元の論文が古いし、男女二元論になってしまうのは仕方ないのかなと思うけれど、作中でクイア映画や同性愛をカミングアウトしている監督の作品を紹介する場面でも(サリー・ポッター、セリーヌ・シアマ、ガス・ヴァン・サントなど)「男性のまなざし」「女性のまなざし」と統一しているのはどうなんだ。
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カンミ (pantabekanmi@mastodon-japan.net)'s status on Friday, 31-May-2024 09:57:54 JST カンミ - るまたん repeated this.
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カンミ (pantabekanmi@mastodon-japan.net)'s status on Friday, 31-May-2024 09:57:54 JST カンミ 私はこのドキュメンタリーを観て、自分が「男性のまなざし」を内面化していることを突き付けられたし、それはこれから自身で内省と疑っていくことをするしかないのだけれど、なんかもやもやします。アジアの監督としてキム・ギドクとパク・チャヌクが紹介されていたのも気になった。キム・ギドクは性暴力で告発されているし、よりによってその2人かよ。っていう。