マストドンの投稿で、ツイッター見なくなったら憎悪の応酬を見なくてよくなり、心の健康度が上がった、という書き込みを複数見かけます。
黙ってましたが言わせてもらうと、それはあなたがマジョリティだからです。
マストドンの投稿で、ツイッター見なくなったら憎悪の応酬を見なくてよくなり、心の健康度が上がった、という書き込みを複数見かけます。
黙ってましたが言わせてもらうと、それはあなたがマジョリティだからです。
まさにこれは、ケイン樹里安さんが仰っていたマジョリティの特権性なのだと思います。
https://note.com/julinote/n/n1e83b80755cc
”マジョリティとは、気付かずにいられる人/気にしないでいられる人”
ツイッターにおける極右のエコーチャンバーは、ツイッターという仮想空間限定の話ではなく、実際の極右分子がつながっているのが可視化されているだけだと思うのですよね。
それはそれで醜悪なものを見させられているわけですが。
なので、マイノリティも、その肥溜めのような悪臭の漂う空間から距離を開けることによって、ある程度の心の平安を保つことはできることはできると思います。
でもなんかこう、”自分という存在を脅かす存在が、触れてはいないけどそこに確実にある”という恐怖感は、パラノイア的といえば否定はできませんが、どうしても払拭できないところがあると思うのです。
ちなみに、一番上のTootは誰か特定の発言を見ての物ではなく、イーロンマスク騒動このかたツイッターからマストドンに移ってきた多数の方々の発言を脳内処理したものです。
特定の誰かを揶揄したいわけではありません。
また、断言的な文面になってしまったのもちょっと反省してます。
そのため発言の補足をしてはいるのですが。
ほうほう、なるほど。
一番上のTootがマジョリティへの当てこすりに見え、あたかも「マジョリティはツイッターの巣に帰れ!」と攻撃してるように見えるとは、言われるまで気付きませんでした。
もし「攻撃された!」と感じてしまった方がいれば、まあ謝ります。
その意図はありませんし、これを脅威だと感じてしまう感覚自体が将にマジョリティの特権なのかもしれない、ということは落ち着いたら考えてみてくださいね。
ヴィンランドサガの印象深いシーンを張っときます。
「お前の敵は誰なんだ」
「お前に敵などいない」
「誰にも敵などいない」
「傷つけてよい者など」
「どこにもいない」
興味深い。
まあ、一石は投じられ、波紋は広がり小波となり、飛沫があがった、という所でしょうか。
その飛沫を誰がどう解釈するかまでは関知できないわけで。
SNSというものは色々と面白いことが起こるものですね。
しかしこのマストドン、引用しない文化は理解したんですが。
引用しないということは、そもそも元々の発信者が言ってないことを妄想で上書きしてデマを拡散する悪意ある人々にとってはこの上なく都合のいいものになってしまってるよなと。
私の発言がプログレッシブ的とみなされてた一部の人々が曲解し、私が発言していないことを私の主張のようにして発言し、それが賛同か否かに関わらず拡散ているのをみていると、それこそひろゆきとかのデマコギー専門家が乗り込んできたらあっという間に焼け野原になりそうな気がするんですけど、どうでしょうね。
しかしまあ、普段は聡明な発言をしている人もマジョリティの特権を指摘されると、見事に認知的不協和の典型のような曲解をしてまでそのマジョリティ特権を直視しない、というのはなかなか興味深い経験をさせてもらいました。
興味深いと同時に、こういう連中のなかで生きて行かなければならないという現実と向き合わされる感もあり、つらみ。
実際にはつらみ。とかかわいいものではなく、直視するならば、底冷えするような恐怖感なんですけどね。
このマジョリティの優位性を認めない、マイノリティを黙らせようというマインドセットはもはや日本のメインストリームとなっている歴史修正主義と同根だと思っています。
東京都人権部が関東大震災のアート展示を許可しなかった件は記憶に新しいですが、要は「我々にとって都合の悪いものを可視化させるな」というところで繋がってはないでしょうか、と。
とはいえ私は彼ら彼女らの先生でも母親でもなく。
「おかしいものはおかしい」
と声を挙げただけです。
叩きたいものがあるのならば、それは私ではなくあなたの中にありますよ、ということは指摘させて頂きたいなと。
数日待ってみましたが、やはりというかなんというか、訂正も追記もないようですね。
”マジョリティとは、気付かずにいられる人/気にしないでいられる人”という事はどういうことか、を身をもって教えてくれている奇特な方々がいらっしゃったので、張っておきます。
どうぞご査収ください。
こういう問題の際いつも思うのは、この写真の中に自分がいたとすれば、さてどこにいるのだろうかと。
さてもし傍観者だとしたら、もうこれは加害者に他ならないのではないか、と。
お行儀の良いマジョリティ様におかれましては、まあ随分と下品な野郎もいたものだと憤慨されておられるかもしれませんが、これでも頑張ってセーブしてるのです。
吐き出したい数十分の1も出してないですよ。
マイノリティとはこのように遠隔から不可視の石を投げ続けられる事によって、まるで真綿で首を絞められるように窒息状態に追いやられ、沈黙することを強いられているのです。
少しでもこの居心地の悪さが伝われば幸いですな。
吐露させて頂いたお陰で、少なくとも私はこの3日間ほどで一番寝る前の煩悶が少なくて済んでいます。
おやすみなさい。
一般論として、マイノリティというのは、お行儀を良くしていないと折角できたallyが逃げていってしまうのではないか、という怯え、というか、不安が常に付きまとうものではないでしょうか。
まあ私なんかはエスニックマイノリティとはいえ、ほぼほぼマジョリティかのように擬態する事もできなくもないので、もっと辛い立場に置かれている方々と比べるべくもないかもしれませんが。
一番上のTootは、そういうally、もしくはally to beに向けての一般化したプロテストのつもりだったのですが、それを自分に向けての攻撃だと受け取った方々がいたのが興味深い現象でした。
ヘイトスピーチではない限り、言論の自由は担保されていると思います。
が、こちらから見れば、あのような遠くから石を投げてくるような行為は、正直ネトウヨと変わりません。
今朝になって、Allyを失うのではないか、という恐怖感があったのをはっきりと認識したためウダウダ書いているのですが。
こちらが言いたいことを言って失うようなallyのようなものであれば、それは最初から私のallyではなかったということではないかと。
つまり、私は私として既に存在するのであり、私の存在を条件付けで認める人々は、私のallyではない、と。
周囲の顔色すら伺う必要はないんだと。
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