田辺貞之助は5日朝、番小屋勤めの後、誘われて死体を見に行くのだが、石炭殻で埋め立てた4-500坪の空地に「東から西へ、ほとんど裸体に等しい死骸が頭を北にして並べてあった。数は250と聞いた」(「江東昔ばなし」)と書いている。
この情景は検屍のあとのものであるから現場検証は9月4日である可能性が高い。
高梨憲輝が避難した義兄の家は、この広場の近くであった。彼は4日の夜そこへ行き屍山血河鬼気迫る情景に息をのむ。
「ある人は300体ぐらいあるだろうといい、またある人は300体ではきかないといっていた」(「関東大震災体験記」1974年)と回想する。
田辺も高橋も、若い女が腹をさかれ、6-7か月の胎児がはらわたの中でころがって、女の陰部に竹槍が刺さっているのを目撃して衝撃を受けている。この女性は中国人ではない。