あの運動をしているアカウントのなかで、直接のやり取りはなかったもののいくつかのアカウントをブロックしました(逆もあろうかと思いますが仕方のないことです)。
あの方たちがあのような形でのアクションを起こすに至った背景は必ずあるはずで、言い分も理解はできます。当事者であれば強い痛みを伴う経験が長きに渡ってあっただろうという想像はできるので本当に申し訳ないとは思ったけど、私には「主義主張ではなく(ここは強調する)」やり方の面で受け入れられなかった。
ハッシュタグアクションだからダメというピンポイントの問題ではなく、コミュニケーション全般についての話です。とりわけアライを称する方に関しては本当にあれでいいんですか?とは思います。
だからといって私自身はLGBTQについて学ぶことはやめないし、学ぶうちにいつかあの時のことが分かる日が来るかも知れません。
本件に限らず、当事者外には理解に時間のかかる問題はたくさんあります。なのでいつか、やはりあの方たちはあの時そうせざるを得なかったと思うかもしれない。でもそれは少なくとも今ではありません。