差別されてこなかった、いいように生活できてきた方たち以外は、何らかの形で差別体験があるでしょう。海外に行かれて差別体験をした方はここで別にしても、特にこの日本列島で生活する限りは、日本で生まれて、何の苦労もなく生まれながらに自動的に日本国籍を持ち、出生地でも差別されず身体的特徴でも差別されず、健丈な体をもって経済的にも恵まれた、強い男性性を自認する、社交的でいじめられた経験もない人は、ほぼ差別されたことがない。書き並べると「これって『多数派』なのか?」と思えるぐらいの人(の像)が基準になり、強者としてふるまってこの国は動いています。差別をされたくないため、隠したり我慢したり自分を偽ったりしてふるまっている人も大勢いると思います。そういう人を別にして、現実に排除されて苦しみを表明されている人だけでも実にたくさんいますし、多岐にわたります。「非自民」と言ってもいろんな考え方の政党があるのに似ていますね。自民党が各種選挙で絶対得票率では多数派ともいえないのにも構造的に似ています(第一党は棄権党?)。
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たばねは(硬式) (tabaneha@toot.blue)'s status on Saturday, 10-Jun-2023 17:31:25 JST たばねは(硬式) -
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たばねは(硬式) (tabaneha@toot.blue)'s status on Saturday, 10-Jun-2023 17:31:23 JST たばねは(硬式) 脳卒中の世界に「旅」して、見方はガラッと変わりました。まず道を歩く、歩きにくそうにしている人や杖を持っている人に気づくことが以前より増えました。そういう人が社会で急増するわけないのですから、以前は自分の視界にあまり入っていなかっただけです。今では「お仲間かな」「それとも違う困難を抱えておられるのかな」とあれこれ思いを巡らします。社会の様々なバリア、反対にユニバーサルデザインの考え方で作られたものにも、以前より気づくようになりました。「強者」だった頃の自分を思い出すとき、以前からそこにあるのに「強者」に認識されてこなかった社会のさまざまな差別を顕在化して理解を深めることは、差別をなくす過程では意味があるのではないかなと思います。最終的には敢えて顕在化させなくても、みんながお互いを尊重しあって等しく生活するのがいいのでしょうけど、現在は道半ばです。公教育が公然と「女子」にだけ家庭科教育をしていた時代(今ではとても考えられませんが)から40年たっていないはずです。部落差別はいまだに消えていません。ハンセン病患者の人たちの救済が動き始めたのは21世紀に入ってからです。
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たばねは(硬式) (tabaneha@toot.blue)'s status on Saturday, 10-Jun-2023 17:31:24 JST たばねは(硬式) 私は今でこそ「脳卒中経験者の~」と書くときもあって、それがお気に障る方もいらっしゃるかもしれません。が、数年前までは上の「強者」にほぼ当てはまっていたかもしれません。経済的には豊かとはいえませんが、それも自分から選んだ生きる道ですので、選択の余地なくあるいは突然のアクシデントで経済的に追い詰められた方とは違うでしょう。
が、脳卒中で倒れてから、いろんなことを知りました。その「強者」だったころ知らなかったことがそこにはたくさんありました。以前ここでも話題にした「エスカレーターを歩かないで」という話も、「歩きたい人と立ち止まっていたい人がすみ分けられていいじゃん」と「強者」だった自分は言い放っていたかもしれません。脳卒中からぴんぴんした身体で職場復帰した同僚がいたとして「よかったですね」とやさしく声をかけても、しばらく一緒に仕事をして忙しい時期に事務作業が遅いとか、単純ミスが続くと「あんなに仕事ができた人が~」とイラついたかもしれません。HyoYoshikawa repeated this.
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