3/11アニバーサリー報道を見ていて思うのは、東日本大震災の特殊性は、常に被災地は客体化される存在であり続けた、ということだろうと思います。
ある種の欺瞞や偽善の危険性は、支援活動にはしばしば指摘されるところですが、当事者を主体として考えることが重要であるとの認識は、徐々に広まってきているため、現在では、かつてのような支援者の満足度が優先されるような動きは主流ではないと思います。
ただ、東日本大震災の場合は、それが主流となってしまい、被災地は政策的にも、表象的にも主体化されることがないまま、ついに13年を迎えたということに見えます。
ほかの山古志や熊本地震の報じられ方では、同様のことはあまり感じないので、東京との関係・距離が大きいのだろうと思います。
歴史的な東北と東京の関係も背景としては大きいと思います。
大きなフレームで見た時に、首都東京との相剋によって、あらゆる問題がフレーミングされてきているようにも感じるときはあります。