性暴力被害者の女性について取り上げた記事について、コメントで宗教社会学の塚田穂高さんが、取り上げられている3名とも宗教団体内での被害であることから、宗教におけるジェンダー問題が存在する可能性を指摘されていますが、私も同じことを考えていました。
「私はここにいる」 顔や名前を出して立ち上がる性暴力被害者たち
https://www.asahi.com/articles/ASS3Q3PSCS3PUTIL01Z.html?comment_id=23706&iref=comtop_Appeal6
性暴力被害者の女性について取り上げた記事について、コメントで宗教社会学の塚田穂高さんが、取り上げられている3名とも宗教団体内での被害であることから、宗教におけるジェンダー問題が存在する可能性を指摘されていますが、私も同じことを考えていました。
「私はここにいる」 顔や名前を出して立ち上がる性暴力被害者たち
https://www.asahi.com/articles/ASS3Q3PSCS3PUTIL01Z.html?comment_id=23706&iref=comtop_Appeal6
統一教会については、安倍元首相銃殺によってやにわに注目を浴びるようになりましたが、そのターゲットとなるのは多くは女性で(山上被告の母親もそう)、金品を収奪されるのみでなく、集団結婚として未婚の韓国人男性にあてがわれるというのに陥るのはほとんどが女性であることはどこかで指摘されていたと思います。
なぜ女性ばかりがターゲットになるのか、というのは、女性の日本社会での居場所のなさが背景にあるのだと思います。
「イエスの方舟」の信者たちの近況について取り上げたドキュメンタリーを最近見たのですが、彼女たちは、一度、家に帰ったのちも、多くが再び「教会」に戻ってきているとのことでした。
カメラの前で「おっちゃん(当時洗脳したとされた主宰者)だけが、ちゃんと自分の話を聞いてくれた」と涙ぐみながら語っていて、これは翻せば、そこ以外では、誰からも話を聞いてもらえなかったということだと思います。
(イエスの方舟は、統一教会とは違い、信者を収奪するような団体ではなかったと認識しています。)
女性だから、社会のなかで軽く見られ、どこに言っても軽くあしらわれ、まともに向き合ってもらえない。そういう女性の行き場のなさは、既存宗教のなかにも深くあり、そのことがかえって新興宗教に女性が惹きつけられる原因となっているように思います。
というのは、安倍元首相銃殺の直後にNHKの「こころの時代」で宗教者たちになにができるのか、といった内容で、教義を超えた既存宗教界の御大たちが集まって議論する回が連続で流されていたのですが、参加者は、ほぼすべて男性だけでした。
つまり、既成宗教はどの信仰であったとしても、男性によってのみ支配されており、そこで女性は従属的なポジションしか与えられていない、ということです。
それを見た時に、これこそが既成宗教ではなく、統一教会に女性が引き寄せられた理由なのだろうと思いましたし、なにが問題であったのかは、この議論に参加している宗教界の御大たちには絶対にわからないはずだ、と思いました。
社会のなかに居場所がないため宗教に救いをもとめたのに、既成宗教のなかにも居場所がなく、女性をターゲットとして収奪する統一教会の餌食になる、というのは、何重の意味でもすくいのない話だと思いますが、今回の既成宗教界の宗教者による性暴力も、同じ構造のなかで起きたことなのではないかと思います。
どれだけまじめに意見を言っても、軽くあしらわれ、まともにとりあってもらえない。それが年を重ねるごとに強まっていく。この所在のなさは、男性にはわからないと思います。
私の場合は、一緒にやってきた欧州の友人が、ちゃんと私の意見も取り合ってくれたので、続いていますが、日本国内だけでやっていたら、到底続かなかったと思います。
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