Mastodon界の性質を考えると、Twitterのような「拡散力」は期待できないから、ビジネスへの利用にはあまり向かないかもしれない。拡散力に期待できないということは、企業の参入モチベーションは高くならないし、そのためあまり世間的には流行らないかもしれない。だけど、コマーシャリズムに侵されにくいぶん、案外居心地はいいものになるかもしれないですね。
今後はしらないけど。なんかしらのビジネス利用を誰かが思い付くかもしれないけど。
Mastodon界の性質を考えると、Twitterのような「拡散力」は期待できないから、ビジネスへの利用にはあまり向かないかもしれない。拡散力に期待できないということは、企業の参入モチベーションは高くならないし、そのためあまり世間的には流行らないかもしれない。だけど、コマーシャリズムに侵されにくいぶん、案外居心地はいいものになるかもしれないですね。
今後はしらないけど。なんかしらのビジネス利用を誰かが思い付くかもしれないけど。
でも、仮想社会のありかたとしては、Mastodonのそれは個人的に気に入ってますよ
もちろん、フォロワーが何万何十万もいるようなユーザーに捕捉されてしまうとあっという間にバズってしまうこともあると思う。ただ、Mastodon界は、様々な規模のサーバーの寄り集まりで構成されている世界で、小~中くらいのTwitterがいくつも林立しているようなイメージ。サーバー間の関係も、個々が全てつながっているわけではなく、他のサーバーから嫌われてブロックされているようなサーバーも存在する。他サーバーの投稿は何でもフルオープンに見ることができるわけではなく、他サーバーのユーザーをポンポンとフォローできるようなものでもない。何万何十万ものフォロワーを獲得するようなユーザーは、なかなか現れないのではなかろうか。
Mastodon界はTwitterをどこまで意識しているのかしらないけれど、Twitterがもたらした弊害と反省を(意図的にせよ無意識にせよ)ある程度踏まえたものになっていると思う。
インスタンス(サーバー)にもよるかもしれないけど、基本的には、ブースト(Twitterでいうところのリツイート)はローカルTLに流れていかない。みんなにも見てもらいたい知らせたいシェアしたい投稿がある場合、当該投稿のURLを張り付けるなどして投稿すれば、自分の投稿という形になるので、ローカルTLや連合TLに流すことができる。
この点は、指先ひとつで手軽にリツイートできてフォロワーに見てもらえるTwitterとは違う。Mastodonのほうが、バズ現象は起きにくい。でも、このひと手間掛けさせる仕組みこそが、Twitterの弊害を少し緩和をしてくれていると思う。
「Dappi」裁判で被告企業の社長が初出廷 「投稿者」の名前開示を拒否 10月に判決へ:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/258513
このままだと原告完全勝訴で賠償額880万円がそのまま来るものと仮定して。
証言拒否して敗訴して880万円払ってまで隠し通したいことって、そうそうないよね。普通の企業なら、少しでもリスクを減らすためにいろいろ足掻くよね。
なんらかリスクを減らす努力をほぼ全てなげうって、そこまでして一体なにを隠したいんだ株式会社DAPPIは。
「私以外私じゃないの~」などのあまりに能天気な歌を歌ってた政治家もいたけど、結局は私以外も私になっているマイナンバーカード
不信任案出したら解散するぞーの脅しに屈したとか屈しないとかそういうのは脇に置いとくとして、正直、べつに内閣不信任案なんか必ずしも出さなくてもいいのでは。。。その「野党は内閣不信任案を最後に出さなきゃならない」みたいなのこそ旧時代の因習に思えてならないのだけど。
立憲民主党は、不信任決議案出すのだな。教条的に過ぎると思うからぼくは反対だけど、まぁやるならやれば。解散を打たれてぼろ負けするといいよ。一方で、政府が解散権を濫用するのは憲政の邪道だと思うけど、もはや民主主義に興味がない自民党政府および日本国民には何の意味もない議論ではある。
入管法の立法事実は崩れている、とは言われているし、ぼくもそう思うけれど、立法事実はなにでどう崩れたか、そういうのをぼくたちフツーの日本人は知らないというか、知る気もないというか。
梅村みずほ君みたいな、ひとの尊厳を踏みにじるような発言を平気で公で為すような輩がうじゃうじゃいるから、ぼくは政党としての維新軍には絶対に票は投じない。たとえこの社会の99%が維新の考えを支持するのだとしても。
新型コロナなんかそうよね。人の眼で確認することができない超微小のウイルスを認識するためには、検査を徹底してそのウイルスの存在を推測するのが肝要なのだけど、その検査を矮小化してウイルスを把握することができなくなり、そうなると今度は「この病気は大したことない」などと喧伝して世論を惑わしにかかった。問題自体を「存在しないこと」にしているんだよね。決して問題が消えたわけではない。
重大な問題が発生したときに、問題解決に全力を投入するのではなく、隠蔽・改竄・世論工作・事実のねじ曲げ・論点のすり替え・矮小化等々、ありとあらゆるインチキを駆使して、問題解決どころか問題そのものに蓋をして無かったことにしてきた安倍晋三&自民党公明党&日本政府。
そうこうしているうちに、問題解決能力は絶望的なレベルにまで落ち込んでいるのがこの日本社会。問題が「見えなくなっている」だけで「解決した」わけではないから、時間だけが解決してくれる問題ならまだしも、大概のことは悪化していることが多い。
この国は安倍晋三以来、インチキで対応することを覚えてしまい、インチキに頼りきった運営をしているうちに、もともとあったチカラも衰え低下してしまっている。
低次元の少子化対策
あと、Mastodon全体の仕様なのかわからないけど、ブーストされた投稿は、ローカルタイムラインに流れないのかな?そういうのも結果として、「バズり」抑制になっているような気がする。逆に言うと、なかなかバズらないから広告宣伝ビジネスには使いづらそうだなぁという印象。
長文思考系のサーバーにも、短文雑談系のサーバーにも、あるいは創作系サーバーにもアカウントを作っておじゃましているけど、自分に合うのはこういうサーバーだな、っていうのはうすうす感じ始めている。
いろんなサーバーにアカウントを立ててみて、少しずつ探検をしてみて、なんとなくサーバー(インスタンス)の特徴が見えてきた感じがある。
あるサーバーは、自分の考えを縷々と表明した言葉がたくさん漂ってくる。別のサーバーでは、「おなかすいた」「ラーメンなう」など瞬間瞬間アタマに浮かんだ雑多な言葉がハイスピードで飛び交ってある。ローカルタイムラインの雰囲気の違いは、こういうところに表れているように思う。
どっちが善いか悪いか、というより、自分がこの空間をどう使おうとしているかによって合うサーバー合わないサーバーが出てくるんじゃないかな。そこがまた、少し面白いというかね。
ぼくが今、Mastodonで少しだけ意識しているのは、「マイクロブログ」という使い方かな。誰かの目に止まることを最高の目的とするのではなく、いままさに心に浮かんでいる想いを文章にしてみるという使い方。
心のなかの生の感情を順に右から左へそのまま垂れ流すのともちがう、意味のある文章のかたちに直すことで自分を見つめ直すというか、そんな感じ。うーん、うまくまとまらない
マスクがCEO辞めたとしても、ぼく自身はたぶんTwitterには戻らないと思う。
Twitterからこっちに出てきたのは、便利だったサードパーティのアプリを殺され不便を強いられるようになるなど、ワンマン大富豪に振り回されるのが厭になったからってのがたしかにある。
けれど、適度に少ないMastodonに転生してやり直してみた今から思うと、あのTwitterのバズり至上主義の世界観に、無意識ながらに嫌気が差していたのかもしれないなぁ。
GNU social JP is a social network, courtesy of GNU social JP管理人. It runs on GNU social, version 2.0.2-dev, available under the GNU Affero General Public License.
All GNU social JP content and data are available under the Creative Commons Attribution 3.0 license.