最近、ヒットしている外国映画の作中登場する「冷蔵庫の女」(男性主人公に物語上の動機づけを行うためだけに都合よく殺される女性キャラを指す批評用語)を批評する際に、批判の対象を(まるでそれが当然のように)制作国の国/国民/民族/宗教の全体にまで拡大している投稿ひいては言説を連続して目にした。
まず最初に述べておくと、「冷蔵庫の女」が女性への問題あるステレオタイプであるという指摘にも、良くない展開だという批判にも私は同意・賛同する。
そして前提として、これに該当する人気作品は古今東西どの国にもあり、最近でもこれに該当する作品が世界中で新たに公開されてヒットしており(MCUシリーズなんかそれの最たるものの一つ)、言うまでもなく日本の人気コンテンツも大量に該当している。
しかし、中国(今回この投稿をする理由となった作品は香港映画だ)の作品にそれが含まれていると、文化背景や制作状況にたいして詳しくなくても、安易に「お国柄が/中華思想が/儒教が/民族性が」云々と、作品のみならず一足飛びに国や国民、民族全体、あるいは宗教全体にまで批判対象を広げた物言いをする人が出てくる(こうした物言いをしている人自身は、自分は人権意識が高いつもりなのかもしれない)。
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Ubu (ubuhanabusa@fedibird.com)'s status on Sunday, 16-Feb-2025 06:58:24 JST Ubu
- るまたん repeated this.
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Ubu (ubuhanabusa@fedibird.com)'s status on Sunday, 16-Feb-2025 06:58:43 JST Ubu
なぜ"中国"の人気作にフェミニズム視点からの瑕疵(冷蔵庫の女)があった場合には、その点だけでなく、一気に国家全体/国民全体/民族全体/宗教全体にまで批判の対象が広げられてしまうのだろうか。
こうした作品批評において問題描写への批判を行う際に、批判の対象を国全体/国民全体/民族全体/宗教全体に拡大してしまう言説がSNS等で散見される。こうした流れは、欧米の作品を除く外国作品、特にアジア圏の作品に対する感想や批評が盛り上がる中で何度か起きていると感じている(『RRR』や『パラサイト 半地下の家族』『羅小黒戦記』などでも似た論調の"感想/批評"が散見された)。
そのため私は、こうした盛り上がりの中に、日本の視聴者が何を「(雑に/根拠なしに)強く非難してもいい」と判断しているのかがよく表れ得るのだと考えている。
たとえば、日本の人気作に「冷蔵庫の女」が登場しても、その描写を指して「日本は国家神道に依存しきっている/いまだに帝国主義思想が抜けてない」というような、いくつもの理論の飛躍を含む批判は通常行われない。
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