最近、ほかの人からの指摘で、ベイトソンのダブルバインド概念を少し見直しているのですが、端的にこの状況に置かれているといえると思います。
傷ついた元子供たちは、「自分たちで好きなように決めていいよ」と、口頭では言われるものの、実際の社会からのリアクションや期待はそうではないわけです。
口頭の言葉を信じて好きなようにやれば落胆されたり、無視されるのに対して、期待に沿うようにすれば、露骨なまでに賞賛される。
こういう状況を感受性の強い時期に経験するのは、過酷なことであったと思います。
そこで、「どうすればいいかわからない」という不安定な状況に置かれるのは、論理的には必然であろうと思います。