いやでも「福田村」は朝鮮人を殺すつもり/名目で朝鮮人でない人間を朝鮮人として殺してるんだよね。
同じ時期に中国人を中国人だから殺しているというのはしっかりと認識しておかなくてはいけない。
それも、殺した経緯は中国人に対する憎悪煽動でありその前夜には憎悪犯罪も起きていてその暴走が行きついた先の虐殺であり、それは今に似ているのだから。
いやでも「福田村」は朝鮮人を殺すつもり/名目で朝鮮人でない人間を朝鮮人として殺してるんだよね。
同じ時期に中国人を中国人だから殺しているというのはしっかりと認識しておかなくてはいけない。
それも、殺した経緯は中国人に対する憎悪煽動でありその前夜には憎悪犯罪も起きていてその暴走が行きついた先の虐殺であり、それは今に似ているのだから。
差別格差のない東京を:金正則|桑原亘之介 @kuwa_konosuke https://note.com/kuwa589/n/ncc0ee4822649?sub_rt=share_pw
俺らみたいな存在には素朴なんて漠然としたもんじゃなく明確なハッキリクッキリしている不安があるし増大している。
ここに居られなくなるんじゃないか。ここで、わたしや家族の身体や生命や財産を棄損されるんじゃないか。そんな不安だ。
そんな不安が日々、時々刻々、秒々、増大している。
ワケわかんない漠然とした理由によって、無知蒙昧な者が確信犯の支離滅裂な理由付けよってなされる憎悪煽動の結果差別・排外主義が跋扈する事によって俺らの不安は増大している。
あいつ等だって俺らだってあんたらには同じ隣人だろう。
同じ隣人なんだから、ワケわかんない不安にもと他者の不安を増大させ続ける隣人寄り添うよりそいつらがやめれば無くなるという明確な不安を持つ隣人に寄り添っても良いだろうよ。
って感じの暴言はいつも心の片隅にある。
届いた!
日本国内のある特定の限定された、自分の住む地域の文化や風習の一部に生を受けてから今まで接してきた、慣れ親しんできた、生まれてこのかた日本に住んでいる、生活習慣を身に着けている、ゴミ捨てのルールを知っている、日本人はこう考え行動するというものが自分なりに分かっている、そういうものが日本人の条件であるならば、わたしは日本人という事になる。日本に生まれ日本で育ち日本で生活し追い出されなければきっと日本で死ぬだろうから。
わたしは中国籍者であるが、ルーツの文化や歴史や言語を学んできたに過ぎず、その知識の量や接してきた時間は圧倒的に所謂日本のもののほうが多い。
わたしは何人だと言うのか。
あいつらは自分達の悍ましい思想を、主張を強化するために、恣意的やりたいからそれをやっているのは分かっているが、「お前/あいつは日本人か否か」というものの知性の無さというか乱暴さという粗暴さというか視野の狭さというかそういうものには腹が立つ。
国籍や居住している期間をもとにある程度の権利・自由の違いが生じる事は、一定のものに関しては、それは致し方ないと思うところはある。
わたしは、そこは選挙権や被選挙権だと思っている。
居住国の国籍者には選挙権・被選挙権を。居住国の国籍を持たぬ者は居住国での居住期間によって選挙権を。
というところだとは思っている。
「お前/あいつは日本人か否か」というのは非常に粗野な話というのはある。
その「日本人」とはなにかというとこからあやふやだから。
血だの民族だの文化だの歴史だの精神だの国籍だのその人によって好き勝手に漠然と規定するものだから。
”血”はこんだけ長く繋がって来た人類が明確に自分のご先祖さんを記録しているワケでも無いのだから何かを語れるわけがない。
”文化””歴史”なんか北は宗谷岬/択捉島、南は沖ノ鳥島、東は南鳥島、西は与那国島という範囲がいまの日本国だが、その範囲の”文化””歴史”を網羅する事など一般人に出来ようもない。結局は選択的になんかを特有の”文化”と言っているだけ。
”精神”なんかこの領域内でこんだけ人がいてなにか画一的に語れるものがあるとは言い切れない。やはり選択的になにかを選んで特有の”精神”と言っているだけ。
”国籍”だっていまの世の中居住国と国籍が必ずしも一緒であるとは限らない。長く居住しても他の国籍という事は普通にありえる。
そういうあやふやな、粗雑なものに立脚した話はしないようにしているとこはある。
ただ、差別主義者が帰化した者を”日本人ではない”とした時の批判としては”彼は日本国籍者なのだから日本人”とする事はある程度許容する部分がある。差別主義者は排除するために帰化した者を”日本人ではない”とするのだからそうではないそれは違うという文脈で”彼も日本人”とするのは完全に間違いというわけではないとも思うから。
「そうは言ってもお前は生まれも育ちも生活も日本だから日本人みたいなもんだよね。」という言葉は今までの人生で何度となく聞かされてきた言葉だが、これは、わたしは拒否する。
確かにここらへんで生まれ育ち生活しているのだからここら辺にいる人との違いはあまりないだろうが、同じとするのであれば、同じように権利・自由があるべきだから。それが無い以上、”同じ”と言われても同調は出来ない。
そんな感じかなあ。
虐殺前夜だという事をしっかり認識して頂きたい。多くの人間が手を貸しているどころか乗っかってるという事を認識して頂きたい。
虚偽情報を元に煽りに煽って確信犯として悍ましい思想を流布するクズとリテラシーが無く踊らされるまま喜んで踊り狂うバカが圧倒的多数の修羅の国。もうダメかもしれない。一気に来た。わたしは殺されたくないがもうヤバイかもしれない。
SNS開くともう外国(人)嫌悪が目に入る。デマに基づく嫌悪の洪水。もうちょっと厳しいかもしれない。
飲食店やってた人間として断言するが、予約しておいて連絡なしで来ない(=キャンセル)客は、国籍を問わず存在する。
わたしには予約しても来なかった日本人と思われる名前と話し方の客に遭遇した経験があるし、わたしには経験はないが外国人だっているだろう。
国籍民族問わず「突然キャンセルする客はいる」のほうが正しい。
そこに国籍や民族などを含めて考えるのは間違いだし、そうしてしまうのは、意識しているかどうかは別として、悍ましい思想を噛ませている可能性がある。
ウチの店のお客さんは、日本語を母語にするお客さんや日本人風の名前の方が圧倒的多数であったが、予約しても来なかったという客は存在した。
そういう客は中華街にあったウチの店の最終営業日にもいた。
中華街にあったウチの店の最終営業日に「新聞を見た。絶対に食べたい。」一点張りで、こちらの「最終日は常連様だけにしたい」という話を一切聞かず予約をねじ込んで来た(しかたなく受けた)客がいたが、その方の名前はいかにも日本人風の名前だったが、彼らは結局来なかった。
最終日、彼らが予約した席を空ければ座れた常連様もいたはずだが、席が無いのでお断りした常連様もいる。
いつも食べに来て下さった神奈川新聞の記者さんも席が無かったので断った。
社会に対する漠然とした信頼感のようなものは、実は、昔は、わたしは一定のものは持っていた。「そうはいってもまあギリギリ地獄・最悪は回避する知性があるだろう」みたいな。
それが完全に失われてからもう結構な時を過ごしている。
社会に対する信頼は他者に対する信頼と被るとこがあるのかもしれない。だって時を同じくして他者に対する信頼も持てなくなってきている感じがするから。
そういう部分に関しては、社会や他者に対する漠然とした信頼感のようなものを持てないという事に関しては、わたしにとっては、意外と、いや結構辛いものがある。
この前の戦争は自分達がやり出した戦争だったクセにそんな事はほとんど語らずあたかも天災のように扱うクセに、いま現在の事に関してはあいつら凶暴だあいつらに攻撃される攻められるとか言ってんのは、かなり不誠実であるように思える。
打越橋は実は古の心霊スポットですね。
打越橋から横浜駅根岸道路を横浜駅方面(坂の下のほう)に見下ろすと、左手に教会があると思います。
在日大韓基督教会横浜教会です。
あの場所が今の教会になる前は伝道所でした。
関東大震災時朝鮮人虐殺が発生したあと、その追悼会の開催に奔走した李誠七は、もともとはあそこを活動の拠点としていた方らしいです。
李誠七は、虐殺の際には”百姓の家に助けをもとめ、押し入れに一週間隠れていた。食事などはその百姓家に世話になった。一週間後、憲兵などが出て事案が落ち着き始めてから外へ出た。そして、惨殺された朝鮮人を着ているもので判断し、その遺体を農家から荷車を借り拾い集めた。死んだ人を共同で焼く所で一緒に焼いてもらい、骨は拾えないので位牌を作って持ち歩いていた”というような事を語っていたとされています。
どこの世界にもどんな集団にも一定数のバカとかクズとかがいるのは当然なので、例えば米屋にそれを公言する差別クズがいたり、あるはイタリア料理にあったり、あるいはバルにあったり、もちろ中華料理もあったりするだろう事は「まあ、しゃーない」という部分は否定できない。クズは必ずいるのだから。
我慢ならないのはそいつらが普通に商売を続けられるし、なんなら繁盛もしているという事。
”ああいう事言ってたらやってたらお客さんから敬遠される””やっていけなくなる”みたいなものが弱い。かなり弱い。
多くは”そうは言っても商売人”なのでこりゃ不味いかなというブレーキは皆実装している。そのはずなのだけど、ブレーキを踏むという事は差別・憎悪煽動という点に関しては踏む事はない。これ踏む必要が無いと判断しているからだろう。商売に悪い影響はないと。踏んでいるだろう。それを許しているのは、周囲では?という思いはある。
ここが無性に腹が立つ。
あんなクズどもが続けられてなぜ食のバリアフリーを目指していたオレが休業せざるを得なかったのか。
というとこも非常に腹が立つ。
というのはある。
弁当店の倒産 過去最多ペース
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541561
こういうの流れて来るけど、この前は書店だしラーメン屋もあったしカレー屋もあったし喫茶店も焼き肉屋も建設業もデリバリー・テイクアウトもエステも脱毛も豆腐屋も介護事業所もあった。
ここから導き出されるのは”特定の業界の話ではなく全体がヤバイ”なんじゃないのかって感じには思う。
そう言えば、所謂サポーターの発信力あるヤツというか熱心に発信しているヤツなんかほとんどネトウヨ風味だしナショナリズムに毒されてますよね。クラブチームのサポでも代表でも同じ。
草創期からいる代表を応援してる奴なんか特にほとんどそうっていう印象があります。
唯一時折マトモな感じを出すのは大嫌いなマリノスサポの人だけ。
わたしのなかでは選手が酷いというのであれば、サポはもっと酷いのがウヨウヨしている。
なぜいま自民党が「違法外国人ゼロ」を公約に? 治安悪化の数字を示さず、一般ウケを競うようでいいのか:東京新聞デジタル https://www.tokyo-np.co.jp/article/410249
わたしはサッカーを頻繁に観ていたので、サッカーの現・元代表選手の発言に接する事が多かったのだけど、やっぱり代表経験者にはナショナリズムに染まっているような人物は多い。「国を背負って」みたいな。
でも、そうではない選手がいる事も知っている。
いまヨーロッパの試合中継で解説をしているJリーグ1試合個人最多得点記録を持っている人なんかは、過去に、試合解説中に「性加害したサッカー選手に対して”才能ある選手がー”みたいな擁護をする事」を否定していた(ヨーロッパの選手の事例)。実況のアナウンサーが「才能ある選手がー」みたいな話をし出した時に「それは違うと思います」という主旨の発言をしていた。
或いは、”さわやかヤクザ”などと言う綽名があった元代表選手は、やはりヨーロッパの試合中継のなかで、同席していた元代表選手の「国を背負う責任」という主旨の発言に対して「その国の競技団体のトップとしての責任」という主旨の発言をして訂正していた。
たぶん数は圧倒的に少ない。
でも、そういうマトモな人も存在している事を知っている。
ただ、現役の選手ではそういうのは見えてこないという事も間違いなくある。というか現役の選手からはナショナリズムに染まっているかのような発言しか見えてこない。
「外国人観光客」「インバウンド」「オーバーツーリズム」「社会保険」「〇〇人」etc・・・。入管法・永住権取消条項・ゼロプラン・マナーを守らない外国人etc・・・。
もう何でもよいが、いまいまでここまで無風で、”外国人は悪い””外国人は迷惑””〇〇人は〇〇”を信じて疑わないこの状況は、そりゃもちろんずっと悲観していたが、その悲観よりも相当に酷い。
多数派の政治家はもちろんだが、メディアに対しても、市民に対しても、もちろんそれらが構成する社会に対しても、その人間性を疑ってしまう。
アメリカだのガザだの中国だの言うのはもちろん間違いではないが、その数百分の一で構わないので、鏡を見てみるべき。足下を見るべき。自分達の手を見てみるべき。まずは自分のいるここを見てみるべき。
「ふくようけん」3代目です。越境し移住してきた初代が1917年に創業。当初は”陽は復昇る”「復陽軒」で1970年代に”福を養う”「福養軒」になりました。2019年11月より横浜中華街西門通りの店舗は休業。次をお楽しみに。あと、instagramもmastodonもtumblrもtwitterもBlueskyもfukuyoken3daimeで、店のwebサイトはfukuyoken.com、店のtwitterとtumblrはfukuyokenです。
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