語られている、寺と神社の使い分けは結構気になるな。お祓いの常套手段は寺なのに。
まあ現代人の右派っぽい神道フェチのせいだろで片付きそうでもある
https://x.com/yoshidakaityou/status/1809412706107105612
境界のイメージを言うなら、神社と寺の立地の差を言うべきだろうな。山中や町外れの大きな敷地をもってるのが神社で、街に1個か2個、寺はより数がバラけていて町中にある。なので寺のほうが共同体に密着してるし、地域によっては月命日ごとの仏壇参りもあるだろう。
そういう習俗と共同体の一切合財を国内心霊の話法は一旦キャンセルしてる面がある。
いまのところ、このTwitter版投稿はそれなりにバズってて、そろそろ右翼から攻撃きそうだな〜と返信欄を閉じた。
が、いまなお引ツイで右翼からの攻撃がないし、渋沢栄一のあの欲深そうなジジイの面構えと相まって拒否感を持つ人の方もけっこう多いのかもね。「日本型資本主義の父」というのが現在の保守にポピュラーな渋沢栄一像なんだが、左右を問わず、日本型資本主義にありがたみを感じない人も多いのもありそう。
「権力に擦り寄るのが好きな奴の気持ちは永遠にわからない。」というトゥートを見て、ふと思ったのだが、私はなろう作品を山ほど読んで「気持ち」の推定はできるようになったなあ。
権力に近づいてる側の心理は、「地道にやってたら偉い人が自分を認めてくれた、承認してくれた、そして庇護くれた」とか
「王族からなんかめんどい仕事押し付けられたけど(辺境の領主とか荒れ果てた土地の開拓とかがよくある)、ま〜、そのかわりに、王族の権威とやらを『使ってやる』よ」とかですね。
権力に近づいたのではなく、勝手に向こうからやってきた、と調整してるのがポイント。自分の意思によらない、という操作なんだよな。
なろう作品の最大のガンは、「権威」がアイテムのごとく気軽に使われることで、作中の「権威筋によるお墨付き」で守られる展開などを含む。そして、治安の悪い世界であることがその自衛策を正当化させる。もう一つの「主従関係のフェチ」の強さと合わさって、権威と主従で保守反動化の道が敷かれやすくなる。
ポルノメディア近接性と身分制の威光がセットになってる点がなかなか解体されない。
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