なぜ"中国"の人気作にフェミニズム視点からの瑕疵(冷蔵庫の女)があった場合には、その点だけでなく、一気に国家全体/国民全体/民族全体/宗教全体にまで批判の対象が広げられてしまうのだろうか。
こうした作品批評において問題描写への批判を行う際に、批判の対象を国全体/国民全体/民族全体/宗教全体に拡大してしまう言説がSNS等で散見される。こうした流れは、欧米の作品を除く外国作品、特にアジア圏の作品に対する感想や批評が盛り上がる中で何度か起きていると感じている(『RRR』や『パラサイト 半地下の家族』『羅小黒戦記』などでも似た論調の"感想/批評"が散見された)。
そのため私は、こうした盛り上がりの中に、日本の視聴者が何を「(雑に/根拠なしに)強く非難してもいい」と判断しているのかがよく表れ得るのだと考えている。
たとえば、日本の人気作に「冷蔵庫の女」が登場しても、その描写を指して「日本は国家神道に依存しきっている/いまだに帝国主義思想が抜けてない」というような、いくつもの理論の飛躍を含む批判は通常行われない。
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